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  • 「2050年の大根飯」

     おろぬき大根の季節だ。畑で小ぶりなほうれん草くらいの大根葉を引っこ抜くと 5 センチから 8 センチくらいのひょろひょろした白い根が顔を出す。そう、おろぬき大根とは間引きした大根のことである。 芽を出した大根の中から大きく育ちそうなものだけを残してどんどん引っこ抜いていく。白い根の部分をメインで食する大根としては食べる部分はないに等しいが、若い大根葉には生長した大根にはない柔らかさがある。大根葉はおろぬきしか食べないという人もいるくらいだ。三浦半島ではこのおろぬき大根が夏野菜から冬野菜に以降する端境期のご馳走だ。直売所ではもちろん鮮魚店の前などでも詰め放題で売られている。鮮度が命でもあり、首都圏に出荷するほどのものでもないので地元でダブついているのだ。この季節はあちこちで「持ってって」と袋に詰められた朝抜きのおろぬき大根を頂く。    サッと塩茹でしたものをみじん切り。ごま油を回しかけて和えるだけで最高のごはんのお供になる。娘はこれが大好きだ。おにぎりにしてもいい。チャーハンにも合う。 「大根飯」と聞くと母のような戦中生まれ世代はあの頃の食糧難を想起するそうだ。日本の...

    2日前

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  • 「敬老の日」

     母が遊びに来た。娘が小学校に入学してからは初めてだから半年振りくらいだろうか。娘が母に遊んで貰っている間、二人の声を聞きながら束の間のひとり時間を楽しませて貰った。平和だった。穏やかな時間が流れていた。    娘は母に餃子の包み方を習った。妻が作った餡を娘と母が二人で包んでいく。母の教え方が良かったのだろう。どちらが包んだのか見分けがつかないくらいの出来だった。カウンターキッチンで娘と妻と母の楽しそうな話し声を聞きながらぼくはビール片手に餃子を焼き続けた。  翌朝、四人で海辺を散歩した。ぼくの隣りに来た娘が小声であることを聞いてきた。 「パパはどうしておばあちゃんとあんまり話さないの? 自分のママなのにおかしいよ」  ドキリ、とした。娘の言う通りだった。ぼくは母と事務的なこと以外話していなかった。ずっと娘と母が楽しそうにしているのを、娘と妻と母が楽しそうにしているのを「ようやく親孝行できた」という安堵感で見つめているだけだった。 「どうしてだろうね」   18 歳で家を出て以来、数年に一度会うかどうかだった時もあった。久し振りに会ってもぼくだけでなく、父や母もぼくとど...

    4日前

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  • 「虐待の連鎖」

     親に虐待された子が親になったときに虐待を繰り返してしまう確率は 7 割と言われている。この連鎖が私たちの世界から虐待という悲しい出来事が消えない原因とも言われているそうだ。    虐待とは何の関係もないが、そのことを想起せずには居られないニュースがあった。 「森友文書改竄 赤木さんの訴え退ける 国に文書開示認めず 捜査関連資料の「不開示決定」は妥当」 ( 大阪地裁 )    家族の死の真相を知りたいと訴訟に踏み切った赤木さんのみならず、「国民の知る権利」という憲法が保障する国民の権利まで踏み躙る判決だと感じた。売買されていたのは国有地である。政府の土地ではなく、国民の土地なのだ。もっとも売買していた当事者たちに国民の土地だという意識はなかったのだろうが。 「日本の民主主義はもう終わりだ」という弁護士の言葉があまりにも重かった。司法の判決に権力による圧力と権力に対する忖度が見え隠れしているという批判だった。そのことがぼくには権力が国民を虐待しているように感じられたのだ。同時に思い出したのが「虐待をしてしまう 7 割に虐待された経験がある」という話だった。一見まるで関係のない話...

