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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「『なつぞら』最終回!『なつぞら』は大樹じいちゃん、天陽、なつの『ラ・ラ・ランド』」
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ「『なつぞら』最終回!『なつぞら』は大樹じいちゃん、天陽、なつの『ラ・ラ・ランド』」

2019-10-17 07:00

    岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/10/17

     今日は、2019/09/29配信の岡田斗司夫ゼミ「【番組終了記念】『なつぞら』総決算+マンガ版『攻殻機動隊』解説 第3弾」からハイライトをお届けします。


    最終回で描かれた「開拓者精神を取り戻す」じいちゃんとなつ

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    【画像】スタジオから

     じゃあ、『大草原の少女ソラ』の最終回ですね。
     最終回は、ずっと実家の牧場を守っているソラの元に、東京で自由になっていたレイが帰ってくるシーンなんです。
    (パネルを見せる)

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    【画像】ソラとレイ3カット ©NHK

     ちょっと俯瞰気味の構図で、牛と一緒に歩いています。そんな中、「あ、あれは!」みたいな感じでハッと気がつくと、向こうから「ソラ!」って声がしてびっくりするっていう、この3カットなんですけど。
     この3カット、何気ないように見えて、死ぬほど大変なんですよ。
     まず、1番上のコマからいきましょう。
     1番上のコマ、斜め上から撮っているんですけど、牛が歩いている時に、牛の肩甲骨が全部動いているんですよね。牛の前足の肩甲骨まで作画しているんですよ。
     そんなアニメ、たぶん、みんな見たことないと思うんですよね。だいたい、テレビアニメに牛が出てくることすら稀なのに、その牛が歩く時に肩甲骨まで動かさないんですよ。
     次に、この横向きのシーンで、この牛が歩く時にも、上下動をしながら、この肩の部分の盛り上がりだけは、ちょっと大きく動いているんですよ。「肩甲骨動かしてる!」って思って。
     肩甲骨がちょっと前後に動いてですね、上下以外に前後に動いているんですね。
     最後が、ソラが「あっ!」と気がついて止まるシーンなんですけど。4頭の牛が、下り坂をゆっくりと歩いている。すると、2頭だけがソラと一緒に止まるんですけど、この4頭の牛の足並みが全部違うんですよ。
     あのね、4つ足動物を動かしてね、その足並みを乱すというのはすごく難しいんです。もちろん、相手は動物だから、現実には、人間みたいに整列してザッザッと行進して歩くはずがないんです。だから、4頭の動物とか描く時って、足をごまかして描くものなんですけど。
     これね、描いちゃってるんですよ。4頭の牛の足並みをバラバラで作画してて、おまけに、下り坂で自分の体重にちょっとブレーキかけながら2頭が止まる様子というのを描いてて。
     僕、なんか、すごいよ、この回! アニメーターが本当に頑張って描いてる! ……でも、ほとんどの視聴者はスッと流すだけなんだろうな、と。「ああ、『ハイジ』っぽいな」とか思って。
     でも、『ハイジ』にはこんな豪華なシーンはないですから。ここまですごいシーンはないんですけど。

    ・・・

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    【画像】ソラとレイ、ラストシーン ©NHK

     で、遂にラストシーンになります。
     ラストシーンは、東京……かどうかは知らないですけど、都会に出て獣医になって帰って来たレイという男の子と、主人公のソラが、互いに走り寄ってきて、てっきり抱きつくのかと思ったら、握手して、お互いを見つめ合って再会を喜んで、2人で未来を語り、最後は「奥にある家で、お父さんとお母さんが待ってるわ」と言って、手を繋いだまま、牛4頭と一緒に歩いていくというシーンで終わるんですけど。ここでまた、後ろから見た牛4頭の作画というのをやってるんですけどね。
     「お父さんとお母さんが待ってるわ」と言う時のソラは、なんで妹のことを言わないんだろう? 何があったのかな? って思ったんですけど。ただ、僕、このレイとソラが再会するシーンで、実はちょっと感動しちゃったんですね。

