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   EACI News Weekly 第12号(3月27日号)
  東アジア共同体研究所(East Asian Community Institute )
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【目次】

【1】《今週のニュース 3/21-3/27》
 政治(2)、経済(1)、国際(2)、社会(2)

【2】《UIチャンネル放送予告 No.096》
 3月30日(月)20時  鈴木宗男×鳩山友紀夫×高野孟
 激論「普天間移設~北方領土・日ロ関係の行方」
 http://ch.nicovideo.jp/eaci/blomaga/ar757534

【3】《EACIレポート》
 インタビュー記事:鳩山由紀夫/クリミア訪問の真相─日露関係の改善の
 ための民間外交を(THE JOURNALより)

【4】《研究員コラム》
 緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
 「米軍上陸地点を歩く」

【5】《EACI会員からの投稿》
 小島正憲
 (株式会社小島衣料オーナー、アジア・アパレルものづくりネットワーク代表理事)
 「アジア読書録 vol.4『最後のフロンティア ミャンマーの可能性』』
 (松田健著、重化学工業通信社、2015、2)」

【6】《連載》検証・フテンマ(琉球新報より)
 第2部 官僚の壁 vol.12 「地位協定改定」

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【1】《今週のニュース 3/21-3/27》
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【政治】
■自衛隊:首相「わが軍」発言 菅長官「国際法上は軍隊」
(毎日新聞 2015.3.25)
http://mainichi.jp/select/news/20150326k0000m010099000c.html

■「辺野古移設は民意無視」 国内外31団体が緊急声明
(東京新聞 2015.3.26)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032602000152.html

■政府と沖縄県、辺野古問題で全面対決 話し合いの余地なく法廷闘争へ
(J-cast 2015.3.24)
http://www.j-cast.com/2015/03/24231245.html

【経済】
■韓国 アジアインフラ投資銀行参加を表明
(NHK 2015.3.26 )
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150326/k10010029061000.html

【国際】
■中国、戦勝70年行事に安倍首相招待 欠席の見通し
(朝日新聞 2015.3.25)
http://www.asahi.com/articles/ASH3T350WH3TUTFK002.html

【社会】
■オスプレイ部品落下事故で抗議決議 宜野湾市議会
(沖縄タイムス 2015.3.26)
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=108828

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【2】《UIチャンネル放送予告 No.096》
3月30日(月)20時 鈴木宗男×鳩山友紀夫×高野孟
激論「普天間移設~北方領土・日ロ関係の行方」
http://ch.nicovideo.jp/eaci/blomaga/ar757534
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第96回目となります、3月30日(月)20時からのUIチャンネル放送は新
党大地代表の鈴木宗男氏をお招きして、鈴木宗男×鳩山友紀夫×高野孟の
激論「普天間移設~北方領土・日ロ関係の行方」をお送り致します。

※会員(月額324円)の方は全編視聴できます。非会員の方は有料
(150pt)となります。(会員になるには携帯キャリア決済、カード決
済が可能です。個別映像を視聴する場合は、ログイン後、ニコニコポイ
ント150ptにてチケット購入してください)

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【3】《EACIレポート》
インタビュー記事:鳩山由紀夫/クリミア訪問の真相─日露関係の改善の
ための民間外交を(THE JOURNALより転載)
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東アジア共同体研究所の高野孟研究員が主宰のメディア「THE
JOURNAL」が3月20日、鳩山理事長にインタビューしました。取材した
記事を転載します。

   ☆ ☆ ☆

3月9日、鳩山由紀夫元首相はクリミア半島を訪問した。インターネッ
ト上では「国賊」とののしられ、日本政府はもとより、古巣の民主党か
らも「あってはならないことだ」(岡田克也代表)と批判の声が上がっ
た。訪問の狙いは何か。鳩山元首相に直接インタビューした。 (THE
JOURNAL編集部)

