味付けの好みの違いがあったとしても、私はタイ料理でも日本料理でも旨い料理は旨いと感じると思います。
同様に格闘技でも本物はやはり強いと感じると思います。
まがいものも大手を振って罷り通る武術界にはメスを入れた方がいいでしょう。
目潰しも認められないルールで武術の本当の強さが出せるかと言われれば、「殺し合いに近いルールの練習してるなら命まで取られないスポーツルールなら簡単でしょ」と言いたいです。ルールに合ったアダプターさえつければいいんですから。
基本的にそうあって欲しいです。
もしサムライがタイムスリップして現代の剣道の大会に出ろと言われたら児戯に等しいと感じると思います。
なので巌流島はブレずに従来のコンセプトを守っていって欲しいです。
山田編集長のこの認識も、すでにズレていると感じる。
見るだけの連中より、実践している自分は偉いという、上から目線というか。
グレイシー柔術が出てきて、プロレス幻想が崩れた時に、その見るだけの人間の反応は様々だった。プロレスを見なくなったもの、格闘技を見ることにシフトしたもの、格闘スタイルのプロレスより振りきってルチャ・リブレ系のプロレスの娯楽性を再評価したもの、実際にグレイシー柔術をやってみるもの、神秘系武術に行ったもの。
比率は調べようもないが、自分の周囲のプロレスオタクはブラジリアン柔術の道場に入門し、基礎体力に劣る人間でもコツコツ技術を習得すれば強くなれるその魅力にハマり、そもそも梶原一騎的最強論争が幻想だと、ようやく理解した。
「実践性が−」などという批判や論争は、実際になってみないとわからないアドリブの世界。中井さんのようにサミングで失明するほどの攻撃を受けても勝利することがある。実際に使ったこともない目潰しを持ちだして、実践性を語ることの詭弁姓こそ笑うべき。
ブラジリアン柔術にハマった連中は、そういう最強論争とは離れて、チェスや将棋と同じ競技性の楽しさを愛好し、結果的に現在のエンターテイメント路線のプロレスをまた、楽しむ心の余裕を回復した。
そういう意味では、すでに一回崩壊して再構築されたプロレスや格闘技風プロレスを、ゼロ年代の感覚で未だにそのファンも含めて批判し、高みに立って批判している山田編集長には、少々ガッカリ。
こんな八百鳥を見てお前ら楽しいのかと、プロレスファンに毒づいた頃の北尾光司の感覚と、さほど変わらない。
中国武術のインチキな部分を排し、解明されようと言う姿勢は尊敬申し上げるし著書も楽しく拝読させていただいているが、エンタメをエンタメとして楽しんでいるファンを理解せず、上から目線での批判は残念。
他所は他所、ウチはウチ。むしろ神秘系中国武術のインチキと、そこに惹かれてくる若者の妄を解く事のほうが、建設的ではなかろうか? 田英海老師に期待する部分はそこ。