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『ディアブロIV』レビュー:時間も脳もとろける! エグくて甘美な地獄の快楽
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『ディアブロIV』レビュー:時間も脳もとろける! エグくて甘美な地獄の快楽

2023-07-01 14:00
    時間も脳もとろけていく……そんな恐ろしいゲームシリーズの最新作が、とうとう登場してしまった。もちろん、『ディアブロIV』のことだ。こいつは間違いなく地獄! それも、これまでで最高の地獄が詰まっている……。

    気持ちイイ! ハクスラ系アクションRPGシリーズ最新作『ディアブロIV』

    『ディアブロIV』は、ハクスラ系アクションRPG「ディアブロ」シリーズの最新作だ。

    「ハクスラ」とは、「ハック&スラッシュ」の略称。「ハック」とは「叩き斬る」ことで「スラッシュ」は「斬る」こと、つまり直訳すると「叩き斬る&斬る」。まさにこの通り、戦闘に次ぐ戦闘、敵を斬って斬って斬りまくるゲームを指す。

    本作を理解してもらうためには、この「ハクスラ」の魅力を伝えることが最善だと思うので、まずは「ハクスラ」について解説したい。

    そもそも「ハクスラ」なる用語は「ディアブロ」シリーズ発祥ではない。もっと昔……コンピューターRPGが生まれる前から存在していた、テーブルトークRPG(=TRPG)のための用語だ。

    TRPGとはコンピューターを使わず、人と人が会話によってプレイするRPGのこと。テーブルをはさみ会話主体でゲームを進めるから、テーブルトーク。最近ではYouTubeなどでプレイ動画を配信する人も増えているため、何となく知っているという人もいるだろう。

    TRPGにおいて「ハクスラ」とは、物語や世界観より「戦闘の繰り返し」を重視したプレイスタイルを指す言葉。当初はどちらかといえば、ネガティブなイメージを持つ言葉だった。これは、「役割(=ロール)を演じる(=プレイ)ことこそがTRPGの醍醐味なので、物語や世界観部分をないがしろにすべきではない」という価値観が根底にあるからだろう。

    (画像は、『ウィザードリィ外伝 5つの試練』)

    ただその後コンピューターRPGが登場すると、コンピューターRPGでも「戦闘の繰り返し」を重視した作品がリリースされていった。その中でも金字塔といえるのが、『ウィザードリィ』だろう。

    『ウィザードリィ』のストーリーは「悪の魔法使い・ワードナがトレボー王のアミュレットを盗み、ダンジョンに立て籠ったから退治せよ」というもので、作中でこれ以上踏み込んだ内容が描かれることはない。「実はワードナには隠された過去があり、アミュレットを盗んだことには深い理由が……」とか、「実はトレボー王は王国の正式な継承者ではなく、そもそも昔は……」的な波乱万丈のストーリー展開やら人間ドラマといったものは一切なし!

    プレイヤーが『ウィザードリィ』でやることは、冒険者パーティーを編成してダンジョンに潜り、マッピングしつつ敵を倒し、敵を倒し、敵を倒す。これだけ。まさしく、「ハクスラ」。

    だがこの「ハクスラ」が、とんでもない魅力を持っていた。

    (画像は、『ウィザードリィ外伝 5つの試練』)

    『ウィザードリィ』で敵を倒すと、ランダムで宝箱が出現することがある。宝箱の中に何が入っているかもランダムだが、基本的に強い敵ほどレアなアイテムが出現。レアなアイテムを身に着ければ、キャラクターが一気に強くなる。

    強い敵と戦うスリルと、レアアイテムを発見した時の高揚感。これが物凄く気持ちイイ。もはや「楽しい」とか「おもしろい」ではなく、「気持ちイイ」のだ。

    この時点で「ハクスラ」は、「戦闘の繰り返しを楽しむ」という「プレイスタイルを示す言葉」から、「戦闘のスリルとレア発見の気持ちよさを楽しむ」という「魅力を示す言葉」へと意味合いが変わりつつあったのではないだろうか。そして、現代にいたるまで「戦闘のスリルとレア発見の気持ちよさを楽しむ」という「ハクスラ」を飛躍的に発展させてきたのが「ディアブロ」シリーズなのだ。

