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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/04/04
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今回は、ニコ生ゼミ03月24日(#274)から、ハイライトをお届けいたします。

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 【コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史 1 】 麻薬中毒者が作った黒い飲料、その名も “コカ・コーラ” !


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タオルくん:
 でーん!
 コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史その1。

 「麻薬中毒者が作った黒い飲料、その名は“コカ・コーラ”」!


岡田:
 ということで、「コカ・コーラは麻薬中毒者が作った」という話なんですけども。

――――――

 今年の1月に、僕、アトランタ行ってきました。

 アトランタの中心地の元オリンピック会場の隣という、ものすごくいい場所に、このコカ・コーラ博物館があります。

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 その中では、コカ・コーラを始め、いろんな飲料が飲み放題です。

 アトラクションの最初には “コカ・コーラ クイズ” っていうやつがあって、コカ・コーラにまつわるクイズが出てくるんですね。

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 たとえば「Q1.コカ・コーラが創業されたのはいつ?」みたいに、創業年度をいきなり聞かれるというマニアックなクイズで。

 正解は、もちろん選択肢1の「1886年」なんです。


 じゃあ、なんで1886年なのか?

 なぜ、アトランタという、言っちゃ悪いけどアメリカの中でも何もないような土地で、コカ・コーラが創業されたのか?

 そこから話をしていこうと思います。

・・・

 1886年、この時代アメリカは「建国以来、最大の国難」と言われた “南北戦争” が終わったところです。

 南北戦争というのは、1861年から65年に「奴隷制をどう思うか?」という考え方の違いによって、南部の11州が合衆国を脱退したことで戦争になりました。

 まるで、今の “ブレグジット” (イギリスのEU脱退)みたいなもんですね。


 この南北戦争なんですけど、英語では “シビル・ウォー” というふうに言います。

 アベンジャーズの『シビル・ウォー』と同じ。

 もちろん、これが元ネタになってるわけですね。


 アベンジャーズで、「強すぎる力は責任を伴う。その責任を個人が取れるか? ……取れるはずがない。なので、民主主義の判断に従うべきだ!」と考えるアイアンマン・トニー・スタークたち。

 彼らはアメリカの民主党みたいな考え方を代表しています。

 それに対して、「そうじゃない。強すぎるパワーであっても、それぞれ個人が責任を取るべきだ! 個人主義に戻るべきだ!」というキャプテン・アメリカたちは、共和党的な考え方の上に乗っかっています。

 なので、こういった、どっちが正義とも言えない2つの考え方の対立で対戦したシビル・ウォーというのは、アメリカ人の根本にある考え方というか、こういった対立というもの自体が価値観になっているんですね。


 歴史上の南北戦争は、1861年という、日本で言う幕末時代に始まって、4年間で終わりました。

 その決定打となったのが “アトランタ攻略戦” です。

 アトランタ攻略戦というのは、ジオンで言えば、まさにジオン本国の攻略みたいなもんなんですよ。

 ジョージア州の境に流れているテネシー川というア・バオア・クー要塞を抜かれた時点で、もう南軍の敗北は決まったも同然なんですね。

 太平洋戦争で言えば「東京大空襲が始まった」みたいなもんです。

 アトランタは北軍の最終目標地点で、1864年11月に、北軍がアトランタの街に火を放ったことで、ついに “アメリカ連合国” (南軍)は降伏しました。


 コカ・コーラが誕生する1886年というのは、その20年後くらいなんですけど。

 南北戦争の後、アトランタって10年くらい焼け野原で、本当に何もなかったんですよ。

 そこで、新しく生まれ変わったアメリカ、ようやっと、また1つになったアメリカは、国民へのアピールのために史上最大の復興予算を、廃墟となったアトランタの街に注ぎ込みました。

 その結果、アトランタというのは、一気に元の姿……というか、元よりも、ずっと華やかで派手な姿に生まれ変わりました。

 そういう時代なんですね。


 すみません。

 まだちょっと、これは「なぜアトランタなのか?」を説明するための前振りなんですけども。

・・・

 南北戦争は2つの産業をアメリカに生みました。

 1つは新聞です。


 『風と共に去りぬ』という映画の冒頭では、「南軍北軍のどちらが正しいか?」という意見を戦わせるため、いろんな男たちが激論しているんですけど。

 ああいう激論が生まれる土壌というのは、アメリカに新聞というのが広がったからなんですね。


 新聞は、同時に「今、どっちが勝っているのか?」とか、あとは「今、どこまで攻め込まれているのか?」、「今、どっちが有利なのか?」ということを知るためにも、みんな、すごい読むようになりました。

 そんな新聞なんですけど、その新聞の最大のスポンサーだったのが “薬品産業” だったんですね。

 売薬というのが、その当時、新聞と一緒に、アメリカの大産業になりました。


 当時の新聞はですね、もう本当に1面こそニュースが出てるんですけど、2面から先は、ずーっと薬の宣伝ばっかり載ってるんですよ。

 それも、怪しい、インチキな薬ばっかりです。

 なぜかというと、それが当時のアメリカでの、最も一般的な怪我とか病気への対応手段だったからですね。

 アメリカって、土地が広くて、医者が少ない。

 あと、戦争で大怪我をした人も多かった。

 だから、紙面の半分以上は、そういう怪しげな薬の広告ばっかりが載っていたと。


 南部のアメリカというのは、奴隷制に賛成していた代わりに、わりと上品な国として知られていたんですね。

 「南部美人」といえば、日本で言う “京女” と同じで、アメリカの男性の憧れの的でした。

 しかし、その象徴であるアトランタが一気に焼け落ち、そして再建されたアトランタは、以前、この街に住んでいた人が「あれ?」と思うくらい、拝金主義の街、それも、まっとうなビジネスというよりは、怪しい薬を売って儲けることばっかり考えている “金の亡者の街” になってたんですね。


