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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/06/15
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今回は、ニコ生ゼミ6月3日(#233)から、ハイライトをお届けいたします。

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 日本人は信用するな!? ウォルト・ディズニー大激怒


 1970年の9月に、今の所日本で一番大きいイベントである大阪万国博が終わりました。

 それでまぁ、万国博に関わった人間っていうのは、すごい虚脱感があったんですよね。

 虚脱感があると同時に「次は何をしよう?」と。


 60年代には東京オリンピックがあって、70年に大阪万博というのがあったから。

 とりあえずデペロッパーと呼ばれる人たち、もしくはエンターテイメント産業の人間は「とりあえず次に僕たちは何をやればいいんだ?」というふうに、あっけにとられたんですね。


 1970年の日本の万博を作った、それぞれのパビリオンを作った人たちっていうのは、実は、ほぼすべて全員、カリフォルニアのディズニーランドに行ってるんですよ。

 ちょっと、ドンドン遡って悪いんですけども。

 なんでカリフォルニアのディズニーランドに行ったのかっていうと、1969年にニューヨーク博っていうのがあって、このニューヨーク博の人気アトラクション ベスト4が、すべてカリフォルニアに移植されたんですよね。


 本当を言えば日本の万博を担当・実行する人たちっていうのは、ニューヨーク博に行きたかったんですよ。

 でもニューヨーク博は64年で、もう6年も前に終わっているから、そのころは大阪万博の準備は始まってなかった。

 なので仕方が無いから、「じゃあ64年のニューヨーク博のアトラクションがそのまま残されてるカリフォルニアのディズニーランドへ行ってみよう」と。


 それで日本の万博を開催する人たちは、ほとんど みんな、なめて行ったそうなんですね。

 「“ディズニーランド” って遊園地があって、そこにまだアトラクションがあるそうだから、動いていりゃいいな」と思って、なめて行ったらですね、全員「すごい!」ってなって帰ってきた。

 それで「あのディズニーランドって凄いよ!」という事になった(笑)。


 あの日本の70年代の大阪万国博って、もっと真面目な展示会のはずだったんですって。

 それが みんなディズニーランドを見ちゃったもんだから、「ああでなきゃいけない」と思い込んでさ(笑)。

 それで1970年の日本の万国博っていうのは、展示もあるんだけども、一大エンターテイメント産業みたいになっちゃったんですね。


 それで「アレ(ディズニーランド)を何とか日本に持って来れないか」と。

 「ま、万博が終わっちゃったから、いよいよカリフォルニアのディズニーランドを、そのまんま日本へもって来れないのか」というふうに、みんな思うようになってですね。

 ほぼ同時の1971年、大阪万博の翌年に、三菱と三井は それぞれ別々に行動しました。


 お互いに知らないです。


 三井と三菱が、それぞれ「これ、ウチだけのはずだ!」と思いながら、ウォルト・ディズニー・プロダクションにコンタクトをして、「ディズニーランドを日本に作らせてください!」と言い出しました。

 しかし、両者とも門前払いにあいます。

 もう一発で「ダメ!」と言われます。


 なんでかっていうと、1961年ですね、「日本人は信用するな!」というウォルト・ディズニー大激怒事件というのが起こっているからです。


 原因は、この “1961年” で分かった人もいるかと思うんですけども、当時、関西の奈良に “奈良ドリームランド” というのがあったんですね。

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 で、これがもうメチャクチャ “ディズニーランド” のパクリなんですよ(笑)。

 ものすごくソックリに作っちゃったんですね。

 たとえば今はもう本当に廃墟なんですけども、廃墟になってもまだソックリなんですよ。
 
 奥にお城が見えて、真ん中にメインストリートがあって、というですね。

 本当に本国のディズニーランドにソックリに作ってるんですけども。

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 1950年代の後半です。

 カリフォルニアのディズニーランド自体の開園が1956年だから、開園して2,3年後ぐらいに松尾國三(まつおくにぞう)さんという元歌舞伎役者の実業家がアメリカのアナハイムにあるディズニーランドに行って、ウォルト・ディズニーに直接 面会しています。


