ハロウィンって、「リア充じゃない私たちは素直に楽しめない祭り」と言われてますね(笑)。
「リア充じゃない私たち」と言いましたけど、僕もリア充では無いです。
僕のことをリア充と思ってる人は「リア充」の定義がズレてると思うんですよ。
「この世の中のすべてのことを、自分は楽しむ権利がある」と、無条件に思える人がリア充。
これが僕の「リア充」の定義です。
「リア充」の対語として、「非モテ」という言葉を考えてみましょう。
非モテというのは、この世の中のいろんな事に対して「自分には楽しむ権利がないから行けない」
と思ってる人が「非モテ」だと思うんです。
なので、ハロウィンに行こうと思ったら行ける人はリア充。
「私なんか、行く権利ないから」と言われたら「権利とか関係ないよ、行こう」と言える人はリア充なんですよ。
自分が行かないにしても。
あとプールや海に行く時もそうです。
「私なんか、そういうところに行けるほどスタイル良くないし」
「みんなに見られるの恥ずかしいし」
そんな権利関係で考えちゃうの人が、非モテだと思うんです。
「リアルな生活が充実してる人がリア充」という考え方は、ニュース番組とかで、おじさん・おばさんに解説する時の言い草なんです。
「オタク」の定義も、自分たちオタクと、社会から見たオタクとは絶対に違いますよね。
社会から見たオタクって「暗くて人と喋れない人」ですよね。
でも、僕らはそれをもっと細かく「コミュ障」とか色んな言葉で表現するじゃないですか。
オタクはオタクで「あいつは本当のオタクだ」とか「にわかだ」とか、すごく分類して話すんです。
パリピも、「パリピになれる人」と「なれない人」の差っていうのは、はたから見たら全然ない。
「おもしろそう、行く行く」と言えるのがパリピ。
それは「ノリがいい」って言われるんだけど、そうじゃない。
僕らオタクは、ノリが悪いわけではなく、そういうのに対して資格があるような気がしちゃう。
たとえばホテルのプール。
ああいう高級ホテルのプールでも、お金さえあれば、行ける人。
お金があっても行けない人っていると思う。
「お金さえあれば、行くよ」って人は、リア充だと思う。
家族の中でも、お父さんだけが非モテで、残り全員がリア充ってパターンもあると思う。
リア充の家族に「お父さん。休みの日にディズニーランド連れてって!」って言われて「オレなんかがディズニーランドに行ってもいいのか?」と考えてしまって、なかなか行けない人もいると思う。
でも、「子供ができると世界が広がる」って言われるんですよ。
子供ができると「子供と一緒に行く」というミッション・仕事になるので、リア充っぽいことができるようになる。
結果、「子供できたおかげでリア充になった」って言われる。
でもそれはミッションだから。
仕事として行ってるから、行けるようになったんだと思います。