 南北戦争の前は、経済的には、あんまり貨幣も流通してなかったんですけど。

 その代わり、奴隷経済による人手はいっぱいあって、“人の手による豊かさ” というのがあったんですけど。

 しかし、南北戦争の復興後は “お金による豊かさ” というのが大躍進しました。


 当時のアトランタを含め、南部の牧師さんの説教のお決まりのフレーズは、とにかく「豊かになること、金持ちになることは神の御心に叶う!」というものでした。
 
 つまり「南軍は戦争には負けたが、我々南部の人間が北部のやつらに負けたんじゃない! これから、ヤツらに南部の魂を見せてやれ! 北部のヤツよりも金持ちになって見返してやれ!」ということをアピールしてたんですね。


 アトランタは、そういった “新しく生まれ変わった拝金主義のアメリカ” の中心地でした。

 その当時のアトランタでは、「金を稼ぐこと」はもう全てが正しかったんですね。

 何をやってもいい、と。

 そこで、インチキ薬の総本山になったんですね。


 当時、本当に毎週、何十種類という新薬が発売されました。

 それも「リウマチが 一口 飲めば治る!」とか、「子供が出来なくても、3日間この薬を飲んだら、あっという間に妊娠する!」とか、「目が見えなくても治る!」とか、「耳が聞こえなくても治る!」とか、ものすごい嘘の薬。

 本当に「頭が悪いなら薬を飲め!」、「力持ちになりたいなら薬を飲め!」、「痩せたいならこの薬!」、「太りたいんならこの薬!」っていうのの連続だったんです。

 そして、アメリカで発売される、こういうインチキ薬の発売元の大半は、その当時の新聞広告を見たら「アトランタ」となっていたんですね。

 そんな薬を売り出すために新聞広告が利用されたので、さっきも言ったように、アメリカの新聞広告の半分以上が薬品の広告になっていたんです。

 それも、街の医者が勝手に作った、薬効もろくに確かめてもいないような、噂話だけの新薬だったんですね。


 医者が少なく、国土も広いアメリカでは、売薬産業というのが、今で言うITブームのような国家産業になりました。

 「薬は何もかも解決する」そういう時代だったんですね。

・・・

 そんな1886年という時代に、コカ・コーラは、このインチキと金儲け主義の街アトランタで生まれました。

 ちなみに、コカ・コーラ社がジョージア州アトランタ市にあるので、コカ・コーラ社が出している日本のコーヒーのブランド名も “ジョージア” と言うんですね。

 ジョージアコーヒーというのは、別に「ジョージア州で豆がとれたから」でもなんでもなくて、コカ・コーラが発売しているからジョージアなんです。まあ、これは今回の話とは関係ないんですけど。


 よく知られているように、コカ・コーラというのは、最初は “薬“ として売られました。

 それも「食欲不振や頭痛、体調不良や二日酔い、神経痛や男性機能回復などなど……」という、もう思いつく限り、ありとあらゆる素晴らしい効能があると、発明者であるジョン・ペンバートン博士は、広告の中で訴えています。

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 ペンバートン博士がそこまで言い切った理由は2つあります。

 1つ目は、この人、真面目にコカ・コーラのことを信じていたんですよ。

 「コカ・コーラを他の偽薬と一緒にしてくれるな! コカ・コーラはすごいんだぞ! なんせ、南米から取り寄せた当時最新のアルカロイド “コカの葉” というのを使っている!」と。

 
確かに、このコカの葉は他のインチキ薬とは比べ物にならないほど効き目があったんですね。

 元気のない男は働き出したし、毎日、頭痛を訴えていた御婦人も、たちまち朗らかになったんです。

 ……そりゃ、朗らかになりますよ、“コカイン” なんだから。

 もちろん、そういった効果は、コカの葉に含まれるコカインのおかげなんですけども。


 しかし、当時、コカインは非合法の麻薬ではなく、逆に「世界を救う究極の薬品」と言われていた。そういう時代だったんですね。

 これが、2つの理由の1つ目です。


 そして、このペンバートン博士が「コカ・コーラは素晴らしい薬だ! 万能薬だ!」と言い切った理由の2つ目なんですけど。

 実は、このペンバートン博士自身、未来がなかったんですね。


 博士は、南北戦争で受けた傷の痛みが深かったですよ。

 そして、そんな痛みを和らげるために、モルヒネの注射を毎日打ち続けていて、本人が重度のモルヒネ中毒者になっていたんですよ。


 ペンバートン博士自身、もう残された寿命は数えるほどもなかった。

 実際に、この人は、コカ・コーラを発明して2年後に死んでしまいます。

 その寿命が尽きるまでに、なんとか自宅にある化学薬品工場をもっと整えて、“奇跡の薬品コカ・コーラ” という、コカインを使った究極の薬を世に出したいと思っていました。


 コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史の その1 というのは、「コカ・コーラを発明したのは、麻薬中毒で死にかけている漢方医だった」ということだったんです。

――――――
岡田:
 ということで、わかったかな、タオルくん?

タオルくん:
 うーん、つまり、麻薬中毒者が麻薬を成分とするドリンクを作ったのだ!

岡田:
 まあ、そうなんだけどね。言っちゃたね(笑)。

 
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