━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2014/11/3
───────────────────────────────────
おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
───────────────────────────────────
匿名希望さん/26歳/フリーター/クラウド市民
「他人に勝手に占われて」
【質問】
"私は占いや宗教というものを信じていないつもりではいるのですが、他人に勝手に占われて、悪いことを言われたなどと伝えられたりすると、少し落ち込んでしまいます。
 占い師ではない岡田先生にお聞きするのは大変恐縮ですが、占いや新興宗教などは、何の根拠を持って未来や相性のことを言っていると考えれば良いのでしょうか。名前や生年月日から診断されたものに、どういう意味があるのか教えてください。

【回答】
 この番組見てる人は占いとかに関して否定的な感じがあるのかなあ。

「結果に吸い寄せられる」(コメント)
 つまり、言われたことを自分で取り入れちゃう、ってことだよね。

「占いは統計学」(コメント)
「統計データ」(コメント)

 占いは「これは統計です」って、よく言うんだけど、ちょっと僕は、統計とも思えないところがあるんだけどなあ。まず、占いや新興宗教とか、教義みたいな ものを信じるか、どうかなんだけども。僕、多分ストレートに「神とか宗教とか占いとかを信じてますか?」って聞かれたら、「いや、信じてないです」って、 ポンって答える場合はあるんだよ。

 ただ、「それは普通に信じてない」じゃなくて、「俺は性格悪いから信じ切れないんだけどね」というニュアンス込みなんだ。ほとんど、逃げみたいなもんなんだろうね。

 本来は「神様も占いも割と信じるべきである」って思ってます。「信じるべき」って言い方が正しいんだろうな。なぜかと言うと、世の中って、理解できな かったり納得できなかったりするのが、当たり前なんだ。で、納得とか理解できないことを飲み込むことによって、人間は行動できるんだよね。

「なぜそうなのか」「納得、理解できない」「将来が分からない」ってことが、不安でしょうがないのが人間なんだ。それを乗り越えるための手法として、占いがあったり、宗教があったりするんだよ。

 だから本当言えば、僕らは人間が死んだらゴミ箱に捨てていいはずなんだ。ペットが死んだら、燃えるゴミに出しちゃっていいはずなんだよ。衛生上どうかというのはあるんだけど。あれは生ごみの一種なんだ。でもそうじゃないじゃん。

 僕らにとって誰か家族が死んだ死体とかペットが死んだ時の死体っていうのは埋葬したり、供養したり手を合わせたり、それを思い出したり、葬式したりと、 儀式一連で自分達の心の中で落ち着けてくものだと思うんだよね。占いとか宗教は、それの一部である。それをゼロにして、「そういう不合理なものは信じな い」って言うなら、「だったらお前葬式すんなよ」って思うんだよな。葬式を肯定する代わり、「それは人間の心を落ち着かせるためだ」とか、「遺族のため だ」、って言うなら、占いも宗教も全部同じなんだよ。

 僕はその辺を考えて以後、あまり占いとか宗教をネガティブに語らないようにしてるんだ。以後って言っても、俺が40越えた頃からぐらいだから。若い頃はエンジン全開で「そんなもんないんだ!」とか「欺瞞だ!」って言ってもいい。若い奴の特権だと思うから(笑)。

 皆さんは「んなものねえよ!」とか「嘘だ!」とか言ってても構わないと思う。ただ、35とか40ぐらいになったらちょっと思い出してみて。
 特に誰か親しい人に不幸があったりペットが死んだ時に、すごく悲しい時の落とし所として、何かないと人間はダメなんだ。それは決して悪いものじゃない。人間は、合理と論理だけで生きれるもんじゃない。
 だって、論理モンスターと言われた俺ですら、「葬式みたいなものって大事だ」って思ってんだからさ。そういうのがないと、やっぱり人間は変になっちゃうと思います。

【まとめ】
親しい人に不幸があったり、ペットが死んだりしたような悲しいときの落とし所として、占いや宗教は必要。人は論理だけじゃ生きられない。