   ★ ★ ★

鳩山由紀夫:日露関係の改善のための民間外交を

─クリミア半島へ訪問した理由は

 クリミアの住民投票から一年が経とうとしています。この間のクリミ
アに関する報道といえば、「ロシアがウクライナのクリミア半島を一方
的に併合して1年…」という表現にあらわれているように、強引に併合し
た【ロシア=悪】で、【ウクライナや欧米=善】という単純な図式で語
られています。
 また、軍事力を背景にしたロシアのクリミア併合は不法だ、住民投票
自体が正当ではなかったという理由で、日本政府や米国、欧州連合
(EU)がロシアに対して経済制裁を加える決定しました。
 本当にクリミアはロシアによって強引に併合されたのか、それとも平
和な選挙によって独立したのか、市民はどのように暮らしているのか、
自分の目で見ていきたいという思いで訪問を決めました。

─住民投票など、現地の人と意見を交わしてわかったことは

 現地の市民をはじめ、クリミアの代表であるベレヴェンツェフ・クリ
ミア連邦管区大統領全権代表など多くのリーダーとも、住民投票につい
て意見を交わしました。そこでわかったのは、ロシアへの編入を目指し
た住民投票は決してロシアの圧力ではなく、クリミアの住民の自発的な
行動の中から行われたものであり、ウクライナ憲法の規定に従って民主
的に行われたものだということです。
 クリミア半島の先住民族であるクリミア・タタール人の意見も傾聴に
値するものでした。クリミア半島には26の民族が住んでおり、ロシア
人、ウクライナ人に次いで、もっとも人口割合の多いのがこのクリミ
ア・タタール人です。クリミア・タタール人の副首相はこの一年を振り
返り、「宙ぶらりんだった人権が、この一年で大きく変わった」とロシ
アが人権を守ってきたと述べていました。
 クリミアはウクライナに帰属しましたが、その後の暮らしは厳しく、
彼らににとっては不満のある23年間だったといいます。現在は、9割以上
はロシアのパスポートを持っていると聞いています。

【領土問題はプーチン大統領の時代に解決を】

─今回の訪問について、日本の国会議員からは「国益を害している」とい
う意見がある

 それはどうでしょうか。現在の日本とロシアの関係は薄らいでいま
す。昨年10月にロシアのナルイシキン下院議長に会ったときに、日本が
経済制裁を加えたことに大変遺憾だと、いつも柔和な氏がカメラの前で
厳しく発言しました。
 プーチン大統領は昨秋予定していた訪日を中止し、現在も訪日の予定
は立っていないと聞きます。岸田外務大臣は、カウンターパートである
ラブロフ外相と会えていません。
 今年5月にモスクワで開催される対ドイツ戦勝70周年式典では、ロシア
側は安倍首相に招待状を送ったにも関わらず、いまだに返事をしていな
いようです。習近平中国国家主席や金正恩北朝鮮第一書記も参加予定
で、各国の首脳と会うチャンスですが、オバマ大統領が参加しない限
り、日本から返事は出せないのでしょうか。ロシア外務省高官からは、
「日露関係に関心がある日本の国会議員がいなくなった」と聞きまし
た。
 ロシアとの間には、領土問題を始め未解決事項が山積しています。に
も関わらず、両国のパイプは薄くなる一方です。私は民間人として日露
関係を友好な状態にしたいと活動しており、それは国益に沿っていると
思っています。

─未解決の領土問題をどう考えているか

 今が大事な時期です。領土問題の解決には、プーチン大統領が最後の
交渉相手ではないかと思っています。保守的といわれますが親日的で
す。柔道家でもあるプーチン大統領は、領土問題において一度は「引き
分け」と柔道用語をつかった表現したこともあります。お互いに答えを
導き出そうという人であることは間違ありません。それに対して、前の
大統領であるメドベージェフ現首相は強硬路線でした。今後誕生する大
統領は強硬路線になってくる可能性が高いです。
 私は安倍総理の時に、大きな展開をする期待を寄せていました。しか
し、プーチン大統領が訪日できないような状況では望み薄です。経済制
裁が今の状態を招いているとすれば、ますます解決が遠くなるでしょ
う。

【マスコミに足りない多角的な視点】

─マスコミについて

 クリミアの報道を見ていると、米国からの情報に偏っていると思わざ
るをえません。ロシアは敵ではないといって困るのはだれか。冷戦構造
のまま引きずっているNATO(北大西洋条約機構)の価値もなくなれば、
米軍の価値もなくなります。そういう想像も必要でしょう。
 すぐに善悪を決めるのでなく、どちらが正しいのかを多角的な視点で
考えなければ、日本の行く末は危ういと思います。さまざまな意見や考
えを認めるべきではないでしょうか。

