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「【捨てられないTシャツ・シリーズ】庵野監督vs赤井監督 作品をめぐる戦い」
制作途中で、庵野監督は『超時空要塞マクロス』を手伝いに東京に行ってしまいます。
2月のことです。
毎日店を開けて、毎日レジを打って、おまけに商品の企画も全部 僕がやってました。
一緒にやってた武田さんなんて、なかなか来ないから。
で、Tシャツ屋さんとかグッズ屋さんとかに電話かけたり、実際に行ったりして交渉して、商品発注もやって、アメリカに年に4、5回、おもちゃとかの買い出しに行ったりもしてました。
というのも、『帰ってきたウルトラマン』って実質、作っているのは赤井孝美なんですよ。
現場でカメラを回すのも赤井だし、セットの作りの指示も赤井だし、ミニチュアワークとか特撮監督をやってるのも赤井。
スタッフに対する励し役も赤井、役者に対する演技指導も赤井、すべて赤井なんですね(笑)。
「庵野くん、これでいい?」って言ったら、庵野は、「うん。」って言うだけ。
庵野秀明が『帰ってきたウルトラマン』でやったことで一番 大きい事って、ウルトラマンを演じたっていうことと、絵コンテを書いたことだけです。
「庵野、これはアニメの動き方だ。特撮ではムリ」って。
アニメだったら1フレームの中で戦闘機がこう飛ぶっていうのは、自由自在なんです。
「ミニチュア特撮の場合は、物理的属性というものに、すごく制限されるだろ!」 って。
「そうするとお前が狙っているような画は撮れない!」
それでも最後の編集は庵野に任せようと思って任せたわけです。
当時、流行った映画『八甲田山』にちなんで、“ウルトラマン死の峠”と僕ら呼んでたんですけどもね。
それで正月明けに「どうしようか」ということでみんなで話し合って、みんなから「岡田さん、庵野君をクビにして下さい。」って言われたわけです(笑)。
庵野君はものすごくショックだったらしく、そのあと喫茶店のカウンターで、マジで半日間、動かなかったです。
もともとの〆切だった東京のSF大会には間に合わなかったけど、冬の間に上映会をすることができて、DAICON4の宣伝という名目は果たせたわけです。
それまで色物扱いだった我々DAICONFILM は、一気にアマチュア映画界のトップに躍り出ることができました。
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