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「 “義経” 化して行ったゴジラと、当時の特撮ファンたちへの最適解である『シン・ゴジラ』」
…こういうことを言うのもいちいちナンなんですけど、1970年代の末には、すでに “ホームプロジェクター” があって「『水戸黄門』をホームプロジェクターで見る」という、なかなか贅沢なことをしておりました。
だから、「岡田さん、その『ゴジラ』をどうやって手に入れたんですか?」というところから始まって、「岡田さん、その『ゴジラ』を、なんとかしてダビン……」というような話とかがありがながら(笑)。
まあまあ、ウチの家でですね、みんなで見ることになるわけですよ。
それに対して、庵野秀明は「本当のゴジラはどう動くのか?」と、もう、ただただ、劇中でのゴジラの動きというのを自分で真似て動いてるんですね。
どんな小さな動きも残らず全部拾った上で、自分の中に取り込もうとするんですよ。
赤井孝美が「どうやって作るのか?」という方法を理解することで自分の中に入れるのと同じように、庵野秀明の理解の仕方というのは「お経を写経する」のと同じなんですね。
なんか、そういうアプローチだったんです。
なんか “メガロ” という怪獣と、“ジェットジャガー” というやつが映ってて。
ゴジラもちゃんと出てくるんですよ。
出てくるんですけど、なんかね、ストーリーに関係してはいるものの、後期の『男はつらいよ』の寅さん的なポジションなんです。
後期のフーテンの寅さんって、段々と寅さんが世話をする若者たちの話になって、寅さん自身は狂言回しになることが多いんですけど、ここでのゴジラの立ち位置もそうなんですよ。
みなさんにも是非見てもらいたいので、今、僕が言うのもなんですけど、最後の決戦で、メガロとジェットジャガーが戦う場所が富士山の麓の巨大な野っ原なんですよ。
なんと、ゴジラはテクテク歩いて来るんですよね。
無限の彼方からゴジラが歩いて来て「ゴジラだ!」って言ってたら、ちょっと駆け足気味になる。
「お前はオールスター運動会にギリギリ間に合ったタレントか!」って感じですね(笑)。
その後、ゴジラは戦って勝つんですよ。
で、映画のラストシーンでも、まさかと思って見ていたら、ゴジラはやっぱりテクテク歩いて帰るんですよ。
富士山の麓から(笑)。
もうね、このシーンを見るだけでも、この映画を見る価値はあります。
まあ、それくらいしか見るところがないんですけど、まあまあ『ゴジラ対メガロ』というのは、そんな作品です。
パッケージを見てください。
またもやゴジラが映っておりません(笑)。
もう、あの、本当に、なんでしょうね “メカゴジラ” はカッコいいんですよ。
映画はダメなんですけど、メカゴジラはカッコよかった。
これが昭和ゴジラの最後の作品になります。
この後、1984年のゴジラ復活までゴジラ映画は撮られなかったんですけど。
『メカゴジラの逆襲』では、一応、パッケージにゴジラが写ってるんですけど、もう、悪役の “メカゴジラⅡ” と “チタノザウルス” にやられてガックリしているゴジラという、かなり情けない状態になっている。
こういった、一応、主役として登場はするけど、さしたり用もなかりせば、これにて御免、みたいな話なんですね。
どんな芝居であろうとも、必ず源義経が出てくる。
もし出てこなかったら、観客が「くろうどの!」とか「よしつね公!」と呼んだりするんです。
すると、三味線の音がジャンジャンと変わり、源義経が出てくるんですね。
ところが、出てきたところで、舞台でやっているのは義経とは全く関係ない劇なんですよ。
なので、出てきた義経はどうするかというと、いきなり隣に置いてあった椅子にちょこんと座って、客のみんなと一緒に劇を見るんですね。
で、それが何分か続いて、ほどよい頃に、登場人物の1人がこう言うんです。「さしたり用事もなかりせば、奥の一間へお下がりください」と。
これで観客は拍手喝采、と。
『風雲児たち』にも、わりと「さしたり用もなかりせば、これにて御免」というキャラクターが出てくるんですけど、たぶん、もう、なんのことか全然わからなくなっています。
「もともとは團伊玖磨のエッセイ → それを読んだ手塚治虫の漫画 → それを喜んだみなもと太郎」という構造になっているんですけど。
「さしたり用もなかりせば、これにて御免」と言って、歩いて帰るような状態ですから(笑)。
まあ、テレビのトーク番組とかにも、別に話もないし用事もないんだけど、前の方にいる大御所の芸能人とかスポーツ選手とか俳優さんとかがいるじゃないですか。
ほぼ、そのポジションになっているのが、昭和後期のゴジラだったんですね。
でも、この面白さというのは、さっき言った「ゴジラが山の向こうから現れたヌッと現れた時のあの感じは、当時はどんなふうに受け止められていたのか?」とかを知っていないといけないんです。
最初の『ゴジラ』のシナリオを書いたのは香山滋という人は、古生物学にすごく詳しいはずだから、7千万年前のジュラ紀を「100万年」と間違えるわけがないんですね。
では、この「100万年前ジュラ紀と呼ばれる時代に生まれたゴジラ」という台詞は何を意味しているのかというと。
100万年前というのは、ちょうど当時の類人猿学や人類学とかで “人類が生まれた年” というふうに言われていたんですね。
つまり、この映画の中で描こうとしているゴジラというのは、太古の恐竜ではなく、人間そのものなんです。
そこら辺をすっ飛ばして見ると、もちろん、映像的にはメチャクチャカッコいいんですけど、ストーリー的にはちょっとタルい感じになっちゃうわけですね。
なので、こんな感じで、最初の『ゴジラ』というのを、ジブリ作品でやってるようにフリップを出しながらガンガン説明したら、かなり面白く見てもらえるようになると思うんですけど。
そんなことをやってるわけにも、なかなかいかない。
やらなきゃいけない映画もあるので。
「なんでガッカリしたのか?」とか、「その後、ゴジラシリーズはどうなったのか?」については、いずれ話しますけど。
『シン・ゴジラ』というのは、この時代にガッカリしていた特撮ファンが、わりと望んでいた「今、『ゴジラ』を作るんだったら、これしかないだろう」という、よく出来た解答だと思います。
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