     なんで感動したのかなと、自分でも原因を考えたんですけど。
     結局、それは何かというと、このソラという女の子と、レイという男の子って、男女関係を変えたなつと天陽の話なんですね。つまり、それぞれが「田舎で待っている天陽君と、東京に行ってしまったなつ」というものを象徴しているというか。
     まあ、どっちもなつなんですよ。表現しようとしているのは、2人のなつ。こうあるべきだった、おじいちゃんから「こうなってほしい」と思われていたなつと「でも、私はこうなってしまった」というなつの2人が和解する話なんですね。
     というのも、もともと戦災孤児の身寄りのない自分を育ててくれて、一度はおじいちゃんにも「絶対に私は農場を継ぐ! 牛飼いになるんだ!」と言って、農業高校まで行っていた自分がいるわけじゃないですか。ところが、反対するおじいちゃんを説き伏せて、東京で夢を叶えてアニメーターになった自分というのがいるわけですね。
     なつの中でも、2人の自分というのが矛盾していて、時々心が痛くなっていた。それが、ようやっと最終回で和解するという話なんです。
     泰樹じいちゃんは「ちゃんと東京へ行って、東京を耕して来い!」、という風に言ってくれるんですけど。泰樹じいちゃんが「東京へ行け」と言った時、もちろん本音100%ではないんですね。
     だから、じいちゃんは「まだなつは帰って来んのか? ツラかったら、いつでも帰って来ていいぞ」とか「まだ来んのか?」ってずっと言うし。あと、なつ自身も、自分のやりたいことがわからなくなって、アニメーターを辞めたくなったこともある。
     例えば、『魔界の番長』というアニメの制作をやらされた時は、娘にも「あれ嫌い」と言われるし、なりたくてなったアニメーターの仕事についても「もう他の同僚の女の人と同じように自分も辞めてもいいんじゃないかな?」と思っていた。
     つまり、なつの中にも、ちゃんと2人の自分というのがいるわけですよね。「アニメーターになったんだけど、本当は田舎で農家を継いでた方が良かったんじゃないか?」という自分が。
     そういった2人の自分、おじいちゃんをいわば裏切ってアニメの世界に行ってしまった自分自身と和解するシーンとして、ちゃんと成立しているので、ちょっと僕、感動しちゃったんです。

    ・・・

     あと、アニメの中のおじいちゃんが、夜明けの空を見るシーンというのがあるんです。
     自分が引き取って育てていたレイという男の子が「僕は医者になりたい。だからここにいるわけにいかない」と言った時、「そうか、お前は行って良いんだ」と、夜中に話している時に、夜が明けて、陽が射して、という良いシーンがあるんです。
     まあ、このシーン自体には、僕は何も思わなかったんですけど。それをテレビで見ていた泰樹じいちゃんが、ちょっと涙ぐむんですよね。
     そこら辺で、なんかこう「ああ!」って繋がりだしたんです。

     結局、この『なつぞら』という作品は、基本的に「なつがやったことで、おじいちゃんの心が動く」という構造になっているんですね。
     だから、なつが農業高校の演劇部にいた時に、『白蛇伝説』という舞台をやったことで、それまで農業組合に加盟して牛乳を売るということを反対していたおじいちゃんが行動を変えたわけです。
     それは『アルプスの少女ハイジ』の中で、ハイジという女の子が来たおかげで、里の人から嫌がられて怖がられてたアルムおんじという人に、どんどん人間らしい部分が出てきた。
     それまでにも人間らしい部分はあったかもしれなかったけど、アルムおんじの方も、村の人が嫌で怖かったから、逆に怖い人を装ってたんですね。それがハイジという女の子が1人来たおかげで、解けていって、アルムおんじが変わって行くというのが、やっぱり『ハイジ』の見所なんですけど。
     それと同じなんですよ。泰樹じいちゃんは泰樹じいちゃんで、農業高校の演劇を見た時に「今の俺ではいけないな」と思ったわけですね。