 それで、その時に交渉したんですね。

 「日本に作らせてください!」と。


 その当時、アメリカは敗戦国・日本のことを信用していなかったので、「いや、そんなこと言っても、お前の国じゃ無理だよ」って言うんです。

 でも松尾さんは諦めなかった。

 それで、とにかくウォルト・ディズニーは「じゃあ、その時が来たら必ず力になるよ」と約束してしまったと。


 ウォルト・ディズニーは いい人だから、口では言うんですよ。

 で、あとでお兄ちゃんのロイが来て、「弟は あんな事を言ってましたが・・・」って言うんですけどね(笑)。

 ところが、そこら辺が日本人の松尾さんには通用しなかった。


 松尾さんにしてみたら「社長の俺が来て、ウォルト・ディズニー社のウォルト・ディズニー本人と会って、トップ同士が意気投合したんだから、もうこれでいいだろう」という事になったんですね。


 その時は まだウォルト・ディズニーも、ディズニー社も、この奈良にディズニーランドを作る松尾さんに悪い印象を持ってなかったらしいんですね。

 しかし、松尾さんがこの半年ぐらい後に技術者を連れてもう一回来たんですよ。

 それでディズニーランドのそこら中で、もう本当に巻尺を出して寸法を測りだしたんですね。

 それで凄く熱心に研究をしてたので、ウォルト・ディズニーも結構 感動しちゃった。

 奈良のドリームランドっていう遊園地を作るときには、ディズニーランド側から技術者を派遣までして、ちょっとサポートしてあげたそうなんですよ。


 ところが、ここまでソックリのものを作るとは思ってなかったし、正直に言って日本人がここまでソックリのものを作れるとは思ってなかったんですね。


 ウォルト・ディズニー側としては「いやいや、形だけは真似る事が出来るかも分かんないけども、こんなふうにディズニーランドの構造自体は出来るはずが無い」と思ってた。

 すごく大きい場所にメインストリートを作って、その奥にお城を作ってという。

 だけど奈良にかなり精密に作れてしまった。


 ニセモノと言えるかどうかも分からないんですよ。

 というのも、この松尾さん側にしてみれば、ディズニー本人と会って、技術者まで派遣してるんだから。

 「結局、俺たちが“ディズニーランド”と名乗れなかったのは、権利問題でパーセンテージの話がつかなかっただけだ!」というのが松尾さん側の主張。


 ディズニー側としては、「社長のウォルト・ディズニーが仲良くリップサービスしたかも分からないけども、肝心のコントラクト(契約)に至ってないんだから、お前のやったのはあくまでもパクリ行為だ!」という事になるんですね。

 で、実際のウォルト・ディズニー自体はですね、奈良に出来たドリームランドの写真を見たら、激怒して「もう二度と日本人なんかと仕事をするか! あいつらは絶対に信用しない!」と怒鳴ったそうなんですけどね(笑)。


 で、これのおかげで、日本側のディズニーランドの誘致っていうのがメチャクチャ難しくなっちゃった。

 三井が行っても、三菱が行っても、まずウォルト・ディズニーの側に断られたっていう。

 「だって お前の所、ほうっておいたら奈良みたいな事をやるだろう!」って言うんですけどもですね(笑)。


 で、松尾さんは この後 調子に乗って、奈良だけではなくて横浜にもドリームランドを作ってですね、モノレールの大船線ってヤツも開通させたんです。

 ところが本国の東京ディズニーランドが1980年に来ちゃったので、このドリームランドの経営は悪化します。


 で、1990年にダイエーに売却して、2002年に横浜ドリームランドが閉鎖されて、2006年に奈良も閉鎖されました。

 それで、ついこの間まで奈良のドリームランドって廃墟で残ってたんですけども、2016年の一昨年に、最大の売りであった “サスケ” っていう木造のジェットコースターも潰されてしまって、今は更地になるのを待っている状態ですね。

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 本当に廃墟になっています。


 という事で、「ディズニーランドを日本に作ろう」という試み自体は、公式には1971年から始まったんですけども、非公式・民間レベルでは実はその10年も前の1960年代から始まったと。

 でもそれは、始めた松尾さんが あまりにも慌てたというか、せっかちにやって許可も取らずに作っちゃったもんだから、ディズニーを激怒させる事になった。


 それで、そこから10年後に本格的に三井と三菱それぞれがお互いの社運をかけてプレゼンする時には、すっかりディズニー社は「えぇ~、日本人が本当にディズニーランドを出来るの? お前ら、金払うの?」という疑いの目で見ていたという事ですね(笑)。
  
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