    「飛躍的に発展」と書いたものの、『ディアブロIV』のビジュアルを現代の他のゲームと比較すると、いささか古めかしく感じるかもしれない。決してグラフィックのクオリティが低いわけではないのだが、見下ろし型で視点固定。キャラクターも小さく、最新の3Dアクションゲームと比べるとド派手なエフェクトも控えめ。

    実はこのことが「ハクスラ」というゲームジャンルの進化の難しさをよく表している。というのも、グラフィックをより派手に美しくして、様々なゲーム性をプラスする……という一般的なゲームの進化の方向性では、「ハクスラ」としての魅力を失ってしまう場合があるからだ。

    「ハクスラ」の魅力である「強い敵と戦うスリルと、レアアイテムを発見した時の高揚感」に関わってくるのが、「強い敵の出現」と「レアアイテム出現」のタイミング。最初はカンタンに倒せていた敵が「徐々に強くなってきたかな……」というタイミングで強敵が出現、苦戦の末にようやく倒すとレアアイテムがゲットでき、さきほどまで脅威に感じていた敵を余裕で倒せてしまう……。

    こうした流れが的確に作られていていると、とても気持ちイイ。しかし、もしこのタイミングが遅ければ「気持ちイイ」とは感じない。

    たとえば、MMORPGの一部は「ハクスラ」とゲームシステムが近い。見下ろし型視点で敵を倒し、敵がドロップしたレアアイテムをゲットするというかたち。

    しかしその多くは、「他プレイヤーとのコミュニケーションしながら楽しむ」というプレイスタイルや、長期にわたってプレイしてもらうための施策といった事情から「強い敵の出現」と「レアアイテム出現」をハイテンポに構成することが困難だ。このため「ハクスラ」と近いゲームシステムにも関わらず、「ディアブロ」シリーズが持つような「気持ちイイ」はあまり感じられない。

    もちろんMMORPGは他プレイヤーとのコミュニケーションが主体なので、「ハクスラ」の「気持ちイイ」が味わえなかったとしてもまったく問題ない。ここで言いたいのは、たとえ同様のゲームシステムを持っていたとしても、「強い敵の出現」と「レアアイテム出現」のタイミング次第では「ハクスラ」の味わいを失ってしまうということ。それはつまり「グラフィックをより派手に美しくして、様々なゲーム性をプラスする」といった要素の追加によってタイミングが狂ったなら、「ハクスラ」の魅力を損なってしまうということだ。

    (画像は、『ウィザードリィ外伝 5つの試練』)

    ゲーム性の追加によって、「ハクスラ」本来の魅力を失ってしまう……それを体現してきたのが「ウィザードリィ」シリーズだろう。「ウィザードリィ」シリーズは、『ウィザードリィVI 禁断の魔筆』での大幅リニューアル以降、さまざまな要素追加を行ってきた。

    しかし日本でいまだに強く支持されるのは初代『ウィザードリィ』のシンプルな形式だ。これは、古参ファンが強く支持しているという事情もあるのかもしれないが、「ハクスラ」以外の要素を下手に追加すると、「ハクスラ」の魅力が損なわれる……という点も影響しているのではないかと思う。

    TRPGでは「ハクスラ」という言葉に、ネガティブなイメージが持たれていたと書いた。しかし「ハクスラ」という言葉が生まれている以上、そこには物語より世界観より「戦闘の繰り返し」を楽しむプレイヤーが確かに存在したということ。であるならば、「戦闘の繰り返し」を楽しむためには物語も世界観も余計なものだった……と仮定できないだろうか?

    そしてこの仮定が正しいなら、「ハクスラ」において「強い敵の出現」と「レアアイテム出現」以外の要素は、魅力を損なうことになる可能性が高い……とも考えられる。

    ここまでの話を踏まえた上で、あらためて『ディアブロIV』を見てほしい。なぜこのビジュアルでなければならないのかが、わかるだろう。

    操作をはじめとするゲームシステム部分も、基本的にこれまでのシリーズを踏襲している。ストーリーで設定された目的地に向かって進みつつ、スキル攻撃で敵を倒し、敵を倒し、敵を倒す。

    強敵と戦うスリルで脳汁がドパー! 獲得したレアアイテムで、またまた脳汁がドパパァー! 脳汁で脳がとろけた上、気づくと時間まで溶けているという「ハクスラ」的魅力は今作でも健在だ。

    しかし、ここまでの話を覆すようだが『ディアブロIV』は新要素を追加している。しかも2つも!