─改めて、実際にクリミアの地を歩いた率直な感想は

 百聞は一見にしかずといいますが、訪問した先々では平和な町並みが
広がっていました。銃を持った兵隊が立っていることもなく、講演した
大学の学生達も明るく、未来に対して自信をみなぎらせていました。
 ただ、ウクライナに帰属してからクリミアが冷遇されてきた姿の一端
も垣間見ました。風光明媚な地域ですが、道路も汚れて崩れているとこ
ろもあり、電気などの生活インフラも不十分と感じました。

─今後の活動は

 今回の訪問で、一人の女性に出合いました。その方は宮殿の管理人の
妻で、クリミア在住の数少ない日本人でした。経済制裁のおかげで郵便
物は日本に送れないし、当然荷物も受け取れない。日本と行き来するの
もままならないと言われていました。クリミアと日本でこのような意見
を結ぶような協会をつくるなどして、声を集められないかとも思いま
す。
 また、クリミアの今後の課題は産業づくりです。欧米から観光客も来
なくなりました。日本には技術力と勤勉さに関心を持っているようで、
民間の交流は協力できないものかと思います。
 どこの国でも生きる権利はすべての人が持っています。日米、日中、
日露、各国との関係が発展するよう活動していきたいです。(取材:THE
JOURNAL編集部/2015年3月16日)

〈プロフィール〉
鳩山由紀夫(はとやま・ゆきお) 1947年(昭和22年)2月11日生ま
れ。東アジア共同体研究所理事長。スタンフォード大学卒業。政治家、
旧民主党代表を経て、第93代内閣総理大臣。

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【4】《研究員コラム》
緒方修(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター長)
「米軍上陸地点を歩く」
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慶良間諸島
慶良間諸島に沈む夕陽を見ながらオリオンビールを飲んだ。私が住んで
いる建物は傾斜地に立っており、しかも一番端の部屋でベランダが横に
広がっている。そこでは朝陽から夕陽まで180度、どころか270度くら
いの眺望を楽しむことが出来るマンションだ。
これからは11月まで夏のような暑さが続く。太陽の光はますます強く射
すようになる。夕陽が落ちる時、背景の空が真っ赤に染まる。雲があれ
ばそれぞれに残照が映える。田毎(たごと)の月ならぬ雲毎の夕陽だ。
(正確に言えば前景の雲が、夕焼け空を網の目状に分割し、いくつもの
光が見える)。沈みきった後は赤が紫色に、そして濃い青に変わってゆ
く。しかしそのまま黒くなるのではなく青い色を残しながら暮れて行く。
同時に星が輝き始める。沖縄にいて味わえるもっとも好きな瞬間だ。
慶良間諸島は阿嘉、座間味、渡嘉敷などの島からなる。70年前、1945年
の3月26日に米軍が上陸。日本軍はマルレと呼ばれる特攻船を隠していた。
そして米軍が沖縄本島に上陸したら、夜陰に乗じて後ろから襲いかかろう
という作戦だった。しかし、フィリピンでの戦いで、既にマルレの存在が
明らかになっており、米軍によって座間味島の特攻船は全て焼き払われた。
その後、米軍は4月1日に沖縄本島へ無血上陸した。場所は北谷(ちゃたん)
だ。いまでは米軍の将校用の建物やアメリカンヴィレッジが広がり当時の
面影は全くない。

米軍上陸地点 砂辺から北谷を歩く
3月22日(日)、ピースウォーキングに参加した。総勢20人。沖縄戦を
知るピースウォーキングPart19。一回目は米軍が最初に上陸した阿嘉島
で実施した。本日の趣旨は以下のとおり。

70年前、1945年4月1日。北谷から読谷にかけての美しい海岸線がアメリ
カ軍の艦隊、駆逐艦219隻のために真黒く見えました。そして始まった地
上戦は地獄の戦場と呼ばれ、子供からお年寄りまで住民の犠牲者が兵隊
より多くなりました。
戦後70年の今年は上陸地点から摩文仁までを4回に分け、毎月連続してそ
れぞれの時にそれぞれの場所を歩きます。70年たっても米軍基地という
形で残る沖縄戦の跡。今一度沖縄戦を見つめなおし、学び、そして平和に
ついて考えてみましょう。

