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【エッセイ】底辺レズが中野ブロードウェイを巡回して想う事
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【エッセイ】底辺レズが中野ブロードウェイを巡回して想う事

2016-04-09 14:30
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    私はレズである。名前はもうある。
    名前があるからには当然戸籍も住民登録もしてある。仕事もある。

    私が自らの性質を自覚したのは女性を愛好する以上に生まれながら男性への配慮を徹底的に欠いていることにあった。異性が嫌いだとか苦手ということではない。そういうレズビアンも多いが、自分の場合は単純に圧倒的に異性への関心が低い。だから例えば異性と婚姻するということはできない。単純に不便だからだ。それは私ではない。
    幼稚園のときから女の子が大好きでクラス中の女の子に「友達になろう」と声をかけていた。園児であろうと人気のある男の子やモテる男の子もいたものだが、一切関心がなかった。男の子の名前は、それがたとえスカートめくりをしてくる注意を払うべき手合いであっても一切名前を覚えられなかった。

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    私は漫画を好む。レズではあるが百合漫画しか読まないということはない。
    少女漫画も少年漫画も等しく読む。
    ただ青年漫画にだけは関心が向かない。
    上に述べた理由と同じだ。
    しかしとにかく漫画が増える。電子書籍を利用してもいるが新刊はやはり紙がいい。
    そんなこと言っているために溢れ出した本を整理するために中野にきた。

    ブロードウェイはかつて三十年以上前にできた折には、今に例えれば六本木ヒルズのような扱いだったという。今ではすっかり建物も古びてテナントも中古漫画やアンティークを扱っている店ばかりなので、昭和の雰囲気がそのまま残っている空間となっている。
    幼い頃にはそれでも新しさと活気に溢れていた。現代的な気分に満ちていた。
    それがいつしか“レトロ”といったレッテルが貼られるようになった。“サブカル”もここに与する。

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    ひとえに『まんだらけ』の店舗が入り組んでいるのが要因だろうと思うが、それだって開店した当初は完全に新しかった。当時から古書店としての役割を有してはいたので、扱っているものは考えると昭和初期の作品もあったのだ。けれどなんといっても無数の同人誌を扱いはじめたということが新しかった。しかし現在は同人誌は決して新しい文化とは言えない。ただ少数派であるだけだ。

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    実に『まんだらけ』の27店舗がブロードウェイを占めている。
    置いている品々が面妖すぎて通路を妖怪や妖精が歩いていてもわからないような雰囲気だ。さして複雑な構造の建物ではないが、店舗のデコレーションや区画の細かすぎることが迷宮の気配を醸している。今すれ違ったフードを被った人が幽霊だった、と言われてもわからないような場所なのだ。そんな経験はない。ないが、ここは実際「出る」と噂がある。

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    二階の買取売り場で漫画を売り払った。
    近頃は時代も変わってレズビアンも喜ぶ百合のアニメや漫画も増えたが、ここでは相変わらず女性向けの製品は“腐向け”のものが多い。
    私もかつてはBL(ボーイズ・ラブ)を愛した。それしか同性愛に関する文化がなかったからだ。けれどそれを支持する人たちが正しく同性愛を理解しているかといえば、必ずしもそうではないことに気付いた。よって徐々に関心が薄れた。BLを追う必要がなくなるほどに百合カルチャーが台頭してきたおかげでもある。

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    昔、同人誌を作っていたときにあるお嬢さんに不随意に恋してしまったことがある。お嬢さんといっても同い年くらいだからもうお互いいい年だ。
    愛らしい人だった。なぜお嬢さんかといえば、育ちがいいと感じたからだ。これは私が同人誌をつくっているうちに感じたことだが、あれだけ金のかかる趣味に興じられる人たちは相当に切り詰めているか、それなりに余裕があるかのどちらかだ。そしてこれは私のあくまでも個人的見解だが、腐女子は後者が多い。美術大学を出て趣味を同人誌で生かしている、ようなタイプだ。頭がいいし品もある。そういう人たちばかりなので、貧乏人で暗くて無理に小説同人誌を発行している自分とは隔たりがあった。「格差」を感じていた。私はお金のために発行していた。儲けたかった。今ではそれがどれだけ愚かしいかを知っているが、分かろうとする余裕もなかった。気付いていながら引き際を見誤っていた。
    末にはただただ楽しくなっていたからだ。

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    以前、同人誌に関する記事を書いたときに引用した表現で「感性の密林」というのがある。同人誌は感性の密林だ。だから残酷だ。上手なものが持てはやされてまずいものは人気がない。上手な作家さんは話しているだけでこちらの気が引き締まるようなところがある。都会的な人が多い。
    けれど彼女は少し違っていた。感性が群を抜いていて、目がいい人だった。目がいいというのは視力がいいとか瞳が澄んでいるという安易なたとえではない。かっちりとまっすぐ前を向いていて、見られると何もかも見透かされるような感じがした。本質を見るというのだろうか。それでいて当人は無邪気だった。

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    同人誌を作成する人ならわかるだろうが、絵のうまい人はどこか垢抜けている。それだけでない感じの良さがある。それは善良性というのではない。いろいろなことがあって、ある夜、私は煮詰まって彼女に縁を切る言葉を伝えた。一言で表せば精神的に限界だった。けれど本当にそれきりになってしまい、今思えばそれもどうかと思うが慌ててしつこく連絡をしたが返事はなかった。それで初めて私はそれまでの行為を省みるということをした。不快感や迷惑を押し付けていたのだろうと思う。後になってもそのときも自分で自分をちょっと不気味だなと思っていた。悪いことをした。

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    思いを伝えたときに、相手にとって自分がどう見えるのだろう。それは同性愛に限らず誰もが思うことだろう。しかし女性が男性に対して覚えるそれに比べて、男性が女性に対して感じるそれは幾分か必ず怯懦を含んでいることだろう。レズビアンでもそれは同じだ。

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    中野ブロードウェイのいいところは、幼い頃見ていた漫画やアニメで見つけて愛した魔法少女が今でも健在なことだ。そこには幻想があり少女の夢があり、理想だったスターがいる。
    すっかり私は同人活動をやめてしまったが、漫画もアニメも相変わらず好きだ。新しいものを追いかける元気は昔ほどにはないのだけれど。

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    この数年で時代は変わって、同性愛者への認識も世の中では変わりつつある。
    しかし自分が普遍的でないために感じる息苦しさは未だにある。
    他人から見たときに自分は幸福をもたらす妖精か不吉な異形か、なんてどうして考えなければならなかったのだろう。

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    デコラティブに飾られたいくつもの雑多な店を巡っていると、感覚が次第に狂ってくる。
    私はけしてこの場所が好きなわけではない。けれどぐるぐるとこの迷宮をさまよっていると、異形でも妖精でもきちんと居場所が与えられていることを実感する。
    珍しいものをこんなふうにショーケースに飾って置いている。もうそれ自体が展示場のようなものなのだ。いつか持ち帰りたいと感じる品もある。

    好きではない。
    好きではないけれど、案内役をつとめられるほどには詳しくなってしまった。
    そういえばここに人を連れてくるときは、いつでも相手はセクシャルマイノリティだった。もしかしたらここは、何の変哲もない場所に居場所を感じられない人の拠りどころのひとつなのかもしれない。そう思う。

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