    ハクスラにアクセント的な変化を生む! 「縁の下の力持ち」的オープンワールド

    『ディアブロIV』で追加された要素のひとつが、オープンワールド。オープンワールドとは、ゲーム世界を地続きの一枚マップとして作る手法のこと。世界が地続きとなっていることで、世界全体を同じ時間として管理できる。このためゲーム世界で生きる人たちが日々、どんなふうに暮らしているのか……といった点をリアルに描けるのが特徴だ。

    また、世界全体が一枚マップで表現されていることを活かし、どこへでも自由に移動できる。ゲーム進行上、目的地は決められてしまうものの、そこへ至るルートは自由。こうした移動の自由度も、オープンワールドの魅力のひとつだといえる。

    最近のオープンワールド作品では、『ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム』が記憶に新しい。このゼルダ最新作は、「神ゲー」と呼べるほどの傑作だった。

    だが、「ディアブロ」シリーズのような「ハクスラ」にオープンワールド要素を追加する必要があるのだろうか? 正直なところ筆者は、本作のオープンワールド要素に一切期待していなかった。だが本作をプレイした今は、真逆の感想を持っている。

    オープンワールド要素追加は正解だ……。

    どうして筆者が期待していなかったのかは、記事をここまで読んでくれた読者ならわかってくれるだろう。「強い敵と戦うスリル」と、「レアアイテムを発見した時の高揚感」……そのタイミングこそが「ハクスラ」の命。

    世界が一枚マップだとか世界に生きる人たちの暮らしとかいったものは、強い敵ともレアアイテムともまったく関係がない。しかも、オープンワールドの魅力である自由度の高い移動にいたっては、「ハクスラ」の魅力を損ないかねない。

    どんなルートを通ってもいいのであれば、ルートによって強敵登場やアイテム発見などのイベント発生タイミングが変化してしまう。たとえば、プレイヤーが寄り道した場合にレベル20で戦うべき強敵と、レベル30で戦うことになってしまうかもしれない。そうなったら、もう強敵を強敵とは感じないのではないか?

    つまり、ルートによって「ハクスラ」の魅力が強く味わえなくなる可能性が生まれてしまう。だったらオープンワールド要素なんて入れる必要ないだろう……というのが本作プレイ前の筆者の考えだった。

    こうした筆者の懸念に対して『ディアブロIV』の出したアンサーは、どんなルートであろうと、主人公のレベルに合った強さの敵が出現するというシステム。レベル20のプレイヤーが戦う場合はレベル20のプレイヤーにとっての強敵が、レベル25のプレイヤーであればレベル25にとっての強敵が出現するわけだ。

    なるほど、これなら確かに強敵と戦うスリルは損なわれない。ただ逆に、キャラクターを育成せずとも構わないということにならないだろうか? それでは、そもそもRPGが持つ育成の楽しさを損なうことになるのでは……?

    もちろん、そんな心配は無用だった。ゲーム内のクエストには想定プレイレベルが設定されており、主人公が想定レベルを超えた時、主人公のレベルに応じた敵が出現する……というかたちになっている。想定レベル以下で臨めば自分のレベルを超える強さの敵と戦うことになるため、高レベルのクエストに挑むなら相応の育成が必要だ。

    また、序盤の展開だけを見ても、敵の攻撃バリエーションやダンジョンのトラップバリエーションが豊富。だからこそ、「このダンジョンではどんなトラップが待ち受けているんだ?」「どんなボスが出てくるんだろう?」という好奇心が刺激されてしまう。

    このため筆者はメインクエストよりもサブクエストばかり漁っており、メインクエストが一向に進んでいない。基本的に筆者は一般的なオープンワールドゲームを遊ぶ際、サブクエストをプレイしない。とにかくエンディングまで最短で到達したいというタイプなので、メインクエストだけプレイする。

    だが本作は違う! だって、サブクエストをプレイして、強い敵と戦い、レアアイテムを発見するのが気持イイんだもん。

    これはヤバい……『ディアブロIV』をプレイしたら時間が溶けるとは思っていたが、想像以上に時間が溶けている。まさか、これほどまでとは……。

    オープンワールドを採用したことで、本作はより「ハクスラ」としておもしろくなった……この表現は間違いではないものの、正確ではない。開発スタッフは「ハクスラ」の楽しさをより深めるために、オープンワールドが持つ要素をそのまま取り入れるのではなく、一度解体し、「ハクスラ」に合う形で再構成しているからだ。