以下はこの時に渡された資料や琉球新報発行の「沖縄戦新聞」(新聞協
会賞などを受賞)によりながら書く。

朝9時、砂辺馬場公園に集合。海側に設置された展望台から海岸を見る。
70年前の4月1日、3月26日に慶良間諸島を占領していた米軍がいっせい
に沖縄本島に上陸を開始した。上陸部隊だけで18万3千人、太平洋戦線
では最大規模の兵員を投入した。
沖縄守備軍の第32軍は上陸時の戦闘を避けたため、米軍はただちに北
(読谷山村)、中(北谷村嘉手納)の両飛行場を占領した。米軍の狙い
はまずこの二つの飛行場を確保することにあった。
なぜここで日本軍は決戦を挑まなかったのか?なるべく長びかせて米軍
を本土へ近づけないように、沖縄を捨石として使う作戦だった。日本軍
は読谷飛行場を使用できないようにわざわざ破壊しておいたが、そんな
ものはすぐに工兵隊が復旧させた。
その後、熊本の健軍飛行場から決死隊が飛んできて飛行機を爆破したり、
部分的には成功したが後の祭り。もし日本軍がここで決戦を挑めば1週間
で沖縄戦は終結、10万人におよぶ住民の犠牲も4か月後の広島、長崎の
死者も出なかったかもしれない。

クマヤー・ガマ(鍾乳洞)
内部は長さ約40メートル。戦前はこの辺は野犬が徘徊し危険な所だった。
2か所に出入り口があるが、とても狭く後ずさりしながら腰から入ったと
いう。砂辺地区の住民の人口は489名(戸数105)、そのうち300人から
350人がここに隠れた。
1944年の10・10(じゅうじゅう)空襲。米軍機が中飛行場と北飛行場を
爆撃、住民は最初は日本軍の演習だと勘違いしていたが、米軍機が焼夷弾
を落とし、逃げ惑う住民を機銃掃射した。この日からクマヤーガマが避難
壕として使用された。
案内は、当時13歳だった與儀正仁氏(82歳)。「13歳の戦争体験」と名
付けられた小冊子(68ページ)を渡された。80の手習い?でワープロで
書いたとのこと。ここに記載されていないことも含めて直接聞いた話を記
す。
「(1945年の)3月27日(の午後12時か1時頃」に二人の兵隊がガマに来
た。顔には墨を塗り、帽子には枝や葉をつけていた。米軍が上陸するから
早くガマを出てやんばるへ逃げなさい、と言った。ところが一人のおばさ
んが、強硬にはねつけた。息子を中国戦線に送り出している人だ。日本軍
が負けるはずはない、神の国だ、神風が吹いて米軍の船は沈む。」
二人の兵隊は説得に失敗し退散した。(おばさんは、お前たちヤマトの兵
隊はクーガー=golden ballが付いているのか、と一喝して追い返した
のだろう)。日本兵以上に「ヤマト魂」が染み込んでいたようだ。
「その日の夜、再び7~8人の兵隊が来て、戦闘準備をしてすぐに避難する
ように、と追い立てた。5人の80歳過ぎのおじい、おばあがローマチ(リュ
ウマチ)で足が悪く動けずガマの中に残った。みんなで車座になって真ん
中にろうそくを灯し座っていた。」
この時、お年寄りたちに死に装束を何枚も着せて首を抱きしめ泣き叫ぶ家
族もいた。

「しかしこの時追い出されて良かった、と思います」
クマヤーガマでの死者はゼロ。

壕の外での死者は出たがもし居残っていたら読谷のチビチリガマのような
悲劇が起きていたに違いない。ご存じの方が多いと思うが、ここでは米軍
上陸の翌日(4月2日)に肉親同士が殺し合う事件が起きた。以前は集団自
決、現在では集団死と呼ぶ。波平区の住民140人が避難していたが、83人
が「集団死」。
チビチリガマのすぐ近くのシムクガマでは同じ波平区の住民約1000人が避
難していた。4月1日、米兵が迫ってきた。ガマの中にはハワイに移民で出
かけていた人が二人いた。バスの運転手をしていて英語はペラペラ。決し
て米軍は市民を殺さない、と説得。全員ガマから出た。1000人の命が救わ
れた。

