『火垂るの墓』というのは、原作者の野坂 昭如(のさか あきゆき)というオッサンが試写会から逃げて「もう二度と見たくない!」と言ったので有名な映画です。
原作者が子供のころにあった、本当の話なんですね。
実際と違うのは、主人公が死ななかったところだけです。
「後に主人公は文学者になって、野坂昭如になりました」というところだけが違うんです。
物語では、母親が入院してしまって、“清太”と“節子”の二人の兄妹は親戚の家で暮らすことになりました。
でも親戚の家とはあまり仲が良くなくて、清太と節子は二人で家を飛び出しちゃう。
それで防空壕で暮らし始めるんですけど、お兄さんの清太は今で言う“コミュ障”なんですね。
大人の人と、うまくコミュニケーションが取れない。
おそらく、お父さんが海軍の偉い人だったので、プライドが高すぎて、他の人と話をする事が、あまり出来なかったんです。
なので、あまりご飯を食べさせたもらう事が出来ず、親戚の人に冷たく当たられて、ついつい外に飛び出してしまった。
妹の具合が悪くなったとき、妹をお医者さんに診せることは出来たんです。
そして、お医者さんに「栄養のあるものを食べさせなさい。」って言われた。
そのときに「どこにそんなものがあるんだ!」「どうやればいいんだ!」
そう心の中では思うんだけど、お医者さんに相談が出来ないんですね。
そのまま、帰ってきてしまう。
結果的に、節子は死んでしまうんです。
節子は、貧しくて死んだんじゃないんですよ。
映画の中でも語られているんですけど、清太はお母さんから、いざと言うときのために預かった銀行口座があったんです。
その中には、七千円も入っていたんですよ。
当時は、「五百円生活」って言われてて、「五百円あれば、一ヶ月暮らしていける」って言われてました。
なので、貨幣価値は現代の100分の1ぐらいだと思ってください。
つまり七千円というのは、七十万円ぐらいの値打ちはあったんです。
なので、清太は節子にご飯を食べさせる事は出来た。
医者に診せることもできたぐらいです。
だから、飢え死にさせることは無かったんですね。
でもそれは、後から見ている「金を払えば物が買えることが当たり前の僕ら」だから言える事なんです。
当時は、お金はあっても、物が売ってないんですよ。
物が欲しければ、物々交換をしないといけない。
物を買おうと思ったら、どこで物を売っているのかを教えてもらって、そこに行って買わないといけない。
だけどコミュ障の清太には、そんな能力が無いんですね。
銀行にお金はあるんです。
だけど、「これは、どうしたらいいんですか?」と人の頭を下げて聞くことも出来ない。
「妹のために、ご飯を盗んできてやろう!」と、行動は出来るんです。
そのときに見つかったら「すみません!すみません!」って殴られる事も出来るんです。
だけど「妹が飢え死にしそうなんです!助けてください!貯金はあります!」って、人に頼ることが出来ない。
結局、僕は“貧困”っていうのは、『火垂るの墓』みたいな状態だと思うんですよ。
お金が有るとか無いの問題ではない。
そのお金を使うことが怖くて、自分を追い込んでしまう。
今の言葉で言うと“情弱”かもしれない。
清太は“コミュ障”かもしれない。
だけど、どう振舞えばいいのか分からない結果、妹が死んでしまう状況なんですね。
決して戦争が悪いわけではない。
貧乏が悪いわけではない。
自分の頑なな心とかが、妹を死に追いやってしまうという。
清太がいたのは、明らかに“貧困”なんです。
つまり「貧しくて困っている状態」ですね。
でも、その困っているのが「貧しいが故」ではないんです。
「貧しさ」とか「自分が弱者だ」とか「何も知らない子供だ」という結果、動きが取れなくなった。
本来だったら七千円の貯金があったんです。
絶対に、二人とも戦後の世界を生き延びれたハズなんですよ。
それが見えなくなった「視野が狭くなってる状態」というのが、“貧困”の恐ろしさだと思います。