    というのも本作の手触りは、あくまで「ハクスラ」であって、「オープンワールド」ではない。

    システム的には確かに「オープンワールド」が採用されているのだが、「オープンワールド」要素そのものを前面に押し出すのではなく、「ハクスラ」のための「縁の下の力持ち」として機能させている印象だ。これには「ハクスラにオープンワールド要素なんて入れる必要ないだろう」と思っていた筆者も、自分の間違いを認めるほかない。

    ここが地獄だ! 恐怖を取り戻した『ディアブロ』

    また「ハクスラ」要素やオープンワールド要素と連携することで、本作の楽しさを高めている要素がストーリーだ……いや、読み間違いではない。確かに筆者はここまで、「ハクスラにストーリーは余計」という文脈で話を進めてきた。

    だが『ディアブロIV』において、ストーリーがおもしろさを高めていることは間違いない。それはなぜか? その理由は、本作のストーリーのモチーフである「恐怖」にある。

    「ディアブロ」シリーズは天使と悪魔の対立と、それに翻弄される人類とを描いたダークファンタジーだ。天使・イナリウスと悪魔・リリスは対立を忌避し、逃避の地としてサンクチュアリを創造。ここでイナリウスとリリスの間に、最初の人類である「ネファレム」が誕生する。

    「最初の人類」とある通り「ネファレム」は人類ではあるのだが、天使と悪魔の力をストレートに引き継いでいる。このため、強大な力を宿していた。

    この力がきっかけとなり、イナリウスとリリスは対立。さらには天使と悪魔を巻き込む大戦争へと発展する。

    大戦争を経て、天使と悪魔の間に「サンクチュアリへ手を出さない」という協定が結ばれた。また、「ネファレム」の力はイナリウスの手によって、世代を重ねるごとに失われていくこととなる。

    だがここにやってきたのが、シリーズのタイトルにもなっている悪魔「ディアブロ」。悪魔たちの世界からサンクチュアリへと追放された「ディアブロ」は、人間たちに恐怖と狂気をもたらすことになる……。

    人類が天使や悪魔といった強大な存在によって翻弄される展開は、ダークファンタジーの王道。とはいえ「ディアブロ」シリーズは「ハクスラ」なので、これまでドラマティックなストーリー展開よりもゲーム性の方を重視してきた。少なくとも筆者は初代『ディアブロ』からプレイしてきて、ストーリー展開で感情を揺さぶられたことはない。

    ただ、「ディアブロ」シリーズというゲームには感情を揺さぶられてきた。つまり本シリーズはこれまで、ストーリーではなくゲーム性によって感情を揺さぶってきた作品だったといえるだろう。

    たとえば、初代『ディアブロ』には「ブッチャー」という敵がいた。「フレッシュミィィィト!」と叫びつつ、圧倒的な攻撃力で襲い来る強敵だ。ガチで怖い。また、強敵に襲われる不安を感じつつ、ダンジョンを一人進んでいく初代『ディアブロ』の構成も、間違いなく恐怖を感じさせていた。

    つまり、初代『ディアブロ』は「怖いRPG」なのだ。これはその後、「ディアブロ」シリーズが持つ特徴のひとつとなる。

    (画像は、『ディアブロIII』)

    ただ、残念ながら前作『ディアブロIII』では恐怖が減っていた。『ディアブロIII』も世界観はシリーズを踏襲しており、悪魔や死体が大量に登場する王道ダークファンタジーだ。しかし、画面が明るめに調整されていたこと、敵の強さよりプレイヤー側の爽快感を重視した調整だったことなどによって「怖いRPG」ではなくなっていた。

    だが、『ディアブロIV』は再び「怖いRPG」へ回帰した。ストーリーによって!