     天陽君というなつの幼馴染が新たに農業をやると言った時に、じいちゃんは最初「あんなヤツに無理だ! わしらがあんなに苦しんだ、何もない土地を開墾することなんて、出来るもんか!」って言ってたのに、最終的には、一緒に開墾を手伝ってくれて、農地を作ってくれたんですけども。
     こういう時のじいちゃんというのは開拓者なんですよ。自分が自称している通り、開拓者一世で、まだ開拓者の魂を失っていない。
     しかし、農協を拒否して、直にメーカーと契約して、自分の牛乳だけが高く売れていればいいと思っていたじいちゃん、つまり『白蛇伝説』の舞台を見る前のじいちゃんというのは、もうすでに開拓者ではなくて、既得権益にしがみつく権力者になっていたんですね。
     もう、自分でも気づかないうちに「開拓者一世として、まだ生き残っていて、そして最大の農場を持っている」という強みのおかげで、いつの間にか権力者になっていた自分を、なつの演劇『白蛇伝説』が「ああ、俺は開拓者のはずなのに」って、現役の開拓者へと復帰させてくれた。
     そういう構造でできているんですね。
     だから、僕はついつい、『なつぞら』という作品が、例えば東京へ来て、東洋動画に入った時に、社長がカネカネ言う人だったり、その後、労働争議があるという歴史的な事実もあったので、そういう部分も同じように描いて行くのかと思ってたんですけど。でも、お話はそっちの方に行かないんですね。
     本当に、徹底的に、なつと泰樹じいちゃんの関係というのが、このお話の中ですごい力を持っている。
     なので、逆に言えば、他の人がほとんど脇役になっているというところが、まあ『なつぞら』の長所でもあり、欠点でもあるんですね。

