「とんでもないゲームを作ったな」というのが正直な感想だ。名作、傑作、神ゲー……ゲームを称える言葉はたくさんあるが、どんなに強い言葉を用いたとしても、本作のすばらしさ、凄まじさの前には役不足だろう。『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』をプレイした人は多かれ少なかれ、自分の想像のはるか上をいく体験に、同様の感想を抱くのではないかと思う。

「発見」の楽しさを持つ人気シリーズ最新作! 『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』

『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』は、任天堂の誇る人気シリーズのひとつ「ゼルダの伝説」シリーズの最新作。なおかつ、前作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の直接的な続編となっている。

「ゼルダの伝説」シリーズはアクションRPG、あるいはアクションアドベンチャーと呼ばれるゲームジャンルに属しており、作品によって差はあるが基本的に「発見」の楽しさを持っている作品だ。たとえば筆者の心に強く残っているのは、「ブーメラン」というアイテム。

(画像は『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』 Nintendo Switch Online版)

「ブーメラン」は現実世界のブーメランと同様、敵を遠距離から攻撃でき、かつブーメラン本体が戻ってくるため弾数などを気にすることなく使用できるというアイテムだ。と同時に、敵が落としたアイテムなどを主人公の元に引き寄せることもできる。つまり、「便利な攻撃手段」といえるアイテムなのだが、プレイヤーがこんな風に「便利な攻撃手段」と認識してしまうことを「発見」の楽しさへと昇華しているのが本シリーズの巧妙なところ。

確かに攻撃手段としても使えるのだが、離れたところにあるスイッチを起動したり、敵が落とした以外のアイテムを引き寄せたりといった別の用途にも使えるのだ。こうやって解説すると、「敵を攻撃できるんだから、スイッチに衝撃を与えられるのは当たり前」「敵の落としたアイテムを引き寄せられるんだから、それ以外も引き寄せられて当然」と思える。

しかし、ゲームをプレイしている最中のプレイヤーは「このアイテムはこう使うものである」という先入観に縛られやすい。「このアイテムはこのシチュエーションでこう使うもの」と簡略化した方が覚えやすく、効率的に使えるからだ。だが「ゼルダの伝説」シリーズではいつもプレイヤーの持つ先入観によって生じる盲点を巧みに突いてくる。

攻撃手段かと思いきや、謎解きに使える。謎解きに使うためのアイテムかと思いきや、攻撃にも使える。こうしたことに「気づく」のが「ゼルダの伝説」シリーズが持つ「発見」の楽しさだ。

(画像は『ゼルダの伝説』 Nintendo Switch Online版)

この「発見」の楽しさは、脱出ゲームなどの謎解きゲームと近いように思えるが、「ゼルダの伝説」シリーズが特徴的なのは謎を作り出しているのがシナリオではなく、プレイヤー自身の先入観という点だろう。謎解きゲームのようにシナリオ的に用意された謎は、人が意図的に作り出している都合上、謎を解けたとしてもその答えに納得がいかず、時に理不尽に感じてしまうことも少なくない。

しかし「ゼルダの伝説」シリーズの場合はプレイヤーの先入観が謎を作り出すという構造上、謎を解けた時に感じるのは「気づいた自分スゴイ!」という気持ちよさや、「なんで今までの自分はこんなことに気づかなかったんだろう」という自分への悔しさ。つまり、現実世界で何かを「発見」したときと同様に自分が成長した感覚を味わわせてくれるのだ。

「発見」×「圧倒的自由度」=前作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』

こうした「ゼルダの伝説」シリーズが持つ「発見」の楽しさを、圧倒的な自由度の高さを持つ「オープンエアー」というかたちで表現したのが前作、『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』だった。「オープンエアー」とは、一般的なゲームジャンル名である「オープンワールド」を発展させたジャンル名といえる。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

「オープンワールド」とは、区切りのないゲームマップを舞台に自由の高いゲーム進行を持つゲームを示すジャンル名。基本的にゲームでは、ゲームマップに区切りをつけるのが一般的だ。たとえばゲーム内でA国とB国という2つの国がある場合、A国からB国へ移動しようとするとA国からB国へとマップが切り替わる。

