• このエントリーをはてなブックマークに追加

チャンネルと同時入会でプレミアムが初月無料!(0円)

イベント

Twitter

ブログ・メルマガ

  • 「イカロスの翼」

     アスリートたちが蝋の翼で太陽を掴もうとするイカロスのように見える。命懸けで競技に挑んでいるように見えてしまうからだ。感染リスクと酷な暑さ。それでも挑むのは皮肉にも命を危険に晒すようなリングの上でしか「生きている実感」を得られないというボクサーの性とも似ているのかもしれない(というのはあくまで僕個人の印象であり、勝手な想像でしかないので気を悪くされる方がいたら申し訳ないのだけれど)。   8 月 1 日日曜 晴れ    朝から混雑している海を避けて、里山の菜園へ。ゴーヤとオクラ、ミニトマトが豊作だ。娘にオクラの花を見せる。その美しさに「うわぁ」と頬が緩む。数ある野菜の花の中でも僕がいちばん好きなオクラの花。ずっと見せてあげたいと思っていた。あたらしい知識を毎日スポンジのように吸収している 4 歳の夏に見せてあげられて本当に良かった。夏空の下、蝉の声と娘の歓喜だけが響き渡っていた。   妻がゴーヤとオクラに佐島で獲れたタチウオと三浦伊藤農園の完熟カボチャでフリットにしてくれた。バルコニーで冷えた白ワインとともに頂く。アルコールが緊張をゆっくりと弛緩させていく。 8 月 2 日月曜 曇...

    2日前

    • 0 コメント
  • 「見えている世界がすべてじゃない」

     2021年 7 月 31 日土曜 曇り時々晴れ  娘が心待ちにしていた夏休みの小旅行を延期した。4連休同様、浮き輪と水中眼鏡をつけた娘を連れて朝から海水浴。先日の台風で巻き上げられたせいで多少の濁りはあるものの、海は心地良く冷たい。凪の波間で何度も水平線と平行に泳ぐ練習をする。バタアシが少しずつ様になってきた。  近所に住む小学生の女の子がサーフィンの練習をしている。といっても波がないのでボードの上に立つ練習だ。アクアラングをつけて素潜りしている子どもたちもいる。みんな笑っている。娘も波に身体を持ち上げられて「ジェットコースターみたい!」とはしゃいでいる。子どもたちの笑顔に大人のひとりとして安堵する。海で楽しそうに遊んでいる彼らとて夏休みの自由を失った子どもたちなのだ。不要不急の外出を控えなければならないのは当然理解できるし、大人には涼しい家の中で映画でも観ようかとか、オンラインで繋がって飲もうぜなんて別の選択肢がある。でも、子どもの選択肢は限られている。友達とは外でしか遊べないし、成長過程で自然に親しんだりすることも大切だ。子どもを持つ親たちにとっては今年も艱難辛苦の夏休みなの...

    4日前

    • 0 コメント
  • 「誰かこの現象に名前をつけて下さい」

     休みの日に限っていつもより早く起きる4歳の娘。僕がトイレに入っているときに限ってトイレに行きたがる4歳の娘。  誰かこの現象に名前をつけて下さい。    三つ編みをしてとせがむ4歳の娘。まごついていると「こうやるんだよ」と説明してくれる4歳の娘。でも、自分ではできない4歳の娘。言われてもうまくできない 52 歳の僕。  誰かこの現象に名前をつけて下さい。    世界中の人がそうであるように、去年からずっと自粛生活だった。1年延期になった五輪も開催できるというので今年こそはと夏の小旅行を計画した。まあ、旅行と行っても車で行ける近場なんだけど。ところが出発の数日前になって、 陽性者数が過去最高値を更新。県内にも緊急事態宣言が再発令されることに。高齢者でもなければおかげ様で基礎疾患もない。おまけに中小企業所属のフリーランスなのでワクチンの接種機会は当分回って来そうにない。大きな溜め息とともに旅行は延期。残ったのは取ってしまった休みだけ。   誰かこの現象に名前をつけて下さい。  誰が悪いわけでもないし、誰のせいでもないと自分自身に言い聞かせて溜飲を下げて来たけれど、政府...