    ・・・

     話を戻します。
     なぜ、泰樹じいちゃんは『大草原の少女ソラ』の夜明けのシーンを見て泣いたのかというと、やっぱり「何かが変わったから」なんですね。
     では、何が変わったのかと言うと。じいちゃんの家族というのは、みんな、ちゃんと泰樹じいちゃんの夢を継いで活躍しているわけですね。
     例えば、最終回で、天陽君の残された遺族たちは、ちゃんと農地を守っているし。あと、自分の跡取りの孫がいて、その嫁はアイスクリーム屋を作ろうとしているし。孫娘(長女)の嫁ぎ先は、自分の大好きなスイーツ、洋菓子を作るところで働いている。
     それはね、テレビを見ている僕らにとっては、単に、当たり前のラストの大団円に向かって「みんな、めでたしめでたし」というシーンの数々なんですけど。
     でも、登場人物である泰樹じいちゃんとしては「みんな、自分の夢を継いでくれているんだ」とは認識していないんですね。どちらかというと、「身体が弱くなって動けなくなっている自分というのがいて、そして、家族達だけが元気で、やることがある。もう自分は必要なくなったんだ」という気がしていると。
     牛舎は新しく電気化されて、電動の搾乳機が入って、もう自分は既に要らないものになっている。開拓の時代は終わって、自分はもう老人で、杖をつかなきゃいけなくなった。「もう自分の時代は終わっちゃったんだ」と、悲観して元気がなくなっちゃっている。そのせいで、もう動けなくなっているわけですね。
     しかし、『大草原の少女ソラ』というアニメーションは、そんなじいちゃんの生き様とか人生を、丸ごと大肯定してくれるわけです。
     アニメの中の朝日を見て「俺もああいう朝日を見た」って、何回も言ってるんですけど。
     この朝日っていうのは、てっきり希望の象徴みたいに思えるんですけど、全然違うんですよ。希望の象徴じゃなくて、絶望の終わりを示しているんですよ。
     なぜ、開拓者たちが朝日を見たのかというと、それは「眠れない夜があったから」なんですよ。酷い災害があったり、冷害があったり、もしくは「牛が死ぬかもわからない」という恐怖の夜があったから。その恐怖の夜に日が射して、終わるから、なんですよ。
     これは「恐怖が終わる」というわけではないんですね。「その夜が終わる」というだけなんですよ。
     だけど、朝日が昇ることによって、災害があったこと、水害があったとか地震があったとか、それがなくなるわけではないんだけど、「でも、そんな日でも夜が明ける」という、かすかな希望だけはある。
     朝日というのは、絶望が終わったサインなんですよ。そして、昨日の分の絶望が終わったから、また今日も歩き出さなきゃいけない。
     なんか、そういう力強いものを思い出したので、泰樹じいちゃんはすごく感動するわけですね。「そういうことを、娘はちゃんとわかってくれていた」と。
     たぶん、他の人が描いたら、希望の朝みたいに描いていたはずだから、泰樹じいちゃんは感動しなかったんですけど。そうじゃなくて「ある絶望が終わった時、朝日が射していると、俺達はまた生きる気力が湧くんだよね」みたいな感じですごく感動しているわけです。
     なので、最終回間際になって「いきなり雷が落ちて停電する」というシーンが必要になるわけですよ。雷が落ちて停電というのは、絶望の夜が来たというメタファーだからです。
     「停電が終わらない。いつまで経ってもずーっと電気が通らない」っていうのは「絶望の夜がずっと続いていく」ということであって、そんな時、長男がアイスクリーム屋を壊して牛乳を守るという判断をするんですけど。
     それ以前の柴田家一家は全員、開拓者精神を忘れつつあったんですよ。一家全員が「アイスクリーム屋をやろう」とか「電動の搾乳機を入れよう」という、言っちゃえばバブル景気みたいなものに浮かれかけてた頃に、再び絶望の夜がやって来たからこそ、全員が開拓者魂を取り戻した。そういうシーンなんです。
     あれ、最後の週の木曜とか金曜でいきなり始まったから、僕は「なんて取って付けたようなことをやるんだ」って思ったんですけども。あれは『大草原の少女ソラ』の夜明けのシーンと込みでないと作動しない仕掛けなんですね。
     前半の作り込みに比べて、最後、建付けがデコボコしているところがあるんですよ、正直言って。だから、わかりにくくなっていたんですけど。

     というわけで、「一家揃って開拓者精神を取り戻す」という出来事があったので、じいちゃんは元気になったし、同時に、逆説的なんですけど、じいちゃんは開拓者を安心して引退することが出来たんですね。
     自分の人生を、自分の娘より可愛がっていた孫娘が肯定してくれた。開拓の時代というのは確かに終わったんだけど、開拓者の精神は自分の子供達に受け継がれる。
     これで、『なつぞら』というドラマ自体は、もう大団円なんですよ。見事に終わったんです。

    「三人だけのドラマ」とラストシーンの意味

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    【画像】スタジオから

     でもね、本当にすごいのは、ラストシーンなんです。
     隠されたサインが、ラストシーンには、まだいっぱいあるので。ちょっともう少しだけ『なつぞら』の話をさせてください。『なつぞら』の話だけで1時間になっちゃうな。
     ちょっとね、僕「このラストシーンでようやっと辻褄が全部合ったわ」と思って、びっくりしたんですけど。
     『なつぞら』最終回で、ミルコスからマコプロへ「同じ枠で新しいアニメを作ってください」という発注があります。
     この時、マコさんが「わかりました」と言って手に取っているのが『CUORE(クオーレ)』という、イタリアの児童文学です。
    (パネルを見せる)