    オープンワールド要素を取り入れた『ディアブロIV』には、多くのサブクエストが用意されている。このため、メインストーリーである天使・悪魔の戦い以外に、一般の人間たちをフォーカスしたストーリーが味わえるのだ。そしてこのサブクエストのストーリーはいずれも救いがなく、しかもエグい。

    たとえばサブクエストのひとつは、「とある女に誘惑され失踪した夫を探す」というもの。現代劇なら週刊誌の記事にでもなりそうな、ゴシップ的なサブクエストのように思える。

    だが実際に夫を見つけてみると、磔(はりつけ)にされていて血まみれ、息絶える寸前。これが普通のゲームなら、夫は実は被害者だったということになり「こんなことしやがって許せないわ!」と正義のバトルへなだれこむところだろう。

    しかし、夫は快楽によって恍惚としている。「もっと、もっと……!」と、さらなる快楽を求める夫。しかも、ただ快楽を求めているのではない。苦痛をセットで求めてくるのだ。

    「快楽と苦痛」……ホラー映画好きならこの言葉をテーマにした映画『ヘルレイザー』をご存知なのではないだろうか。「組み替えることで最高の性的快楽が味わえる」という「ルマルシャンの箱」を組み替えると、地獄から魔道士セノバイトが出現。体を引き裂かれたり皮を剥がれたり……といった目にあう。

    セノバイトにとって最高の快楽とは、最高の苦痛なのだ。

    体を引き裂かれたり皮を剥がれたり……といったビジュアルを直接的に表現しているので、グロテスクな上になんとも痛そう。これだけでもホラー映画としては十分成り立つのだろうが、そこに「性的快楽」という苦痛とは真逆の要素が加わることで、背徳的で冒涜的な恐怖を生んでいる。

    「冒涜的」という言葉が当てはまるのは「快楽と苦痛」という組み合わせだけではない。「修道服」と「ボンテージファッション」を融合させた魔道士セノバイトのキャラクターデザインもそうだ。そもそも「セノバイト」という言葉が「修道士」という意味。

    「快楽と苦痛」「修道服とボンテージ」「信仰と冒涜」……本来相反するはずの概念をあえて融合させることで、背徳的で冒涜的なエグみを味わわせてくれる……『ヘルレイザー』とはそんな一作だ。そしてこの、「背徳的で冒涜的な恐怖」と同じものが、『ディアブロIV』にも存在している。

    個人的には、『ディアブロIV』開発スタッフは意図的に『ヘルレイザー』をモチーフの一部として取り入れたのではないかと思う。オープニングでリリスを蘇らせるくだりなど、映画『ヘルレイザー』のみならず、原作作家クライブ・バーカーのテイストを彷彿とさせるからだ。

    ちなみに映画『ヘルレイザー』はコミック『ベルセルク』をはじめ、様々なダークファンタジー作品に影響を与えている超傑作。筆者も大ファンなので、ブルーレイボックスを所有している。興味を持った人はぜひ配信などで鑑賞してみてほしい。

    Hellraiser (1987) Trailer:
    https://www.youtube.com/watch?v=8mOn4h0lgKQ

    『ヘルレイザー』では「神聖なもの」と「退廃的なもの」という「対極の存在」を融合させることで、冒涜感や背徳感といったテイストを生み出していた。ただ元々、「ホラー作品」という存在が「対極の存在を融合させたもの」といえる。なにせ、本来なら避けたいはずの「怖い」ものを、積極的に「観たい」と感じてしまうものなのだから。

    そして本作『ディアブロIV』は、この延長線上に存在している。ストーリー的に救いがなくエグくて胸糞悪いのに、ハクスラが面白いから先へ先へと進めたくなってしまう。そう『ディアブロIV』をプレイする際には、快楽と苦痛を同時に味わうことになるのだ。

    もはやこれは、「デジタル版ルマルシャンの箱」といってもいいだろう。

    そもそも、人間にとって「イケないことは気持ちイイ」。「イケないことしちゃおうか……?」というセリフの裏側には、誰もが「でも、とっても気持ちイイよね」というニュアンスを感じるハズ。

    時間も脳もとろけるほど気持ちイイ「ハクスラ」が、「背徳的で冒涜的な恐怖」という「イケない演出」を手に入れ、最高にエグくて甘美な地獄の果実となった。こいつは最高にイケない禁断の果実。でもそんな果実だからこそ、よりとろけてしまう「気持ちイイ体験」が味わえるのだ。

    え? あなたは「ハクスラ」ゲームをしたことがないのかい? なら『ディアブロIV』で、このイケない遊び、試してみようよ……。

    文/田中一広

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