    6日前

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  • 「平日の午後4時、誰の為に生きているか」

     娘がスイミングスクールに通い始めた。レッスン日は放課後。つまり平日の夕方である。ぼくか妻、どちらか都合のつく方が地元の市民プールに送り迎えをする。娘がレッスンを受けている一時間、漫然と時を過ごすのもいかがなものかとこれまではぼくも別のレーンで泳いでいた。    先日、娘を市民ブールの更衣室前まで送り届けた後、初めて保護者の見学ブースに足を踏み入れた。その日のうちに読んでしまわなければならない原稿があり、一緒になって泳いでいる余裕がなかったのだ。これまではプールサイドから眺めるだけだったガラスの向こうに入ってみて改めて驚いた。実にたくさんの親御さんたちが漫然とした時を過ごしている。ガラス越しに我が子の安全と成長を見守っているので正確には漫然と、というわけではないのだけれどこの一時間がどれだけの GDP 損失になっているのだろうとつい考えなくていいことを考えてしまっていた。  気がつくと見学ブースのスピーカーから J-WAVE の放送が流れていた。久し振りに聞く交通情報のジングルにかつての記憶がフラッシュバックする。夕闇迫る渋滞の幹線道路。次の現場に向かう車の中で焦っていた自分。都内の...

    2023-09-15

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  • 「休校」

     胸がざわついていた夕方、学校から「明日は休校です」という緊急連絡があった。台風接近による翌朝からの大雨を警戒してのものだった。娘は初めての経験に大喜びしていたが親たちは大慌てだ。同級生の親御さん同士が繋がっているグループ LINE がひっきりなしに鳴り始める。   「どうします?」    台風で学校は休みになっても親たちの仕事まで休みになるとは限らない。子供の頃、台風が来るたびにわくわくしていたのは何の責任もなかったからだと痛感する。  明日は修正稿の締め切り日だ。予定では前日に仕上げてひと晩寝かせるつもりだったけれど、ニュースに釘付けでほとんど手をつけることができなかった。徹夜して朝までにやってしまおうかとも思ったけれど簡単には気持ちを切り替えられそうにない。ギアが入らない。なんてうだうだしている場合でもない。 「在宅仕事なのでうちで遊ばせてても大丈夫ですよ」  初めての休校日。両親ともに仕事が休めないという同級生を両親ともに在宅勤務だった我が家で預かることになった。困ったときはお互い様だ。空も海も灰色だったけれど、家の中は朝から一年生たちの賑やかな声で明るかっ...

    2023-09-13

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  • 「伏線」

     歴史を少しずつ勉強し直している。ウクライナ侵攻が始まった後くらいからだ。 2023 年から歴史を振り返っていくと 1985 年に歴史を学んでいたときには見過ごしていた「伏線」があることに気づく。    たとえば北朝鮮。今や核保有国となり、日本やアメリカを射程距離とするミサイルの開発が脅威となっているが、歴史を辿れば北朝鮮のウラン鉱山を開発したのは朝鮮半島を支配していた時代の旧日本軍だったりする。そもそも北朝鮮からウランを掘り出して核兵器にしようと企んでいたのはぼくらの先祖なのである。先祖が北朝鮮でウランを採掘するという伏線がなければ今ぼくらが北朝鮮の核攻撃に怯える必要もなかったワケで。因果応報という言葉は好きではないけれど恨むべきは自国の先祖なのではないかと思ってしまう。  日本の占領が終わった後、北朝鮮は旧日本軍が採掘していたウランを核兵器を開発しようとしていたソ連に献上。代わりに韓国と戦争する為の武力支援を得て朝鮮戦争に踏み切っていく。ロシアの核兵器もまた旧日本軍が北朝鮮で採掘したウランが原料となっている。さらにソ連が核を持たなければならないと焦ったのはアメリカが日本に落と...

    2023-09-11

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  • 「同学年」

     社会人になってからの同学年との出逢いはうれしいものだ。 50 歳を越えてからの同学年との出逢いには初対面なのに幾多の戦場をくぐり抜けて生き延びた同志と再会したような感慨がある。    先日、渋谷のラジオの担当番組にゲストとしてお越し頂いた江守正多さんとの出逢いもそうだった。東京大学で教授を務めながら国立環境研究所で気候変動のリスクや地球温暖化問題に取り組んでいる江守さんは 1969 年生まれのぼくと同じ学年だった。しかも同じ神奈川県育ち。小学生のときにガンプラ ( ガンダムのプラモデル ) が流行ったときに並んだ玩具店まで同じだった。  地球温暖化を原因とする気候変動は歴史の集積だ。先進国を中心に長年生きてきた多くの人々がその責任を負っている。ぼくは自分が地球に負荷を掛けてきた過去を念頭に置きながら現在起きていることについて、そして未来について江守さんに話を伺った。同じ時代を生きてきたの江守さんには言葉にせずとも同じ景色が見えていることを何度も感じた。  生放送のあとスタジオの隣りにある酒場で短い時間だったが一緒に酒を呑んだ。 1969 年生まれの同学年は出生当時 188 万 9815 人い...