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    【画像】『クオーレ』表紙 ©NHK

     この中に『母をたずねて三千里』という短編があるので、まあ、これを作ることになるというお話なんですけど。
     まあ、しかし、実際には、マコプロは最終回直前くらいまで、外注さんとかに無理をいっぱい言ったり、他のアニメスタジオに助けてくださいと言ってきたので、これから恩返しをしなきゃいけないんですよ、本当は。
     恩返しというのは何かというと、他所の会社がパニックになって「無理!」ってなった時に、今度はマコプロが助けてあげるということを、社をあげてやらないと、もう二度と、どこの会社もマコプロの外注を受けてくれなくなるんですね。
     なので、まあ、まずマコさんがやらなきゃいけないのはそれなんです。なつとイッキュウさんも、本当は北海道に行っている場合じゃないんですね。自分たちがそんなメチャクチャなことをやった尻拭いというのを、マコプロはやらなきゃいけないんです。
     ということで、「他所の会社を助ける」ということを、今度はやってるわけですね。
     お兄ちゃんがやっている声優事務所には、どうも『タイムボカン』みたいなアニメの依頼が来たようです。なんか「魔女とドロボウの3人組が出て来る話」だそうですけど、そりゃもう、時期的に考えて『タイムボカン』シリーズだろうと。『ヤッターマン』みたいなやつだろうと思うんですけど。
     で、大感動のラストシーンになります。
    (パネルを見せる)

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    【画像】ラストシーン ©NHK

     これがラストです。この草原で、イッキュウさんは「君たち兄妹の話、戦争の話を作りたいよ」と言います。そして、ナレーションで「イッキュウさんとなつは、およそ12年後にその夢を叶えます」と言って、『火垂るの墓』っぽいアニメが流れるわけですね。
     この『火垂るの墓』っぽい戦争アニメね、僕は蛇足だったと思うんですよ、要らなかったと思うんです。
     なぜかというと、この『なつぞら』というドラマは、すでにモデルになっているはずの高畑勲とか奥山玲子から、もう本当に関係のないところへ行っちゃっているわけですよ。もう、人物関係とか、結婚する相手も全部変わっている。
     だったら、そのまま行きゃあいいのに、今さら「12年後に『火垂るの墓』を作ることになりました」って「12年後」って細かい数字まで出して言われても、「いや、もう、そこの世界線は変わってるから」ってツッコミがあるんですよね。
     もう、今まで散々、実在の人物とは関係のない話を展開しているんですよ。そんな中、最後にもう一度、モデルになった高畑勲に戻しても意味がないし、お話がブレるだけなんですよね。
     たぶん、『なつぞら』というドラマの第1話の冒頭の空襲シーンと繋げたいんでしょうけど、それはね、製作者のエゴなんですよ。製作者の「これで伏線回収が出来る!」というエゴ。
     『大草原の少女ソラ』のオープニングと繋げたのは良い判断だったんだけど、ここの『火垂るの墓』というのは、ちょっと上手くなかったと思うんですよ。

    ・・・

     なんで、僕が「このシーン、要らなかったな」と思っているのかと言うと。
     さっき「現実の高畑勲と離れている」と言った、このイッキュウさんというキャラクター。なつの旦那さんですね。実は、この人って、このドラマに要らない人なんですよ。
     まあ「要らない」と言ったら言い過ぎだけど、あまり重要な人物として初期設定されてないんですね。
     なのに、テーマが家族なもんだから、やたら出番が多くて、ドラマ的にも大事な存在になっちゃってるんですけど。本来、あんまりね必要な人物として設計されていないんです。
     ここでちょっと見てほしいのが、天陽君が描いた雪月というお菓子屋の包装紙なんです。
     この雪月の包装紙と、実際のラストシーンは、ちょうど左右反転して同じ絵にデザインされているのがわかります。