    1週間前

    • 0 コメント
  • 「僕らだけが取り残された浜辺で」

     自分たちだけが世間から取り残されている、という孤独を感じることが増えたのは 2016 年に子どもが生まれてからだ。合理性とか利潤追求が重視される現実社会とは大きく懸け離れた神話的な時間軸にどっぷりと浸かって生きているからかもしれない。子どもが発熱して保育園を休んだりすると尚更だ。仕事もままならない中で、自分だけが社会から取り残されていくような不安に苛まれたりする。  思えば里山の畑で作業しているときにも同じような感覚に陥ることがある。あるいはサーフィンなんかも同じなのかもしれない。  子どもというのは僕が職業人として生きてきた社会の時間軸とはまるで違うところを流れている時間の中で生きている。ダムの放流と小川のせせらぎくらい違う。どこまでも平行して流れ、決して交わることがない。だからこそ、ふと我に返って対岸を見たときに、自分たちだけが取り残されているのではないかという孤独を感じてしまうのかもしれない。  天候に恵まれた4連休。子どもに寄り添って生きる〈内なる世界〉で毎日海水浴をしているうちに〈外の世界〉では五輪が開催されていた。  振り返れば 8 年前。 2013 年に招致が決...

    2021-07-28

    • 0 コメント
  • 「夏休みの家」

     海の日からの 4 連休。午前中は連日 4 歳の娘と海水浴だった。午後からはそれなりに賑わう浜辺も比較的涼しい 11 時くらいまでは地元の子どもたちが遊んでいるくらいで閑散としている。 娘も浮き輪こそつけているとはいえ、 2 日目にはひとりで泳げるようになった。波の越え方やその推進力を利用した泳ぎ方もマスターした。さすがは1年を通じて海で遊んでいるだけのことはある。  見上げればクレパスで描いたような青い空に真っ白な夏雲。浜の向こうには濃い緑の稜線。冷蔵庫で待っている地元産のスイカ。娘がどう思っているかはともかく、子どもにとっては絵に描いたような夏休みなんじゃないかと思った。そう思ってしまうのは、おそらく僕自身が子どもの頃に憧れ、望んでいた夏休みだったからだ。  自然の少ないマンモス団地で育ち、かつ親に金銭的な負担を掛けたくなかった僕にとって家から電車で20分で行ける江ノ島での海水浴は夏休みの唯一の楽しみだった。と言っても連れて行って貰えるのは毎年 8 月 31 日の一日だけ。今と違って海の家はとっくに店じまいしていたけれど、誰もいない海で波と戯れる自由さは僕の人生観に大きく影...

    2021-07-26

    • 0 コメント
  • 「海の日」

     静かな夏だ。夏休みが始まったものの、今年も海辺の町まで避暑に訪れる人の数は例年ほどではない。先月の土砂崩れで最寄りの高速のインターが今も閉鎖されたままなのが原因で 134 号線が時折り渋滞することを除いては、本当に静かな海の日だ。    一旦車通りが切れてしまうと、波の音と、蝉の鳴き声しか聞こえて来ない。バルコニーで朝食を食べた後、ミルクコーヒーの入ったマグカップを手に風に当たりながら、ぼんやりと海を眺める。  どんな夏になるんだろう。まったく想像がつかない。何より自分や家族の健康次第というところが大きいせいでもある。この 1 年 4 ヶ月、ロックダウンに近い生活を送っている ( と思っている ) 僕自身でさえ、二週間後の自分の健康が担保できない。横須賀ではワクチンは 64 歳以上の高齢者と基礎疾患のある 12 歳までが優先ということになった。接種券自体は届いているけれど、打てるのはもう少し先。早くても夏の終わり頃になりそうだ。とすると、この夏も最初の緊急事態宣言下と同い戦い方で臨むしかない。疲れたとか、我慢できないなんて言っている余裕は、人一倍臆病で神経質な僕にはない。  いや、そんな風...

    2021-07-23

    • 0 コメント
  • 「海辺の夏の風物詩」

     海辺の町で暮らすのに欠かせない道具のひとつに、「天突き」がある。木の部分に「心太」と書いてある奴だ。心太と書いて「ところてん」と読むことを僕はこの町で暮らすようになって初めて知った。    春のワカメが終わり、梅雨が明けた頃からこの町では鮮魚店はもちろん、精肉店の軒先や農家の直売所にも「天草」という紅い海藻を干して黄色くなったものが並ぶ。近所の方に頂いたりもする。  冷たい水でよく洗って、貝の欠片やゴミを落とし、水と少量の酢を沸かしたもので 40 分ほど煮溶かしていく。とろみのついた液を布で濾して型に入れ、常温まで冷ましたところで冷蔵庫で凝固させると、不透明な板状のところてんのできあがりだ。  完成までに 2 時間と多少の手間は掛かるけれど、市販のものとは比べものにならないくらいの風味がある。そもそも市販のところてんは、天草ではなく粉寒天を煮溶かしたものだったり、輸入品の天草で作っていたりするものがほとんど。国産の天草で作ったところてんというだけで貴重なんだそうだ。  梅雨明けから、連日灼熱の陽射しだ。夏色に光り輝く海と蝉の合唱がいっそう暑さを際立たせる。 「そろそろ...

