なので、占い師が扱えるものっていうのは、心理学的なこととオカルトの両方になっちゃうんですけども。でも、たぶん、現代の占い師っていうのは“カウンセラー寄り”がすごく多いんですよ。オカルトよりも。
岡田斗司夫ゼミからのお知らせ
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岡田斗司夫のニコ生では言えない話 第28号 2013/4/15
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【今週のコンテンツ】岡田斗司夫に問う!もっと占いについて答えてくれたまえ
【今週の書き起こし】占いのことを語るよ!(後半)
【岡田斗司夫なう。】【悩みのるつぼ】愚妻に1億円のことを話すべき? 回答編
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◆【今週のコンテンツ】岡田斗司夫に問う!もっと占いについて答えてくれたまえ
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普段にはない嫌なことがあると、「運のない物を持っていたからだな」と持ち物のせいにする無銘のマサフミです。
前回に引き続き「岡田斗司夫講演会 占いのことを語るよ!」後編の模様をお届けします。
後編は客席の皆様との質疑応答パートです。
岡田斗司夫がその場から出る質問に事前準備なしで答えていきます。
この質疑応答が一番面白いと、質疑応答だけのイベントを行ったこともありました。
講演が質問によってどんどん面白くなっていくのを御覧ください。
皆様が岡田斗司夫の講演にお出かけの際は、おひとつ質問を持っていくのが吉でしょう。
では後編の模様をハイライトでどうぞ。
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「月刊FREEexで占い師のユウコさんが“占いはオカルトではありません! ツールです!”と言ってました。ツールだからオカルトではないと言い切る理由はなんでしょう? ちなみに、オカルトを否定する気はありません。使うことで少しでも楽になるならそれはそれでよいことだと思ってます」
ツール。「オカルトではない、ツールだ」というのは、たぶん、“社会学一般”でですね、ツールなんですけど根拠が無いんですよ。なんでかっていうと、追加試験できないんですから。
心理学もそうなんですよね。例えば、社会学もそうなんですけども、心理学っていうと、「こういう人がこういう傾向がある」とかよく言うじゃないですか。で、あんなもの僕らはですね、まともに信じてないと思うんですけども。それでも使えるときは使えるんですね。
つまり、「こういう人にはこういうふうな傾向がある」と言われりゃそんな気もするし。使えると言われれば使える気もするし。たぶんね、その「使えるものは使いましょう。で、根拠に関してはあれこれ考えてもしょうがないですよ」っていうのが僕の回答なんですよ。
すみません、ユウコの回答じゃなくて。
で、オカルトって何かっていうと、「根拠はないけど信じれる」のではなくて、「とことん変な根拠を求めること」なんです。
つまり、この世界に「なんでか?」っていう理由なんてないんだけど、「理由なんかないっていうと変だろ? 何か理由があるだろ!」というふうに、とことん突き詰めていくと、“物理”になるか“オカルト”になるかどっちかなんですよ。
物理でフォローしきれないことってやっぱオカルトでしかフォローできないんですね。
なので、占い師が扱えるものっていうのは、心理学的なこととオカルトの両方になっちゃうんですけども。でも、たぶん、現代の占い師っていうのは“カウンセラー寄り”がすごく多いんですよ。オカルトよりも。
なので、占い師が扱えるものっていうのは、心理学的なこととオカルトの両方になっちゃうんですけども。でも、たぶん、現代の占い師っていうのは“カウンセラー寄り”がすごく多いんですよ。オカルトよりも。
なので、「占いっていうのはオカルトではありませんツールです」っていうのは……自分たちが使っている占いの技法をネタもとにして、それで相手の本音を探りだして、自分が「こうだ!」と思ってる言葉をぶつけあって徐々に徐々に合意を果たし作っていくという、たいへん心理学的な手法というのを現代の占い師は使っています。
だから、彼女たちはその“オカルティックな部分”を信じてはいるんだろうけども信じてはいない、ということなんですね。
なんでしょうね。それは僕らが友達と話すときに、その人達との“友情”を信じてるんだけども、人間は友情だけではなくて“実利”で動いたりもする。微妙なバランスの中で生きているのと同じように。オカルトっていうのを完全に否定して合理性だけだと考えちゃうと、解決不可能なことがいっぱい出てきちゃうんですね。
だから、カウンセリングみたいな話をする上でオカルト的な結果、たとえば「こんなカードが出ました」といったら、あくまで出たカードにこだわることによって見えてくるものがいっぱいあるという手法だと僕は思ってます。
もし違うと思ったらあとでフォローします。
「占いが必要なときと必要でないときの大きな違いはなんでしょう? 私自身は必要でない人間だと思ってます」
占いが必要でないという人間は僕と同じく、“科学”という占いを信じているので必要でないだけなんですけども。つまり、この「なんで?」、「どうしたら?」というものに対する中間解、“途中の答え”というものにどれくらい心が安心するかですよね。
「突き詰めないとダメだ!」っていう人はオカルトのほうに行っちゃうし、「とりあえず今日何すればわかればいいや」っていう人は、占いの段階で納得できる。そうじゃなくて「合理的な根拠を!」という人間は、バランスが悪いことに毎日抗わなきゃいけないんです。だから、突き詰めてオカルトにいってもダメだし、占いの結果をあえて信じちゃってもダメなんですよ。
中国の孔子が、あそこまで合理者でありながら占いというものを一切否定しなかった理由は、「そういうわけのわからないものをアリとしたほうが人間社会の説明がうまくいく」と考えたからですね。全て合理的に説明できると考えるほうが変になる。
これは“料理人の勘”のような非科学的なものをあえて残しておくことで、料理というのが美味しくなるのと同じですね。
もし、料理人の勘っていう怪しげなオカルティックな言い草を料理の世界に入れなかったら、すべての料理は同じ材料から同じような調理法で同じような味が引き出せることになってしまうんです。
でも、例えば小麦粉の産地によって、その麦が育った場所の暖かささ寒さも、その日の温度も湿度も違うから、絶対に同じ味になるはずがないし。食べる人が違えば、その人が子供のころから食べてたものが違うから、味覚にも微妙に差ができるし。おまけに、その人が風邪気味か健康かによって感じる味の範囲も違うんですね。
つまり、“完全再現性”、“完全分解”っていうのは幻想なんですね。なので孔子は、そういうことに関しては「わからない!」というでっかいブラックボックスを一個用意してそこに入れたほうが、おそらく、全てうまく行くと考えたんです。
なので、占いっていうものがあるかないか、信じるか信じないかの大きな違いはなにかというと、「そのブラックボックスを使えるか使えないか」だと思うんですよ。
僕は割りと、なんでしょうね、物分かりが悪いというかですね、往生際の悪い人間なんで。「できるだけそういうことは考えずに、合理的に考えられるところまで考えてみようか。暇だしね」と言って、こういうふうに分解できるとこまでとことん分解するんですけども。
あんまこういうことやってると、頭に熱が出ちゃう、適当な部分で止めればいいと思います。
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