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    【画像】包装紙とラストシーン ©NHK

     つまり、天陽君が描いたこの絵というのは、「もう1つの世界のなつ」なんですね。あるいは、ここに描いてある女の子は、なつと天陽君の子供なのかもしれない。まあ、そういう子供が存在するパラレルワールドで。これは、幼い頃のなつ、自分と一緒に十勝で生きてくれたなつのいる世界なんですよ。
     このパッケージの女の子をアップで見るとわかるんですけど、だから、この子は黄色いシャツを着て赤いサロペットのスカートを履いているんですね。
     最終回のラストシーンで、なつは黄色いワンピースを着て、なつの娘の優はソラの服と似た真っ赤なワンピースを着ているんですよ。つまり、最終回のなつと優は2人で1つなんですね。この2人の黄色と赤というのを、このパッケージの絵でちゃんと予言しているわけなんです。
     「なつの服と優の服を重ねるとこの包装紙の女の子になっている」というのは、もう最初っから「このシーンはこの服を着せる」って設定していなかったら、準備できないんですよね。北海道ロケまでしなくちゃいけないわけですから。
     だから、ラストシーンの衣装まで考えて、このパッケージの絵というのは描かれていたんです。
     ちなみに、イッキュウさんがここで着ているシャツというのは、格子柄で、青と白なんですよ。
     この絵の中には存在しないというか、大空の部分にちょっと出ているだけの、あんまり存在感がないような色を着てます。
     なぜ、ここでのイッキュウさんは存在感がないのか? さっきから僕が言っているように重要でないのかと言うと、『なつぞら』というのは、最初から、なつと泰樹じいちゃんと天陽君のこの3人が軸になって作られている話だからなんですよ。
     『なつぞら』って、ストーリーを追って見て行くと、後半のアニメーションの話が面白いし、僕もアニメが好きだから、そっちの方をメインで見て、すごい引っ張られちゃうんですよ。
     それで、僕も今まで「『なつぞら』って、なんでこうなっちゃうんだろう? 変だな」と思ってたんですけど。
     なぜかと言うと、ドラマとしての設計が「そもそも、泰樹じいちゃんとなつと天陽君しか必要でない話に、いろんなディテールが乗っかってるだけだったから」なんですよ。
     その初期設定の土台が強すぎて、その後に乗っかってきている、例えば「生き別れのお兄ちゃん」とか「生き別れの妹」とか「柴田家のお兄ちゃん」とか「夕見子と、さらにその妹」とかが、すごく影が薄くなってるんですよね。

    ・・・

     これ、それぞれが象徴するものを並べると一目瞭然なんですけど。
    (パネルを見せる)

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    【画像】登場人物の象徴

     登場人物の象徴するものっていうのは、泰樹じいちゃんは「開拓」なんです。
     なつは芸術という「表現」なんですよ。
     そして、天陽君は「開拓」と「表現」の両方をやっているんですね。
     こういう話だと思えばわかりやすいんです。
     だから、なつは「開拓」と「表現」の間にいる天陽君のことを、いつもいつも気にしていて「自分の師匠みたいなものだ」と言ってるんです。
     じいちゃんもわかりやすいんですよ。全員、こういった象徴しているものが、衣装にちゃんと出てるから。
     北海道の大地で生きる開拓者を象徴しているから、だからあんな服を着ているわけだし、天陽君は天陽君で、単にアーティストっぽい服ではなく、農作業もするようなアーティストな格好をしていて、ベニヤ板に絵を描くという辺りで「開拓と表現」を象徴しているということが、絵面としてもわかりやすいんです。
     その点、なつは、アニメーターっぽい格好をしているわけでもなければ、開拓者魂があるような衣装も着ていない。映像表現の作品としては、これ、致命的に個性がないんですよね。
     それは、彼女の持っている「アニメーターになりたい」という精神が、実のお父さんから受け継いだものでもないし、じいちゃんから引き継いできたものでもないからなんですよ。一応、設定としては「お父さんが絵が上手かった」とか「東京で女性アニメーターという世界を開拓してくる」というのがあるんですけど、それは単なる設定なんですね。
     しかし、この開拓と表現の両方を目指している天陽君は、おかげでメチャクチャキャラが立っちゃってるんですよね。もう本当に登場シーンが少ないのに、キャラが立っている。
     そんな天陽君を、なつが好きにならないのは、見ていて変だし、逆に言えば東京で出会うイッキュウさんのことをなぜ好きになったのか、最後までわからないんですよ。
     「なぜ、この男を好きなのか?」っていうのが全然わからないまま、やたら盛り上がってドラマが終わるから、僕はそれでちゃんと感動はするんですけど、心の中で「なんか変だぞ」と思うんです。
     だけど、それは、このドラマは、なつ、泰樹じいちゃん、天陽君の3人で出来ているからなんですね。
     このドラマというのは、この3人の関係を描くことが目的であって、その他は脇役なんですよ。
     脇役がやたらと豪華で、おかずがすごく美味しくて、アニメーションの世界、アニメの制作現場を描くという設定に走り過ぎて……まあ、小手先なんですけど。その小手先があまりにも面白かったから、僕はすごく楽しく見れたし、さっきみたいに語ってたんですけど。
     でも、1つの作品として見ると、メチャクチャバランスが悪いんですよ。