もし「切り替わる」という言葉でイメージが難しいようなら、演劇のシーンの切り替わりをイメージしてほしい。A国のシーンからB国のシーンへ移る際、A国からB国への道を演者が歩いて移動するのではなく、舞台が暗転して背景がA国のものからB国のものへと差し替えられる。

これに対し「オープンワールド」は、まさに現実世界で移動するのと同様、A国とB国が地続きになっているので「切り替え」や「差し替え」が発生しない。現実世界同様に、A国から道を進むと徐々にB国へ近づいていくかたちとなっている。では一体それが何のおもしろさに繋がるのか?……というと、「自由度」を通した「現実感」の再現だ。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

ゲームにおいてマップの切り替わりを発生させる場合、基本的には敵の位置やアイテムの位置も再設定される。演劇でシーンが変わった際、演者が初期位置に立っているのと同様、マップが切り替わると敵の位置やアイテムの位置も初期化。このため、コンビニへ向かって進行中の市民を眺めつつB国へ移動し、すぐさまA国に戻ると、コンビニへ向かっていたはずの市民が最初の位置にいる……なんてことが起こり得る。

もちろんこれは、悪いことではない。というのも、ゲームにおける楽しさを作っている要素のひとつが「段取り」だから。

たとえば、ギリギリのジャンプで穴を飛び越えると、その直後空から敵が襲ってくる……という「段取り」に対し、我々は「難しさ」や「どう攻略するか?」という楽しさを見出している。もしこれが、場合によって敵が襲って来たり来なかったりすると、運次第で難易度が変わるため、攻略の意味がなくなってしまう。「運に左右されるゲーム」……「運ゲー」という言葉が否定的に使われるのはこうした理由からだろう。

なので、マップが切り替わるタイプのゲームは、こうした「段取りの楽しさ」を味わうゲームといってもいいかもしれない。これに対し「オープンワールド」はマップが地続き。このため、ゲームオーバーにでもならない限り、基本的に敵やアイテムが再設定されることはない。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

基本的に「オープンワールド」のキャラクターは現実世界の人間同様、一日のサイクルに基づいて動く。このため、コンビニへ向かって進行中の市民を眺めつつB国へ移動し、すぐさまA国に戻ると、市民はコンビニでの買い物を終え、家に帰っていた……といった展開になる。市民はそれぞれの習慣に応じて独自の生活を過ごしているのだ。

しかしだ。となると、「オープンワールド」のゲームには「どう攻略するか?」という楽しさがないことになってしまう。だがその代わりにあるのが、「どう対応するか」という自由度だ。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

「オープンワールド」のゲームの多くは、敵を正面から攻略せずとも別の手段で先へ進むことができるようになっている。たとえば、敵の見張りが夜になって交代するタイミングで、戦うことなく敵アジトに侵入する……だとか、遠距離から弓で攻撃して倒してしまう……といった具合に。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

こうした時に「どう対応するか」を決める「とっかかり」となる要素こそ、「現実感」だ。「オープンワールド」のキャラクターたちは現実の我々同様のサイクルに基づいて行動しているため、「なら見張りはどこかのタイミングで交代するだろう」だとか「夜は寝るに違いない」といった、現実世界の知識に基づいた発想が可能なのだ。

……とはいえ、これまでの「オープンワールド」にも限界はあった。というのも、「オープンワールド」も、ゲームとしてストーリー要素を持っている。

ストーリー要素を持つということは、ストーリー進行上の都合があるということ。たとえば、途中のストーリーを無視していきなり最終ステージに向かったり、最終ボスに攻撃を仕掛けられては全体のストーリーが破綻してしまう。

となると、プレイヤーの選択肢をある程度限定しなければならない。これが「オープンワールド」の限界といっていいだろう。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

この限界を打ち破ったのが、前作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の「オープンエアー」だ。前作では、プレイヤーの体力が許す限り、どこへでも行くことができる。遠くに見えるあの山に登ることも、あの湖を泳いで向こう岸へ渡ることも可能。

また山は登れるが、建物の壁は登れないといったゲーム的なお約束もほとんどない。滑る素材なので掴むことができず、登れない壁等は存在するが、基本的には木だろうが山だろうが建物だろうが登ることができる。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

