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今回は、ニコ生ゼミ6月9日分(#285)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【『ひとの気持ちが聴こえたら』解説 1 】 まるで『アルジャーノンに花束を』が現実になったような話」

2300円+消費税で、ジョン・エルダー・ロビソンという、この治療を受けた本人が書いてます。
すごく文章が上手い上に、翻訳もいいので、Kindleでもさらっと読めました。
だけど、Amazonにも書評がまだ1つも投稿されていないので、読んだ皆さんは、出来れば書評を書いてあげてください。
その時に一言「岡田斗司夫ゼミで見たけど~」と書いてくれたら、僕はちょっと嬉しいんですけども(笑)。
その効果は、短い場合はたった15分間。
長くても数週間で消えてしまいます。
主人公のロビソンは他人の気持ちが分からず、これまで友達というのが出来たことがない。
どんなに仕事で成功しても、結局、自分には友達が誰もいなくて、パーティーとかに行っても、いつも爪弾きになってしまう。
こういう男に、果たして友達が出来たのだろうか?
そんな話です。
いいでしょ?
これ。

もう今、コメントで流れてる通りです。
ちょっと、このアンケートに答えてみてください。

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で、「読んだ」という人が3割くらい。
プレミアムの方でも、やっぱり同じですね。
まあ、「読んだことはないけどだいたい知っている」という人が少ないというくらいの差ですね。