    2023-09-08

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  • 「九月病」

     それは一週間遅れでやってきた。 「どうして学校に行かなきゃいけないの?」  起き抜けに娘が泣きそうな声で言った。 「どうして夏休みみたいに家で勉強しちゃいけないの?」  しまいには「夏休みもっと休んでおけばよかった」と言い出した。九月病なのかもしれないと思った。    一緒に登校する友達との待ち合わせ場所に向かう道すがら。神社の境内でぼくは言った。 「誰にも言っちゃダメだよ」  小さな声で言った。 「友達にも?」 「先生にも、ママにもだよ」 「うん、言わない」 「じゃあ本当のことを教えてあげる」 「本当のこと?」 「衝撃の事実って奴だよ」 「それ意味がわからない」 「聞いたら驚く話ってことだよ」 「なんだろう」 「実はね」 「うん」 「本当はみんな学校に行きたいと思っていない」 「えー! そうなの?」 「そうだよ」 「でも宿題うれしいって言ってる子とかいるよ」 「暑いときに風が吹くと涼しいって感じるでしょ?」 「うん」 「あれと同じだよ」 「どういうこと?」 「嫌なことの中にひとつうれしいことがあるとうれしいなって思う。もしくは心の中では嫌だと思...

    2023-09-06

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  • 「夏の終わり、秋の始まり」

     御用邸の前でバスを降りた。太陽は傾き始めていた。和らいだ陽射しを秋の涼風が吹き抜けていく。ヒグラシが啼き始めていた。別荘が連なる砂混じりの小径を抜けて浜辺に出ると黒い富士山の真上に太陽が沈もうとしていた。    妻と娘と三人で浜辺の流木に腰掛けて沈む夕日を 見ていた。 8 月 31 日の夕日だ。夏の終わりの夕日だ。一色海岸。御用邸に隣接する浜辺には同じように去りゆく夏を惜しみに訪れた人々の姿があった。地元の竹だけで組み立てられたサステナブルな海の家もシーズン最後の営業日だ。名残惜しさとともに今年の無事にこの日を迎えられたことに対する感謝があった。暑い夏だった。そして雨の少ない夏だった。菜園ではトマトやゴーヤですら連日の日照りに辟易していた。生育が旺盛だったのはインド生まれのナスだけだった。煮浸し。天ぷら。麻婆茄子。毎日ナスを食べ続ける夏だった。毎日ナスを食べながら、日々の爆撃とエネルギー危機で温暖化を加速させているプーチンのウクライナ侵攻を呪った。その口に大量のナスを放り込んで窒息させるところを想像した。そして「為す術がない」と心の中で自嘲気味に笑った。  今年最後の夏の夕...

    2023-09-04

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  • 「人生をスキャニングする」

     遅ればせながらスキャナーを買った。きっかけはコストカットの為に始まった事務所のフリーアドレス化だった。個人の所有物としてロッカーに堆積していた膨大な紙資料や税務帳簿を片っ端から電子化していく。ダンボール箱のひとつ一つに仕事を始めた 20 歳の頃からの歴史が冷凍保存されていた。永久凍土の下で何万年も眠っていたゾンビウイルスみたいに。 手にするたびに当時の気持ちが恥ずかしくなるくらい鮮明に甦ってくる。当時の街の匂いや音、陽射しまでもが克明に甦ってくる。 30 年前とか 20 年前にタイムトラベルして一瞬で現代に戻ってきたようなショックを何度も繰り返し味わう。言葉の向こうに一緒に時代を駆け抜けた懐かしい人たちの顔が当時発せられた言葉とともに次々と流れていく。それらの声が止んで静寂が戻るとやがて自分だけが時代に取り残されてしまったような孤独感に苛まれていく。誰もいなくなってしまった夏の終わりの浜辺のような。激流の大河で小さな岩の上に立ち竦んでいるような。その岩もそのうち水嵩が増して飲み込まれてしまうのだろう。ぼくは溺れながら消えていくのだろうか。それともなんとか泳ぎ切ることができるのだ...

    2023-09-01

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