しかも、単純にマップとして存在するだけでなく、「活用」することができた。代表的なのは「火」の活用だろう。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』では火打石を金属製の武器で叩くと発火、近くに薪があれば焚火を起こすことができた。焚火に木製の武器をくべれば火をつけることができ、そのまま攻撃に使ったり、爆弾に点火したりということも可能。さらには火を使って周辺の草を燃やし、火の力で敵集団を倒す……なんてこともできた。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

任天堂によると「オープンエアー」の名の下に目指した内容は、「プレイヤーがその世界の一部になるような世界」らしい。そして『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』は、それを完全に実現していた。

『ブレス オブ ザ ワイルド』の世界は現実同様、確かにあり、我々が考えることはすべて試せるのだ。手で掴める物を利用して登ることができるし、目に見える場所には行くことができるし、火はきちんと熱を持っていて、可燃物を燃やすことができる。『ブレス オブ ザ ワイルド』世界の構成要素は、すべてがきちんと現実的に作用するのだ。

だから、「これってこういう風に活用できるのでは?」という思い付きがそのまま試せる。そして、「この敵はこんな倒し方もできたんだ!」と「発見」するわけだ。この「発見」を前作で最もストレートに表現していたのが、いきなり最終ステージに向かい、最終ボスと戦って倒せるという点だろう。

『ブレス オブ ザ ワイルド』は、ストーリー進行にも工夫を凝らしていた。その工夫とは、主要なストーリーを、主人公・リンクが過去の記憶を追体験するというかたちで描いていることだ。

ストーリー上発生することが現在のことであれば、途中の出来事を飛ばすことができない。飛ばしたら話がつながらなくなってしまう。

しかし、ストーリー上発生することが過去のことであれば、既に出来事が発生しているわけなので描写をカットしても破綻することはない。リンクはストーリー上の出来事を体験しているが、記憶としては戻らなかった……という形になるだけだからだ。

このため、いきなりラスボスに挑んだとしてもストーリー上の破綻はない。もちろん、弱い状態で戦うことになるのでプレイヤーは苦労するだろうが、難易度の上昇も含めてそれも「自由な展開を楽しむ」ということに含まれるだろう。紛れもない「ゼルダの伝説」シリーズの一作であり、「オープンワールド」を越える自由度を持った作品……それが前作『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』だった。

(画像は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』 Nintendo Switch Online版)

正直なところ、前作の時点で傑作であり神ゲーなので、今作が『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のストーリー&マップ追加版であったとしても十分面白かったと思う。だが、『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』はそんなものに収まっていない。

活用を越え創造へ! 『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』

前作からの直接的な続編と書いた通り、今作……『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のエンディング後からストーリーがはじまる。エンディング後なので、主人公・リンクは厄災ガノンを退けており、既に十分強い。もちろん、脇にはヒロインのゼルダ姫の姿も見える。

ここからどんなストーリーが展開するのか? 筆者はまずこの導入部で驚かされた。神がかったクオリティだと思う。

……といっても恐らく本作をプレイした人は、「えっ、導入部ってそんなにすごかった?」と思うかもしれない。だがその自然さこそまさに、筆者が驚いた点だ。

映画やマンガなどのシナリオ制作において、導入部には「やらなければならないこと」が存在している。主要登場人物の紹介と、世界観や状況の説明、そして主人公が果たすべき最終目的の提示。昨今のゲームの場合はここに、操作方法やルールの説明といったチュートリアル要素が加わってくる。

本作の場合、導入部でまず前作のエンディング後であること、ゼルダ姫がどこにいるか、今リンクとゼルダ姫は何の目的でどんな行動をしているのか……といったことを語らなければならない。この点について本作は、ハイラル城地下に異常事態が発生しており、リンクとゼルダ姫でともに原因を調べている……という形で見せつつ、一本道の階段を下りていくというシチュエーションを使って操作説明も行っていく。

さらにこの時のリンクはハートの数が大量なことから、前作のストーリーを見事乗り越えた勇者だとわかる。

リンクのことを勇者と書いたが、本作のように前作と直接つながる続編タイトルでは、主人公の能力をどう扱うか、一工夫必要だ。ゲームに限らずストーリー的なおもしろさというのは、基本的に「成長をどう描くか」という要素が担っている。ということは、最初から成長した姿であってはストーリーも……加えてゲーム的な育成要素も成立しない。

