永井豪の評価が低いっていうのは、時系列としてマンガを捉えているかどうかっていうのに関係してるんだよね。
前に、みなもと太郎 先生が来たときに言ってたんだけども。
まず手塚治虫の凄さっていうのは、あの時代のマンガの状況を見てて、あの表現がいきなり出て来たところに凄さがあると。
だから、今 見ても実は凄さがあまり分からないと。
ところが、永井豪の凄さっていうのは、『マジンガーZ』っていうアイデアとか、『デビルマン』っていうアイデアとか。
あと、お話の組み立て方とかも含めて、当時 見た感じと今 見た感じが、そんなに変わんないんだよね。
だから石ノ森章太郎の天才さは、手塚治虫と同じように、ちょっと時代性に関係してるから。
たぶん石ノ森章太郎と手塚治虫は、漫画業界の人が「天才だ!」と言ってあげないと、後世の人になかなか分かりにくいんだよね。
・・・
漫画作品だけで見たら、実は手塚治虫って、あんがいヒット作が少なくて。
あとで書き換えとかしてるから、けっこう見苦しい作品も多いんだよね(笑)。
『三つ目がとおる』なんて、この間やっと完全版が復刻で出るって告知が出てて、それぐらい連載から単行本にされる時でも、手塚治虫がどんどんどんどん変えちゃったという。
それぐらい時代に乗ろうと、ちゃんと今の時代っぽくしようとしてた人だからさ、それが後になると、もう原版が分からなくなっちゃってるんだよね。
だから手塚治虫は、ちゃんと時系列で評価しなきゃいけないと。
ところが永井豪は、漫画家というよりは、途中から原作者になってきちゃったところがあるわけでしょ。
『激マン!』っていう、永井豪の『アオイホノオ』があるんだけども、それを見たら分かるんだけど、『マジンガーZ』なんて、最初からアニメ化を目指して描いてる。
「アニメ化してくれない」という理由で、出版社を変えるというぐらいの荒技を取ってるんだよ。
つまりもう永井豪にとって、あるときから“ダイナミックプロ”というプロダクションから作り出していく作品っていう、その作り方がメインであって。
別に自分がペンにインクをつけて描く“漫画”っていう表現に関しては、一番 大事かも分かんないけど、もう“一番 大事”程度になっちゃったんだよな。
・・・
漫画作品としての評価は、永井豪の方が高いんだよ。
手塚治虫と永井豪の漫画の どれかを持って旅に出るとかリゾートに行くっていったら、俺は絶対にそれは永井豪を取るよ。
永井豪を持って行って、『凄ノ王(すさのおう)』でも『バイオレンスジャック』でも『デビルマン』でも『あばしり一家』でも、何でも。
今、持って行っても、絶対に面白いもん。
でも、手塚治虫の何を持って行くかっていったら、正直、「いや、別にいいです」っていう作品が(笑)。
たぶん今 見ても、「これは本当に面白いな」っていう手塚治虫の漫画って、『ワンダー3』と、『どろろ』と。
僕にとってはだけどね。
・・・他はあるかな?
『どろろ』の面白さは格別なんだけどな。
あとは『ブラックジャック』の10巻ぐらいまでかな。
そこら辺だったら見るんだけども。
永井豪って、本当に半分ぐらいの作品が、いまだに見て面白い。
でもそれは「面白い」であって、漫画家として天才だったかというと。
他にいろんな漫画家がいるところから永井豪が生まれてきたのと、そんなコマ漫画を描いている人間が誰一人いない、いわゆる“漫画”っていうと、一コマ漫画か、横一列の“ストリップ”と言われる『スヌーピー』とか、そういう漫画しかほとんど無かった時代に、いきなり映画的技法を持って、今の漫画の形をゼロからドンと作っちゃった手塚治虫の天才さっていうのは、ちょっと格が違うといえば格が違うんだ。
ただ、それを比較対象として“手塚治虫”と“永井豪”を比べるから、こういう話になるのであって。
そこに江川達也でも、島本和彦でも、誰でもいいよ。
知り合いばっかりで申し訳ないけど(笑)。
今の漫画家を持って来たら、「手塚治虫に比べれば、永井豪は・・・」って言うけども、他の漫画家は全部、この辺(※)だから(笑)。
※
─────────────────────────────
上
・手塚治虫
・永井豪
・他の漫画家たち←この辺
下
─────────────────────────────
そこは、あんまり気にしなくても、いいんじゃないのかな。
「手塚治虫と比べると」という意味だからね。
コメント
コメントを書く手塚治虫が神ならば永井豪は魔人