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岡田斗司夫の解決!ズバっと 「キャラで選べば、自分に責任はない」
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岡田斗司夫の解決!ズバっと 「キャラで選べば、自分に責任はない」

2016-03-11 06:00
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    岡田斗司夫のニコ生では言えない話
     岡田斗司夫の解決!ズバっと 2016/03/11
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    おはようございます。

    今日は『解決!ズバッと』はお休み。
    絶賛発売中の岡田斗司夫の最新著作『カリスマ論』から、ハイライトをお届けします。

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    「キャラで選べば、自分に責任はない」


     コスパ以外にも、キャラで政治家を選ぶことには大きな利点があります。
     それは、自分が責任を取らなくてもいいということ。

     仮に、政策をじっくり吟味した上で「俺は憲法改正に賛成!」、「私は憲法改正に反対!」と決めたとしましょう。
     その後、情勢が変わり、自分が思っていたのとは違う結果になったらどうするか?
     この場合、政策を選んだ自分のミスとなって返ってきます。
     「自分がバカだったから、あの政策を選んでしまった」と後悔することになる。

     じゃあ、「何となくあいつは信用できそう」と、キャラで政治家を選んだのだったらどうでしょう?
     その政治家の採った政策があとから失敗だったとわかった時、「自分がバカだったから、あの政治家を選んでしまった」とはあまり考えないものです。
     「あいつは本当に悪党だったよ! とんでもない野郎だ!」、そんな風に、自分は騙された被害者だと思うことができるんですね。 

     今の現役世代は、「ノーミス世代」です。
     子どもの頃から豊富な情報を与えられて育ってきたせいで、「一番うまいやり方」を常に選択しようとする。
     間違った選択をすることを極端に恐れる傾向が強いんです。

     ノーミス世代にとって、政治的な意見をはっきりさせず、キャラで選ぶというのはとても都合がいい。
     「僕はこの政策を選ぶ」ではなく、「僕はこの人を応援しています」くらいのふんわりした感じにしておけば、自分が責任を感じる必要がありません。
     このような振る舞いこそ、イワシ化した私たちの最適化行動なのです。

     誤解しないでいただきたいのですが、何も私はイワシになることがいいとか悪いとか、是非を説いているのではありません。
     これからますます世界中の大多数がイワシ化していく中、イワシたちは自身にとって合理的な行動を選択している、と言いたいだけです。


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