    ・・・

     実は、この作品の本質って、『ラ・ラ・ランド』なんですね。
     『ラ・ラ・ランド』というのは、女優を夢見るミアという女の子と、昔通りのジャズのバーを持ちたいセブという男の人の物語で「上手く行きかけたものの、やがて2人の夢はすれ違って、別の人生を歩む」っていう話なんですよ。
     5年後、大女優になって、すでに夫もいれば娘もいるミアが、ある日オシャレなジャズバーに行くと、セブはそこでピアノを弾いていた。2人はお互いに夢を叶えたことを知って、目を見つめ合うんだけど、知らないフリをしてその場で別れるという、すごく切ない話なんですけど。
     『なつぞら』はこの『ラ・ラ・ランド』の中の、女優として成功するミアの5年間を主に描いた作品なんですよ。だから、すごく変なんですよね。
     『ラ・ラ・ランド』の中に「ミアとセブの互いの幻想として、ひょっとしてあったかもしれないパラレルワールドの5年間を思う」というシーンがあるんですけど、そこが、この映画の中で1番楽しいシーンになっているんですよ。
     これと同じシチュエーションが、『なつぞら』にもあるんです。それが、天陽君が死んだ後、なつが会いに行って、そして、死んだはずの天陽君と2人で対話するシーン。
     あのシーンがなぜ必要だったのかというと、あれこそが『ラ・ラ・ランド』のクライマックスであり、『なつぞら』というのが、実は『ラ・ラ・ランド』だからなんですね。
     そして、その関係が『なつぞら』では、この包装紙に凝縮されているわけです。
     この包装紙の中に、幻の5年間みたいな世界が凝縮されているから、だから、この包装紙の絵を見た時とか、この包装紙と対になる最終回のラストシーンを見た時に、僕は「わー!」と思って、すごく感動したわけです。
     「あり得たかもしれないもう1つの世界」というのが見えた気がするから。この、左右反転にするところもすごいですよね。
     まあ、実際は、ジャズにこだわって自分のジャズバーを開いてしまうセブというのは、『なつぞら』の中では天陽君と泰樹じいちゃんという2つのキャラに分割されて描かれているんですけど。
     なので、『なつぞら』の中では延々と、なつが十勝に帰省する度に、視聴者は、じいちゃんを目で追ってしまうんです。
     「今、じいちゃんはどこにいるんだろう? じいちゃんはなつをどう思っているんだろう? なつはじいちゃんをどう思ってるんだろう?」というふうに、視聴者はじいちゃんばっかり目で追ってしまう。
     それは、このお話の、ストーリーラインではなくテーマとして、じいちゃんが主人公の1人であることが、見ている人にはバレちゃってるからですね。
     「これは、天陽君とじいちゃんとなつの話だ」っていうのが、見ている人に刷り込まれてしまっているから、この3人の関係ばかりが気になってしまう。
     お話上は、イッキュウさんの方が重要なはずなのに、アニメの方が重要なはずなのに、そっちにはあんまり気が行かなくて、ついついじいちゃんばっかり見ちゃうのは、それがあるからなんです。
     だから、千遥の娘の千夏という女の子を演じていたのは、なつの子供時代をやっていた子役さんなんだけど、この子が出演したら、一瞬でなつの娘の優っていう女の子は存在感を失っちゃうんですね。
     メチャクチャ可哀想なんですけど、これは構成上の問題であって、演技力の問題ではないんですよ。
     その意味では、このドラマというのは、なつ、泰樹じいちゃん、天陽君以外の全ての役者さんには、実は見せ場がほとんどないんですね。だから、無理矢理ダンスを踊ってみたり、いい話をしてみたりして、オチみたいなのをつけるんですけど。まあ、演技的に良いシーンという意味では、なつの妹の千遥を演じた役者さんだけ、演技力全開で、なんとか存在感を出していたんですけど。
     そもそも、このドラマ自体が、この3人を描くためだけに組まれていた話だから、イッキュウさんも、実の娘も全て脇役になっちゃうんですね。
     それは、『ラ・ラ・ランド』の中で、ミアの夫とか娘が必要最低限の存在感しか与えられていないのと同じなんですよ。
     本当に、お話を邪魔しない程度の存在感。「とりあえず、いい子ですよ」とか「すごくいい旦那さんですよ」というくらいしか表現されていない。それはなぜかというと、ミアとセブとの2人の関係が、この映画の本質だから、なんですね。
     だから、『なつぞら』の中では「アニメーション作る」という仕事論も脇役なんです。
     なつが一時「牧場を継ごう!」決意したようなリアリティを、アニメ作りの中では描けてないんです。
     大樹じいちゃんのような開拓者としてのキャラを、例えば、東映動画の先輩の仲さんも持っていませんし、なつの同僚や先輩の中にも、大樹じいちゃんのように強いキャラで「俺が日本のアニメを作るんだ!」っていうキャラクターは、1人も出てこなかったんです。
     だから、アニメーションというのも、やっぱり脇役で、十勝の農地ほどの魅力を出せなかったんですね。

