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あれは、2000年のことだった。
僕は、2000年にプロギタリストとしての仕事を
開始し、ヨチヨチ歩きながらも、ギタリストとしての生活を始めた。
K-1という存在は、以前から知ってはいたが、
アンディ・フグ選手が好きだった。侍の魂を持っている空手家だった。
そのアンディ選手がいつも負ける格闘家がいると、うっすらと
聞いたことがあった。憎たらしいほど強い。
それが、ピーター・アーツ選手だった。
なんとなく、テレビを見ていたら、アーツ選手がシリル・アビディ選手と
試合をしていた。どうも、一度負けてしまい、リベンジ・マッチらしい。
ところが、試合中に腰を痛くしてそのままうずくまってしまった。
一体何が起きたのか?と思った。それがアーツ選手の苦難の始まりだった。
その後ラスベガス大会では、不調のためステファン・レコ選手に負けてしまった。
あのアーツが、2000年末のK-1決勝戦で負けるかもしれない。
そんなニュースが飛び交った。僕は、とにかく食い入るように
テレビ画面を見て応援するようになった。以降、格闘技ブームが
やってきて、僕はギターの練習以外の趣味は全て格闘技観戦に夢中になった。
K-1、PRIDE、猪木祭り・・・良い時代だった。大晦日は、いつも
年明けにリリースする作品のアレンジをしていることが多くて、
格闘技を見ながらアレンジをするのが毎年のことだった。
ピーター・アーツ選手は、2000年度以降、腰の不調もあり、
90年代に出していたハイキックがなかなか出せなくなった。
しかし、それでも、なんとか気迫で相手に向かっていき、逆転KOして
しまうのである。そんなアーツ選手の試合に心を打たれた。
アーツ選手は僕の4つ年上なので、こんな30代になりたい!と
思い、ずっと彼のビデオを観ながら僕は音楽へのモチベーションを
高めてきた。
しかし、格闘技ブームも、PRIDEの消滅あたりから終わりを告げて、
同時に有名な選手がどんどん引退していった。アーネスト・ホースト選手や
アンディ・フグ選手やマイク・ベルナルド選手の死もあった。
それでも、アーツ選手はずっと第一線で戦い続けて、僕はこれまで
色んな辛いことがあった時は、必ずアーツ選手の試合に救われてきた。
2011年に、ギネス記録にチャレンジしようとした時は、
アーツvsシュルトの試合のビデオを何度も観た。
ギネスに認定されない夢(もしくは認定される夢)を
3ヶ月位うなされながら見続けていたので、
2011年は非常に厳しい年だった。
だけど、僕はあの試合のビデオに本当に救われてきた。
そんなピーターアーツ選手が昨日引退した。今日ファンの
お別れ会があったので参加させてもらった。
あっという間にお別れ会は終わってしまったけれど、
あっという間にお別れ会は終わってしまったけれど、
僕のCDをアーツ選手にプレゼントすることができた。
「I love the Guitar」と話してくれた。
僕の家の守り神になっていて、決して家から出さない
「僕が最初に買ったギターのネック」を、今回初めて家から
持ち出して、アーツ選手に見せたら、サインをしてくれた。
グローブも来場者全員にプレゼントしてくれて、嬉しかった。
グローブも来場者全員にプレゼントしてくれて、嬉しかった。
一生の思い出になった。この10年間、アーツ選手からもらった
感動を、僕はギターで表現できるようになるぞ!
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