この『アルジャーノンに花束を』というのは、今の数字を見て分かる通り、『ガンダム』とか『ドラゴンボール』と同じく、すでにあまり “共通言語” になってないんですね。
『ドラゴンボール』も同じですね。
オタク系に限らず、あらゆるコンテンツというのには、かつては世代ごとの共通言語があったんですけど、今の時代、そういった世代的なコンテンツというのは少ないんですね。
特に、最近の岡田斗司夫ゼミのニコ生とかYouTubeでの視聴者の年齢層って、かつては30代40代が中心だったんですけど、現在20代30代40代50代がほぼ同数で、大変バランスがいいんですね。
今や、このゼミというのは、受講者のレベルや年齢層が揃ってきて、60代はほとんどいないし10代もほとんどいないという、なんかレベルがとんでもなく高い市民大学みたいになっているんですけども(笑)。
これはもう20代の人、30代の人、40代の人、50代の人全員にとってお互い役に立つ、僕にとっても役に立つことだと思ってます。
アメリカニューヨークのブルックリンで生まれました。
その頃のニューヨークのブルックリンというのは、マジでヤバいところで。
まあまあ、マフィアの巣窟みたいな、わりとガラの悪いところです。
彼は、高校を中退して船乗りになって、後にシティ・カレッジというところで学位をとって、国語の先生になりました。
「アメリカでの国語の先生」なので、英語の先生ですね。
23歳でマーベル・コミックの前身であるアトラス・コミックというところに就職しました。
アトラス・コミックに就職した当時の上司は、あのスタン・リーです。
後にマーベルで伝説的なアメコミ原作者となるスタン・リーの下で彼も編集者になって、いくつかのアメコミの原作を書きました。
それでも、やっぱりあんまり売れなかったんですね。
ところが、そこでは「これ、結末が暗いよ。掲載してほしいんだったら、ハッピーエンドに変えて」と言われたんですね。
なので掲載して欲しさにラスト変えようかと思ったんですけど、友達のSF作家に見せたら「これは絶対に変えちゃダメだ!」と言われて、他のSF雑誌に売り込んで、なんとか掲載してもらいました。
そしたら、SF界では最高栄誉といわれるヒューゴー賞を取って、もう本当に大評判になったんですね。
主演のクリフ・ロバートソンという男は、アカデミー賞の主演男優賞を取りました。
アカデミー賞主演男優賞って、当時はやっぱりすごいんですよね。
クリフ・ロバートソンという俳優は、それで大金持ちになって、そのお金で原作者のダニエル・キイスから、『アルジャーノンに花束を』の映画化権というのを何十年間か買い取って、自分の権利にしてたんです。
確かこれ、当時はクリフ・ロバートソンが権利を持っていたので、日本でテレビドラマ化する時にも、交渉するのがすごく大変だったと聞いています。
ところが、クリフは日本でアニメ化することに関して何も興味がないんですよ。
「そんなことで映像化したくない」と。
「それより俺は、アカデミー賞の男優賞を取ったんだから、また自分を主役にして続編を作りたいんだ」と。
「日本人は金持ってるんだろう? アニメみたいなことじゃなくて、俺に出資して、『アルジャーノンに花束を』の続編をやらないか?」と、それだけを言うんですね。
クリフ・ロバートソンって、どうも、これまでにも『アルジャーノンに花束を2』の企画を、いろんなところに売り込んでたみたいなんですけども。
どこも「いや、主人公のチャーリーが、もう一度天才になった後で知能が低くなる話なんて、誰も見たくないよ」と言われてダメだったそうなんですよ。
再映画化ね、確かフランスでもやってるんですけど、交渉が大変だったみたいです。
たしか「知能指数が67,8」というふうに書かれていたと思うんですけど。
このチャーリーは「賢くなって、周りの友達と同じになりたい」とずっと思っていました。
彼はおじさんの経営するパン屋で働くかたわら、知的障害者の専門の学習クラスに通う、まあ真面目な子だったんですね。
他人を疑うことをせず、周りに笑顔を振りまいて、誰にでも親切であろうとする。
身体は大きいんだけど、子供みたいな心を持った優しい性格の青年だったんです。
チャーリーと競争させたら、知能の低い青年チャーリーよりもはるかに速く、ハツカネズミのアルジャーノンは迷路を解いてしまう。
なので、チャーリーは「アルジャーノンなんか大嫌いだ!」と言いながらも、「僕もアルジャーノンみたいに賢くなりたい」と思いました。
ということで、彼は手術を受けることをOKして、この手術の人間での臨床試験の被験者第1号になります。
だから「知能指数200とか250の天才」とか、よく言うんですけど、まあ、それはいわゆる「出力120%!」みたいなもので、景気が良いと言うだけで、あまり意味はないんですけども。
まあ、IQ68だったところから、185の知能指数を持つ天才になりました。
「実は、自分は知能が低いことが原因で本当の母親に捨てられていた」という、知りたくもなかった事実も知るようになってしまいます。
同時に、知能指数は上がったんですけど、チャーリーの感情は、まだ幼いままなんですね。
なので、突然、急成長した天才的な知能と、幼い感情とのバランスが取れず、周囲への妥協を知らないまま正義感を振りかざして、自尊心がどんどん高まって、周りの人達を見下すようになっていくんですね。
お母さんに捨てられてたんだけど、それにも気がついてなかった。
でも、そこから、どんどん孤独感を抱いてしまう。
さらに、忘れていた記憶、未整理だった記憶、これまであんまり思い出していなかったことまでも、奔流のようにチャーリーを襲うようになりました。
その結果、チャーリーは「この脳手術は、一時的に知能を発達させるが、性格の発達がそれに追いつかず、社会性が損なわれ、周囲のネズミと全くコミュニケーションが取れなくなってしまう」こと。
そして「せっかく上昇した知能も、あるピークに達した後は、やがて失われ、元の知能に下がってしまう」ということを発見してしまうんです。
もう、この時点でのチャーリーは、彼を手術したり、その手術法を発明した科学者よりも賢くなっちゃってたんですね。
ところが、チャーリー自身も、アルジャーノンと同じように、徐々に徐々にピークを越して、知能が下がっていくんですね。
失われゆく知能の中で、彼はなんとか知能が落ちていくのを止める手段を模索するんですけど、それは出来ませんでした。
しかし、手術以前とは違って、自分自身のここから先の行く末と、知的障害者がこの社会の中でどんな扱いを受けているのかをすでに知ってしまったチャーリーは、自分の意思で障害者収容施設に向かって行くんですね。
「ぼくは、えにすんせんせいからこれをまいにちとかけといわれました。ぼくはあたまよくなりたいです」というところから始まるんです。
で、彼の知性が上がって行くにつれて、「自分がどんな感情だったのか? どんな立場だったのか? そして、この脳手術がいかなるものなのか? これは現在では認められてない学説であり、どうなっていくのか?」ということを、ものすごい知的な文章で書いていく。
そうやって、ガーッと知性が上がっていくのを見せていくんです。
そして、その後は「これが思い出せない。あれも思い出せない。自分がかつて分かっていたことが、全く分からなくなっていく」というふうに、知能が下がっていく。
しかし「かつては自分も本を読めていたのに!」という意識が本を読みたいという気持ちを邪魔をして、「本なんか大嫌いだ!」と思うようになってしまう。
この文章を読んでくれるであろう、ニー・ハンマー先生などの大学の先生に向けたメッセージとして、最後に、ひらがなで「ついしん」と書いてあって。
知能をもう一度上げようとなんとかするんだけど、抵抗できないんですよ。
それに対して、『ブレードランナー』というのは、人生の残り時間というのを伸ばそうと足掻く話なんですね。
運命を受け入れたチャーリーに対して、レプリカント達は、最後にデッカードに戦いを挑むことで、人間になろうとするんです。
レプリカントと同じく寿命がある人間に戦いを挑むことによって、せめてもの会話というのを交わそうとする。
『アルジャーノンに花束を』というのが花束を添えるのに対して、『ブレードランナー』というのは命を賭けて戦うという。
実は、同じテーマを扱ってるお話なんですけども。
おまけにこれ、本当の話なんです。
実話だというふうなところが、すごいところなんですね。
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