橘玲さんの考え方っていうのは、たぶんより真実に近いんですね。より真実に近いんですけども元気が出ないんですよ。
こっから始められた。言い方がすごいよね「愚か者にかかる税金と言われてますが」って言うから「当然、岡田さんも知ってるでしょう」から始められたから「おわー……」って思って、「はいはいはいはいはい!橘節キターーーっ!!」って思うわけですよね。
で、橘さん的な考え方をちゃんと身につけてると、損しないし傷つかないしこの世の中の底が見えてるから安心は安心なんですよ。「この世の中は果てしない底があってどこまで落ちていくか……」ではなくて「はい、ここが底ですよ。その底のことを“リベラル・デモクラシー”と言います。その本質は“生贄”です」っていうふうに言っちゃうんですけども(笑)
『はらちゃん』を見ても泣けなくなりますから(笑) 「まあそんなこと言っても日テレのドラマだし、視聴率取るんだからこんなもんだろ」って、さっき僕が言った「恋愛の不可能性っていうのを成立させるためにはこういうドラマ作りもアリ」っていうのは橘玲的な考え方なんですね。でも、はらちゃんのことが心配で夜も寝れない僕っていうのも、それも本当の僕なんですよ。
僕の心の中には橘玲さんと内田樹さんの両方がいて、たぶんそれは皆さんの中にも、例えば東浩紀がいて誰がいて、小林よしのりがいて誰がいてとか、人によったらひょっとしたら大阪維新の会の人がいたり石原慎太郎がいたり、意外な人がいるかもわかんないんですよ。
でも、それは「100%こいつの言ってることがわかんない!」じゃなくて、誰かに腹が立ったりムカッとする時はやっぱり5%や10%そいつの言ってることがわかって、それがわかっちゃう自分が嫌だから誰かにイラついたりするんですよね。だから僕も嫌いな人っていうのは理解できる人だけなんですよ。人間は理解できないものを嫌いになれない生き物なんですよね。こと人間に対しては。
それの使い方は俺は「昼・夜」だと思いますね。昼に誰の考え方を持って来て夜に誰の考え方を持って来るか。
僕自身の生き方は昼に“橘玲”を持って来て、現実というのをある程度冷たく見るんだけども。女の子と話す時にこれは封印するか、もしくはチラ見せ程度にしておいて。主に夜は内田樹でやったらさわやかに寝れるんですよね。夜まで橘玲持って来ちゃいけない。宵越し橘玲は禁止です! ホントに!(笑)
っていうふうにしたら、この間から日が暮れたら内田樹ってしたら、僕は生きやすくなりました。
“人間の器”って言葉があるじゃないですか。「器が大きい」とか「器が小さい」っていう。それは何かっていうと、信念がある人は器が小さいんですよ。で、信念がない人は器が大きいかっていうと、そうじゃないんですよ。信念がある人は器がちっちゃい。何でかっていうと、許せないことがいっぱいあるから。
じゃあ、許せることがいっぱいある人は信念がないのか。そうじゃなくて“矛盾する信念”が強いんですね。矛盾する信念がありながらそれを維持できる“自分”っていうのがある。それは昼夜で切り替えてもいいですし、「本音と建前」って言ってもいいんですけど。
たぶん人間「本音と建前」って言ってもそんな裏表の関係じゃないんですね。自分が気弱な時はこういうふうに考えちゃうとか、人に優しくしたい時はこういうふうに考えちゃうみたいな切り替えだと思うんですけども。
自分の中に矛盾する考え方、価値観というのがありながらどれか1つを信じて楽をするのではなくて、これをすべて維持する。それ以外にも、自分が嫌いな人の考え方であっても。「嫌い」っていうのはさっきも言ったように「理解できる」だから、それを保持したまましんどいけれどもできるだけ維持することしかできないんだな、というふうに思いましたので、皆さんも心の中にある岡田斗司夫をちょっと大事にしてやってください(笑)