この点について本作は、敵役であるガノンドロフを用いることでスマートに解決している。ハイラル城地下の奥にはガノンドロフのミイラがあり、封印が解けかかっていた。この封印がリンクとゼルダ姫の来訪によって解除され、その際の瘴気によってリンクは力の大半を失うとともに右手を失い、ゼルダ姫はさらなる地下へと姿を消してしまう。

単に敵役が登場しただけ……と思う人もいるかもしれない。だがこのシーンでは、冒頭で敵役を明らかにすることでストーリーで果たすべき役割(ガノンドロフを討伐して、ゼルダ姫を救う)を明確にしている。加えて、プレイヤーが敵役に対する嫌悪感を掻き立てることに成功しているのも巧妙だ。

ガノンドロフがリンクの敵であることは「ゼルダの伝説」シリーズファンには周知の事実だし、ファンでなくともその姿を見れば敵役で、倒さなければならない存在だと分かること。ただ当然のことではなるが、プレイヤー自身がガノンドロフに恨みをもっているわけではない。

だがエンターテインメントを成立させるためには、プレイヤーにも敵への悪感情を持たせる必要がある。個々のプレイヤーが「こいつは許せない敵だ!」と感じることで深いレベルでの感情移入が実現する。本来プレイヤーとは別人であるはずの主人公の冒険を、プレイヤーが自分事として感じられるようになるからだ。

本作においてプレイヤーに敵への悪感情を持たせる役割を担っているのが、リンクが力を失うという表現だろう。プレイヤー視点から見るとこの演出は、「自分の保有するキャラクターが弱体化される」ということであり、これはプレイヤー自身にとっての明確なデメリットとなる。

主人公に成長の余地を生むため能力をリセットするという機能のみならず、同時に感情移入までも実現。さらには、前作を通して成長したはずの主人公をここまで追い詰める……というかたちでガノンドロフの強大さまで描いていることは、巧妙と言わざるを得ないだろう。

でも、これだけじゃない。続いてデザインを介して本作においてのリンクの機能説明まで行われるのだ。

ゼルダ姫とともに奈落へ転落する運命だったはずのリンクだが、ミイラを封じていた「謎の右手」によって救出され、別の場所へと移される。そして目を覚ましたリンクは、失ったはずの自分の右手部分に「謎の右手」が移植されていることに気づく。この右手こそ、本作におけるリンクの新能力の象徴だ。

本作でリンクは、物体を移動したり接着したりする「ウルトラハンド」、手持ちの武器に物体を接着する「スクラビルド」、特定の天井を通り抜ける「トーレルーフ」、物体の動きを過去へと巻き戻す「モドレコ」という新たな能力を獲得する。そしてこれらの新能力は、いずれも謎の右手に宿っている能力だ。

見せ方としては、これらの能力を個別にリンクが技術として習得していく……ことにもできただろう。だが謎の右手という形に集約して見せることで、「なぜそんな能力が使えるのか」「その能力はどんなかたちで発現するのか」「どんな操作方法によってその能力が発現するのか」といった説明が実にスマートに行われている。また、謎の右手の本来の持ち主によって能力の使い方を説明させることで、ナビゲートもとても自然。

そしてこうした導入の最後に待っているのが、大空へのダイブだ。目覚めた場所を出たリンクが目にするのは、明るく爽快な大空。ここまでの展開は暗い屋内が舞台な上、主人公にとって苦難が続いていたので、ここにきての大空は余計にまぶしく思える。

ただこの、暗い屋内を舞台に基本操作のチュートリアルを行い、終了とともに屋外の美しい風景が待っている……という展開は実は前作も同様だ。ただ今作の場合、その美しい風景にダイブする。その爽快感は、前作を経験した身であっても、感動を覚えるほど。

ダイブする時にはもう、プレイヤーはリンクと一体だ。基本操作を知り、ガノンドロフへの怒りを魂に刻み、謎の場所に不安を覚え、そして美しい空へとダイブする気持ちよさに心を躍らせている。極限まで無駄をなくした上で必要なことをすべて伝え、感動まで与えた上でプレイヤーと主人公の感情移入を実現する……どう考えてもクオリティが神がかっている。