チビチリガマでは、米軍は鬼畜米英と信じ、中国戦線帰りの兵隊が、自分
たちが中国住民にしたことを、そのまま米軍が仕返すのではないか、と恐
れた。シムクガマでは、ハワイでの生活体験がある者が、米軍が市民を殺
すことはない、と分かっていた。この差が生と死を分けた。

與儀さんの話は、占領後の無法状態の出来事が多かったが、一つだけ印象
に残ったことを記す。辺野古の手前、久志地区の(現久志公民館入口向か
って左での)話。
「(強姦され殺された)女性がガジュマルの下に裸で寝かされていた。母
親らしい人がガジュマルの葉でハエを追っていた。乱暴するのは黒人兵が
多かった。」
米国内で差別され、戦争に駆り出された黒人兵が、うっぷん晴らしのよう
に沖縄の女性を相手に乱暴狼藉を働く。

與儀さんの直接証言は迫力があった。普段あまり聞かれない話が二つ。日
本は神の国と信じていたウチナーンチュ、黒人兵による強姦・殺人。
戦後、作家の中野重治だったかが言っていた。
「(戦争に負けた、私達は被害者だ、と言って騒いでいるが)騙される方
も悪い」
大本営の「勝利に次ぐ勝利の」嘘の発表を、そのまま活字にし放送にした
大新聞とNHK,それに熱狂し支持した大衆。
メディアの現状を見ると、嫌中、嫌韓を言い立てているワイドショーや週
刊誌。それに呼応するかのようなネットでのヘイトスピーチ。「戦争」を
煽れば売り上げが増えるのだろう。
なに、本当の戦争になればもっと増える。しかし死ぬのは我々だ。

アフリカから新大陸へ連れてこられ、長年、奴隷として働かされた黒人達。
虐待され、殺されてきた彼らが、自らより弱い者を殺す負の連鎖。オバマ
が大統領になろうが、構造が変わることはない。アメリカは相変わらず全
世界で人を殺し続ける「殺人国家」ではないか。それに追随する日本はい
ったい何なのだ。

この日は私の69回目の誕生日。ピースウォーキングで6キロ歩いた後、プ
ールで少し泳いで遅い昼寝。起きると慶良間諸島の夕陽も残照も消えていた。

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【5】《EACI会員からの投稿》
 小島正憲
 (株式会社小島衣料オーナー、アジア・アパレルものづくりネットワーク代表理事)
 「アジア読書録 vol.4『最後のフロンティア ミャンマーの可能性』』
 (松田健著、重化学工業通信社、2015、2)」
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昨今の多くのミャンマー紹介本と違い、著者の松田健氏はこの本で、ミャンマーの未来をバラ色には描いていない。たとえば、松田氏は、多くの日本人から好感を持たれ、ミャンマーの救世主のように見られているスーチー氏について、 「スーチー氏はミャンマー建国の父とも言えるアウン・サン将軍の娘として、権力欲が強く、“政治家になった以上は大統領を目指すのは当然”と語っている。オバマ大統領も訪問したスーチー氏の大邸宅は兄弟で財産相続でもめているという。ミャンマーの人々が決めることではあるが、スーチー氏は大統領になる器だろうか?」

 と、疑問を投げかけている。そして、ミャンマーの最近事情について、

「ミャンマーでは労働者の売り手市場になってしまったので、いつ転職されるかわからない不安がある。賃金も大幅に上げざるを得ない。ミャンマーに進出する日系企業間では日本語通訳の奪い合いの状況が続いている。ミャンマーでは土地代がすでに高騰して工場団地の土地代が東京の住宅地よりも高く、現在のヤンゴンのホテル、オフィス料金は、バンコクよりも数倍高い。法律面の整備の遅れ、人材欠如、通訳料金が高いことなどからミャンマー投資を諦めたり延期を決めたところもある。ミャンマーに製造業が投資するには現状の投資環境は不適格だと言わざるを得ない」

