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11月某日、4年半という途方もない期間をかけて完成させた絵本『えんとつ町のプペル』について、AOL単独インタビューを受けてくれた西野亮廣(ペンネーム:にしのあきひろ)は、パブリックイメージ通り、質問に対してよどみなくすらすらと答えてくれた。ときおり「あ、ちょっと違うな」、「えーっと、どう言ったらいいんだろう」と、的確に思いを伝えるために思案する瞬間もありながら、また雄弁に、ときに笑いを交えながら楽しそうに言葉を重ねる。多彩なという表現では収まりきらない、あらゆる可能性を秘めたこの男に絵本のことを聞いていたが、いつしか飛び越えて、お笑いのこと、テレビのこと、コミュニケーションのこと、将来のこと――ありのままの気持ちがさく裂した。
――これまでも絵本を出版されていますが、今回は取り組み方が違ったと伺っています。
そうですね。いつものように絵本を描き出したんですけど、何カ月か経ってから、「ああ、これだったらひとりより分業制でやったほうが絶対に面白い」と思って、移行したんです。
――ひとりではない分業ならではの苦労は、少なからずありましたか?
ありましたね。要は、スタッフだけでも35人ぐらいいるので、ひとつにしなきゃいけないという面では大変でした。だからと言って、すごく上手な技を使ったというわけでもなく、僕が巧みに人を動かしたわけでもなくて。スタッフの人が「こういう理由で、これはできないんです」と言ってきても、「ダメだ、やろう」と言って押し戻すという。
――押し切るというか、パワープレーな感じなんですね(笑)。
ですね(笑)。「そんなんじゃダメだ、そこを何とかしてやろう」と、僕はただただわがままを言っているだけっていう。細かいことを言うと、筆のタッチを合わせなきゃいけなかったり、キャラクターの表情やサイズなどを全員が把握するための苦労はありましたかね。「何だこれ、違うなあ」みたいなものがあると、僕がペンを握って「こうやって描くんだよ」とやってみせたりしていました。今思えば、プロのスタッフさんの尊厳とか一切無視ですよね。ひどいもんですね、そう考えると...。
――こだわりの詰まった完成作ですね。設定が非常にファンタジックな中、お話としては王道をいかれているような印象でした。言葉にするとすごくシンプルに聞こえますが、夢や友情、愛情のような気持ちを届けたかったのでしょうか?
舞台のえんとつ町はえんとつだらけで、煙がいっぱいなんです。頭の上はモクモクしているから、えんとつ町に住む人は輝く星を知らないし、青い空を知らない。つまり、上(空)を見上げることをしない。主人公の少年ルビッチは、星を信じて見上げるんですけど、周りは見上げる人を徹底的に叩くんですよ。それっぽいことを言うと、これって、「空気が読めない」とか「仲間に入れよ」という現代社会を描いてもいて。だから風刺画でもあるんです。
――そのメッセージを聞くと、また見方が変わります。経験として感じていることを描かれたんですか?
そうです、そうです。自分の場合だと、「ひな壇、やめる」みたいなことを言ったりして騒がれましたけど、本当は自由じゃないですか。ひな壇をやる芸人がいてもいいし、やらない芸人がいてもいいし。人数の都合で、主張がひとりになってしまったときに、みんなで一斉に叩くみたいなことが起こる。僕だけではなくて、はみ出して叩かれているような人って、会社レベルでも学校レベルでも、どこにでもいると思っているんです。そういう人たちに向けた応援歌にもなっています。
――なるほど。綿密なコミュニケーションを取らないといい作品は生まれないのではと考えますが、西野さんは普段コミュニケーションを取る上で気をつけていることはありますか?
何だろう。何かしているのかな...。1個だけ気をつけているとしたら、年下を否定しないということですかね。
――どうしてですか?
生き物として、自分より下の人のほうが優秀だから。僕達の下の世代は、僕達のいいところを見て、悪いところも見て、「じゃあこうしよう」というアップデートをずっとしているから、種として優秀なのは絶対的に年下ですよね。正直、「何を面白がっているのかな?」と理解できないことは多々あるんですよ。でも理解しようとしなければ、そこで終わってしまう。だから、理解できないことがあっても否定しないようにしています。上の人が言っていることは大体知っているし、学ぶことはあまりないですけど(笑)、そんなことよりも、年下が面白がっていることを勉強させてもらうっていう。
――例えば、20代ひいては10代のことを、ゆとり、さとりと切り分けて考えていきがちですけど、そういうことはしないということですよね?
切り分ける人がいたら、もったいないと思っています。「最近の若い奴は」みたいな言い分が本当に正しかったら、人間はとっくに絶滅していると思うんです。若い奴のほうが優秀だから、今日も人間は生きているし。こちらの理解力が劣っているだけの話で、基本的には下のほうが圧倒的に優秀。ほんで、僕、20歳の奴らと飲みに行ったりするんですね。実際、震えるぐらい面白いことを考えていますから。
――へえ~。例えば、どういうことですか?
僕達の原体験は森、山、川や教室だったりしましたけど、僕らよりすぐ下の世代になったら、世界につながっているのが当たり前でスタートしているんです。Googleがあって当たり前、Amazonがあって当たり前の時代を生きている。まず、学校の先生が「こうですよ」とか言っても、それが嘘かどうかも、もう見抜かれているんです。「だって、スティーブ・ジョブズはそうじゃなかったじゃん」って言われてしまう。原体験がいきなり世界だから、スケールが圧倒的に違います。
――実際、影響を受けたりしますか?