導入だけでこれだけ語りたくなってしまうほどスゴイ本作だが、本当にスゴイのはもちろん本編。本作では、前作『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』が持っていた「世界を活用する」という要素を、「創造する」方向へと発展させている。

注目したいのは本作で追加された「ウルトラハンド」、「スクラビルド」、「トーレルーフ」、「モドレコ」という4つの新能力のうちのひとつ、「ウルトラハンド」とアイテムの「ゾナウギア」。「ウルトラハンド」は先ほど触れたとおり、物体を移動したり接着したりできる能力。この能力を使うと、たとえば板とフック状の物体を接着してレールに引っかけ、リフトとして使う……なんてことが可能だ。

「ゾナウギア」は、ゾナウエネルギーという動力によって動く道具で、要するに現実世界における「電動の道具」のようなもの。武器で叩くことでスイッチが入り、もう一度叩くことでスイッチがオフに。「ゾナウギア」にはたとえば、風を作り出す扇風機のようなアイテムが存在している。

「ゾナウギア」と「ウルトラハンド」を組み合わせて使えば、たとえば「ゾナウギア」の力で風を生み出し、自動的に推進するトロッコやイカダ、空中を自由に移動する飛空艇などといったものが作れてしまう。もちろん、ゲームが進めばそのバリエーションはさらに増えていく。

ここで行われているのはつまり、設計と創造だ。自然界に存在するものを創意工夫で活用していた前作から、本作は「世界を活用」した上で「道具を創造する」という次元へ発展させている。

ではこの「創造」によってどんな楽しさが味わえるのか? それは、「創造する楽しさ」だろう。

言葉遊びで煙に巻いているように感じるかもしれないが、そうではない。そもそも「創造」すること自体が、面白さを持っているのだ。おもちゃの世界に目を向けてみると「レゴブロック」が、ゲームの世界であれば「マインクラフト」がすでに「創造」することは楽しいと証明してくれている。

さらに、「移動」のおもしろさも増している。地続きのマップを持つ「オープンワールド」では、「どう対応するか」という自由度がおもしろさだと書いた。そして本作は、「どう移動するか」という自由度が圧倒的に高い。

普通に移動してもいいし「ウルトラハンド」で乗り物を作ってもいい、そこに「ゾナウギア」を組み合わせて自動化することもできるが、それだけではない。「トーレルーフ」を使って天井を越えたり、「モドレコ」を使って乗り物を逆方向へ動かしたり……ということを組み合わせたら、さらにさまざまな移動が可能になる。

前作で「オープンエアー」という言葉の元に目指したのは「プレイヤーがその世界の一部になるような世界」とのことだが、本作の場合は「プレイヤーがその世界を拡張している」かのようだ。

Switch本体&前作と一緒に購入しても後悔することのない一本

正直なところ本作は、単におもしろいゲームではなく、これほどまでにおもしろいゲームが出ることはなかなかない……というレベルの作品だ。これまでに「ゼルダの伝説」シリーズを一作もやっておらず、Nintendo Switch本体も持っていない人が本体と同時に購入しても満足できるのではないかと思う。仮に前作をやっていないとしても体験する価値はある。

ただ、前作は前作で「これほどまでにおもしろいゲームが出ることはなかなかない」という傑作なので、買うなら同時に購入するのもオススメ。一時期はNintendo Switch本体が売り切れていてなかなか買えなかったが現在は解消しているし、Nintendo Switch Onlineの有料プランに加入することで購入可能な「2本でお得 ニンテンドーカタログチケット」を使えば、2本まとめて9980円(税込み)でお得に買える。

興味を持っているなら、購入を渋る理由はないと言っていい。

筆者は小学生2年生から現在まで40年近くのゲームをプレイし続けているが、ここまで長く、大量にゲームをプレイしていると、中にはプレイしたことを忘れてしまうタイトルもある。だが本作をプレイしたことは決して忘れないだろう。思い出に残る……いや、魂に刻まれる一作だ。

『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』をプレイすることができてよかったと、心から思う。

文/田中一広

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