 と結論付けている。ミャンマーでの人手不足などについての松田氏のこの指摘は、貴重である。  それでも、そのミャンマーに「日本企業は法の未整備で安心して契約できないなどとしてたじろぐケースが多い一方、中国や韓国企業は“法制度が未整備だからこそ融通を効かせてもらえるビジネスチャンスだ”ととらえ」続々と進出しているとして、日本企業の臆病さを指摘する。たしかにその指摘は当たっている。
 松田氏はミャンマーの各地に足を運び、最近の状況を詳細に書き込んでいる。ムーセ、モンユワ、ピー、パティン、ダウェイ、ミャワディなどの各地のレポートは参考になる。私もそれらの現地に調査に行ったことがあるが(ただしムーセとミャワディを除く)、私の眼中にはまったく入らなかった場所にまで、松田氏は足を運んでおり、驚かされた。逆に、私が強い関心を抱き、調査した場所に松田氏が行っていないこともわかり、少し気分がおさまった。松田氏はダウェイについてのレポートで、「ダウェイは海水浴もできる浅いビーチだからそこを掘って深海港を造らなくてはならないという地形的ハンディがある」と書いている。私もダウェイの現地を見たとき、ここは深海港ではないと見て取った。私は今まで、ダウェイについての調査報告で、このような指摘にはお目にかかったことがない。この点から判断して、ジャーナリストとしての松田氏の目は鋭いものだと思う。
 ただし、ヤンゴン周辺の縫製工場の調査報告については、掘り下げ不足であり、事実誤認も多い
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【6】《連載》検証・フテンマ(琉球新報より)
 第2部 官僚の壁 vol.12 「地位協定改定」
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 米ワシントンのレストランで、2009年8月に開かれた日本の衆院選見
通しに関する在米日本大使館職員による非公式の説明会は、米議会議員
の秘書に唐突に呼び掛けられたものだった。
 秘書らは同月末から米シンクタンクが主催する約1週間の日本視察に関
する予定だった。東京や大阪、京都を訪れ、日米関係ほか日本の政治や
経済、企業動向について学ぶ計画だった。
 大使館職員はどこからか議員秘書らの訪日予定を聞きつけ、日本につ
いて説明したいと一人一人に電子メールで申し出た。
 説明会では2人の大使館職員のうちの「先輩」が、政権の座に就く見通
しとなっていた民主党がマニフェスト(政権公約)で在日米軍再編見直
しを掲げていることに強い懸念を示し、日米地位協定の改定提起公約に
ついても言及した。
 「民主党は(地位協定改定で)本質的に夢を見ている」
 こう断じた後に続ける。「(改定されれば)米国は世界中の国から再
交渉を求められる。(米国は)日本との再交渉には応じないだろう」。
日本側から、地位協定改定は実現し得ない課題のはずだと米秘書らに理
解を求めた。
 〈ワシントンでの日本大使館の役割は、仮に彼らの政府が望んでいな
い場合でも、ひたすら米国にこびへつらうことなのだ〉
 参加者の一人はこう思った。日本に詳しくない米秘書らの間に、「な
るほど」という空気が漂っているようにも映った。
 大使館職員が説明会で、普天間移設の日米合意を変えるべきではない
と主張したり、地位協定は改定できないとの認識を示唆したりしたこと
が、日本の民主党政権の政策に直接影響が出たとは思わない。その参加
者は後に本紙の取材にそう語った。ただ「(日本の官僚の)雰囲気が分
かる興味深い場面だ。日米同盟をガイムショウは自分のものと思ってい
るのだろう」とも感じたという。

民主党政権時代、普天間の移設先探しに関わった政界関係者には外務
省、防衛相に対して「県外、国外移設を積極的に検討しようという意思
は全く見られなかった」(元社民党政審会長・阿部知子)などと根強い
不信感が残っている。
 移設検討作業に携わった与党関係者や周辺の証言から浮かび上がるの
は、曲折はありながらも、県外移設の検討を正式に表明していた政権中
枢に最初からそっぽを向いていた官僚たちだ。
 官僚や与党幹部らに官僚たちは実際どうアドバイスし、県外・国外移
設についてどう向き合っていたのか。
 「外務省内部から、普天間は現行計画を進めるべきだと強い進言はあ
ったのか」。インタビューを申し込んだ本紙に対し、当時の外相岡田克
也は事務所を通して「生々しい話なので取材に応じられない」との回答
を寄せた。(敬称略)(「日米廻り舞台」取材班)琉球新報提供

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