    2021-07-21

    • 0 コメント
  • 「人生って奴は本当に」

     梅雨が明けた。夏が始まった。海辺の町で迎える 11 回目の夏が。  2010 年、 1 年目の夏はひとりだった。朝の涼しいうちにランニングして、冷えたスイカで水分補給して、午後の一番暑い時間に仕事で火照った頭を海で泳いで冷却した。都会で暮らしていた頃のアレコレと決別し、ある種の喪失感も抱えていた。 40 歳を過ぎたばかりだった。このままひとりで老いていくのかな、なんて夢想したりしていた。短編映画『つみきのいえ』の老人のように、最近の映画で言えば『ノマドランド』の未亡人のように、忘れられない人を想い続けながら毎日浜辺を歩き、ひとり静かに生涯を終えていくのかもしれない。そんな孤独と自由も悪くないかもな、とロマンすら感じていた 1 年目の夏だった。  人生ってのは本当に分からないものだ。毎日浜辺を歩くようになって半年もすると顔見知りが出来、やがて点と点が繋がっていくように知り合いができた。想像していた以上に小さな町だった。  未曾有の大震災が起きた 2011 年には結婚もした。5年目には子どもも生まれた。気がつくとここに移り住んだときに抱えていた喪失感はどこかに消え失せていた。どんな喪失感だったの...

    2021-07-19

    • 0 コメント
  • 「オバケキュウリって、なんて辛辣なネーミングなんだろう」

     菜園のキュウリが見たこともない大きさに成長していた。連日の雨で畑に入れない日が一週間以上続いたせいだろう。長さ 40 センチ。直径 8 センチ。重量は 500g を越えていた。ある自治体のキュウリの出荷規格を見ると、長さ 25 センチ以下、直径重さは 140g 未満というから 2 倍近くあるのだろう。もちろんマーケットなどではお目に掛かることのないサイズ。もはや緑色の大根だ。ほとんどが水分でできているキュウリは水風船のように一日で大きくなる。これまでも収穫し損なって大きくしてしまったことはあったが、ここまでの大きさにしてしまったのは初めてだった。梅雨明け後だと里山のカラスが水分補給に食べてくれるのでそのままにしておくのだけど、さすがにこの雨続きではカラスでさえ目もくれない。   「食べてみようか」  妻がそう言って大きくなったキュウリをおいしく食べるレシピを検索した。 「オバケキュウリって言うんだって」  主に家庭菜園を営む人たちが目にするジャンボキュウリ。それが「オバケキュウリ」と呼ばれていることを初めて知った。小ぶりの大根くらいの胴回りに包丁を入れると、種が大きくなっていてメロン...

    2021-07-16

    • 0 コメント
  • 「とっておきの話」

     子どもを寝かし付けるとき、一緒に眠くなってしまうのはどうしてなんだろう。まるで子どもの身体から発せられる眠気が睡魔となって襲い掛かって来るような感覚。 「絵本読んで」と言われても、手元にあるならともかく、一度ベッドに横たえた身体を起こして本を取りにいく気力すら奪われてしまうことさえある。 「わかった。じゃあ、とっておきのお話を聞かせてあげよう」 「やったー」  好奇心に満ちた娘の目が輝きを増す。興奮で目を覚まさせてしまったことを少しだけ後悔しながら、僕は重たくなった瞼を閉じたまま、ゆっくりと語り始めた。 と言っても「とっておきの話」なんてない。激しい睡魔に襲われながら語った、口から出任せの作り話だ。  これは、そんな作り話のうちの、ひとつだ。 「大楠山 ( というのは家の裏手にある里山だ ) に 4 歳の熊が住んでいました。名前は熊五郎。麓にある保育園で子どもたちが楽しそうに遊んでいるのをいつもうらやましそうに山の中から眺めていました。いいな。僕も一緒に遊びたいな。我慢できなくなったある朝、熊五郎はとうとう山を下りました。保育園に行くためです。でも毛むくじゃらの身体だとす...

    2021-07-14

    • 0 コメント

生放送

放送済みの番組はまだありません。

動画

動画が見つかりませんでした。