    ・・・

     そういう関係が、ドラマの最終回で包装紙と逆位置の風景を見せてくれたことによって、僕にもやっと全部わかったんですよ。
     「天陽君はすでにこの世の中にいないんだけど、天陽君の家族は残っている」と。
     そして、もう本当に存在感はないんだけど、「なつにも、ちゃんと自分の家族がいる」と。
     だって、このラストシーン、後で見れたら見てください。なつが色々と決意するんですけど、横にいるイッキュウさんも、なつの娘も、存在感ゼロで受けの演技しかやっていないんです。全部、なつがいいとこ持って行って、それを受けるだけの演技をやっているんですね。
     『ラ・ラ・ランド』で「なぜ、2人は最後に別れるのか納得ができない」と言う人が多いんですけど、そういう人のために、『なつぞら』では、ちゃんとなつにも本当の家族を用意してくれた上で「やっとなつは最後の最後になって自分が目標としている天陽君と同じ位置に立てた」としているんです。
     「ようやっと、これで2人は対等になった」っていう。本当に、なつと、天陽君と、大樹じいちゃんの話として完成したなと思いました。
     だから、僕はこの包装紙とラストのシーンに、すごく感動したんですよね。
     それまで、アニメーションとかディテールにばかり目が行っていた自分に対して「ああ、これは失敗だったな。この3人の関係を見る話なんだ」と。
     ……まあ、事前にこの3人の関係を見る話だと知ってたら、俺はこのドラマを見たかどうか、正直な話、わからないんだけど(笑)。
     そういう話だったんだなと思いました。

     以上、『なつぞら』の話は、一応、今回で最終回にします。


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