僕達は東京とか大阪とか町レベルの志向だったけど、20代の起業家の奴らとしゃべっていると、全員世界を狙っていたりして、それが当たり前なんですよ。「何でそんな小さな町で競争しているの?だって今、世界はそうじゃないんだから。世界はこうなっていくじゃん」というのが、僕らより全然見えているんです。だから面白いです。で、圧倒的に負ける。負けているから教えてもらわないと、頭を下げないと。
――そう思われるのって、西野さん自身「最近の若い奴は」の「若い奴」と言われたことがあるから、というのもありますか?
あると思います。思いますどころか、僕、たぶん芸人の中でトップクラスであります(笑)。若い奴というより、上の世代の人達から「何でそんなことすんねん」みたいなのは結構ありましたよ。さらに、芸能界の中では「何でそんなことしてんねん」っていうバッシングの嵐。僕、実は大してスキャンダルってないんですよ。不倫とかしているわけではないのに(笑)、叩かれているランキングで言ったら、僕、芸能界で5本の指に入ると思う。
――西野さんは世の中的にメディアに出たり、売れること自体すごく早かったですよね。やっかみみたいなものも含め、受け止めていたんですか?
最初...そう言えば、出るのがすごく早かったので、それはありましたね。今はどうなんだろう。たぶん今は、好きなことをしているからだと思います。好きなことをしていない人、好きなことができていない人に対して、「西野は好きなことをしているけど、果たして俺はこれで大丈夫なのか?」と不安を与えてしまっているのかなと。つまり、間接的に攻撃してしまっているから、それは反発もあるよなって受け止めています。
――生き方で攻撃しちゃっているということですね。
そうです。やっぱりいまいましい奴だと思いますよ、不安にさせる存在っていうのは。
――不安要素は誰しもが排除したいですから。
前は、ちょっとそれが理解できなかったんですよ。あるとき、肩書を聞かれて「芸人から絵本作家」ってちょっとノリで言ったんです。「肩書変えた」、「あ、そう」で終わる話だと思っていたら、テレビのワイドショーで取り上げられて、コメンテーターとかも「う~ん」と唸っているから、何がそんなにあれなのか、最初は不思議で仕方がなかったんですよ。だって、人の肩書なんて本当にどうだってよくないですか? でも考えてみると、不快に、つまり、不安にさせているんだと気づいたんです。裏を返すと、そういう攻撃があるっていうことは、僕は好きなことができているっていうことなのかと。
――腑に落ちたっていう感じですね。非常にハイペースで人生を歩まれている気もしますが、36歳からの中盤戦~後半戦、西野さんのライフプランはどうなる予定ですか?
いや、2年先ぐらいまでしか見えていないですけど(笑)。これとあれやって、みたいな。40代になってくると、もうわかんないですね。いきなり芸能界をやめているかもしれないし、急に農業に興味が出たら農業やるし。そのときの時代がわからないから決めないっていう。とにかく面白いことをする人、世間をびっくりさす人でありたいので、その姿勢だけは決めておいて、あとは時代に合ったアプローチの仕方でいきたいです。それがそのときにもう1回漫才かもしれないし、絵本かもしれないし、町づくりかもしれないと思っています。
――いま「漫才」という言葉が聞けてちょっとうれしかったんですが。例えば、テレビでもっと漫才が見たいとか、西野さんが見たいという声は多くあっても、テレビという媒体は、現在、西野さんの中ではあまり大きなウェートを占めていないんですか?
僕、25歳で『はねるのトびら』っていう番組をゴールデンでやったとき、そのタイミングでひな壇に出るのをやめようとか、あれをやる、これをやると先のことを決めていたんです。明確に思ったことは、テレビを追うのをやめて、テレビに追われるようにしようと。今いろいろなメディアがあるから、テレビはもしかしたら今後どんどんおばちゃん化していって、どんどん面白いというスケールが小さくなっていくかもしれないと思って。僕の目的は面白いことをすることだから、テレビに追われるようになって、「この条件だったら僕は出ますよ」、「徹底的に面白いことができるんだったら、僕はテレビに出ます」としなければ、テレビで面白いことができないかなと思ったんです。突き詰めると、テレビで面白いことをしたいなら、テレビと交渉できる状況を作っておかないといけなかった。
――ただ露出して消費されて終わる側ではなく、逆の立場に立つというか。
そうです。テレビと対等になれたらと。だから、絵本が出るタイミングで『アメトーーク!』で「スゴイんだぞ!西野さん」(の企画)をやってもらって、みたいな。
――作戦通りなんですね。では、割と思い描いていたプラン通りに進んでいらっしゃる?
いや、進んでいないときもあるんですけど...。『アメトーーク!』の加地さん(ゼネラルプロデューサー)と半年にいっぺんくらい飲みに行くんですけど、実は加地さんも「そうしたほうがいいんじゃないか」って言う人側で、今回のタイミングで出してくれたんです。本当に、テレビはもっと面白いほうがいい。
――テレビへの深い愛情を感じます。全然否定していないですね。
はい。一切テレビを否定してないです。僕は子供のとき、テレビにすごくドキドキしたんで、だから1ミリもテレビを面白くすることを諦めてないっていう。ただ面白いことがしたいんです。
――熱量の高いお話、とても興味深かったです。最後に、西野さんと同世代が多いAOL読者にメッセージをください。
はい! 僕ら世代だとおっさんというか、お父さんの人も多いですよね? この絵本、お父さんの話でもあるんですよ。買わなくてもいいんで、立ち読みだけ1回していただいたら。もしくは、最悪僕のブログとかにも全部載っているので(笑)、読んでいただいても一向にかまいません。そして、気が向いたらぜひ買ってください。(取材・文・写真:赤山恭子)
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