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  • 「おばあちゃん子」

     一年生も終わりに近づいた頃、娘が急におばあちゃん子になった。毎日顔を合わせている親に飽きたんだろうか。親離れの第一歩なんだろうか。いや、先日義母の四十九日を終えたところでひとりだけになってしまった祖母を大切にしなければと思ったのかもしれない。   「おばあちゃんの好きなものはなあに?」  上目遣いで祖母に顔を近づけて好きなものを聞く。 「パパ。肉じゃがだってよ」  ぼくを責めるような口調で言うと聞いたことを手帳に書き留めていく。好きな人の好きなものを知っておきたいという気持ちなのだろうか。曾祖父が亡くなったとき「大きいおじいちゃんの好きな色はなあに?」と妻に聞いていた。折り紙で供花を折ろうとしていた。曾祖父の好きな色の折り紙を使いたかったようだったのだが、結局わからなかった。その悔恨なのだろうか。  少し前に「おばあちゃんの好きなものはなあに?」とぼくに聞いて「知らない」と答えたら「なんでお母さんのことなのに何も知らないの?」と怒っていた。  親不孝な息子だった。 18 歳で家を出て以来、自分の人生に精一杯で父や母を顧みることもなかった。両親の元を定期的に訪ねるようにな...

    1日前

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  • 「2024年3月12日」

     渋谷に降り立ったのは、夜だった。  春の嵐に傘やコートの裾を巻き上げられながら夜の街を歩いていく大勢の人々。前日に東日本大震災から 13 年を迎えた中で胸に去来したのは「それでも東京の夜は明るいんだな」ということだった。    13 年前、原発事故の余波を受けた計画停電で、夜の東京は真っ暗だった。でも、その静けさに不気味さはなく、むしろ心地良いとさえぼく自身は感じていた。フランスやスペインのような自然な夜の暗さが東京の街をより魅力的に、神秘的に見せてくれている。そう感じていた。むしろ今での明るさこそが夜にしては不自然だったのだと気づかせてくれた日々だった。  そんな東京の夜から、 13 年。未だ 2 万人が避難生活を余儀なくされている福島の復興。自分自身の防災の見直しと併せて、未解決のまま宙に浮いているエネルギー問題について考えていた。原発事故の後も再生エネルギーの割合を増やしていくことが議論されたけれど、今はその 13 年前よりも問題が深刻化している。  年末にパリで開催された COP26 でも示されたように、地球温暖化を食い止める為の CO2 の削減は世界的にも喫緊の課題だ。その末端機関で...

    4日前

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  • 「それは謎だね」

     娘は妻に憧れている。 「ママみたいになりたい」といつも口癖のように言っている。    今朝も「いってらっしゃい」と妻に手を振られて家を出たところでぼくを見上げ「ママ、かわいいよね」とうれしそうに言った。 「かわいいよね」とぼくも頷く。そもそも娘の前で「ママかわいいよね」と口癖のように言っていたのはぼくだ。なので娘の「ママかわいいよね」という言葉の半分にはぼく自身の思いが入っていると言えなくもない。    そんな娘に「パパがどうしてママと結婚したかわかる?」と質問してみた。 「わかる。かわいいし、やさしいし、ごはん作るの上手だし」即答だった。  もうひとつ質問してみた。 「じゃあママがどうしてパパと結婚したかはわかる?」 「うーん、それは謎だね」こっちも即答だった。 「君だったら結婚する?」 「うーん、私はするけどね」即答で良かった。    でも、確かに謎だ。どうして妻はぼくと結婚してくれたんだろう。我に返って「どうしてこの人と結婚したんだろう?」と真剣に悩まれても困る。怖くて聞けない。登下校時の娘との会話は妻との晩酌のときなどに大方共有するのだけれど、この会話...

    6日前

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  • 「2024年3月11日」

     先日「子どもまんなか社会」について私見を求められる機会があった。「子どもまんなか社会」というのは昨年創設された「こども家庭庁」が実現を目指す社会のことだ。    そもそも子供が真ん中にいる家庭はどのくらいあるのだろうか。子供が病気の時は仕事を休む。仕事よりも授業参観を優先する。子供ファーストを実践できている家庭はどのくらいあるのだろうか。真っ先に思ったのはそのことだった。  現在 7 歳の娘と暮らしている我が家を「子供が真ん中にいる家庭」にしてくれたのはパンデミックだった。移動制限下でのリモートワーク。以降、ぼくも妻も完全在宅勤務に移行したおかげで数年後に待ち受けていた「小一の壁」を回避することができた。学校から帰った娘を毎日どちらかが「おかえり」と迎えることができる。宿題を見てやることもできる。夕暮れ時に浜辺を散歩したり遊んだりすることもできる。子供の為というより、むしろ自分がそうしたいから、そういう時間を持ちたいからそうしている。記憶が朧気ではあるがぼくが小さかった頃、母がそういう時間を作ってくれていたのではないだろうか。記憶の深いところにある仄かな、でも確かな温もりを...

    2024-03-11

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  • 「街の書店」

     グローバルとローカルの二極化が進んでいる。  町の精肉店で肉を買う生活を始めて 14 年になる。近所にスーパーがないわけではない。でも、大量生産でパック詰めされた肉と精肉店の肉とでは圧倒的に鮮度が違う。たとえば豚肉。パック詰めされたものが酸化で暗い赤に変色しているのと比べて精肉店のものは薄紅色だ。それは注文してから目の前で指定の厚さにカットしてくれるからでもある。かといって価格が格段に高いわけでもない。「おまけね」と端物を入れてくれたり、閉店間際には「コロッケとメンチカツおまけね」と惣菜をつけてくれたりすることを思うとむしろ割安だと思う。付け加えるなら、包装にプラスチックを使ってもいないので環境にもいい。    行列ができるような店ではない。ぼくのような個人客よりも地元の学校給食や飲食店などへの納入が売り上げの大部分を占めていると思う。多くの個人客は肉以外のものもまとめて買い揃えられるスーパーに足を運ぶ。だが今はそのスーパーですら存在が危うい。コストコに代表されるグローバル企業の大規模倉庫店だ。利便性や合理性だけで考えたらそちらに軍配が上がるのは仕方のないことだと思う。でも...

    2024-03-08

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  • 「押し活」

       放送局やスタジオを出る際、出入り口のところに人がまばらに立っているのを目にすることがよくある。いわゆる「出待ち」というファンの行動のひとつだ。道路交通法などとの兼ね合いもあり、基本的には推奨されていない行為なので応援することはできないのだけれど夏は夏で「この酷暑の炎天下に大変だな」と思うし、冬は冬で「この寒い中大変だな」と思ってきた。自分には絶対にできないと思っていた。    そんな「出待ち」を気づいたらやっていた。娘から「今日家で仕事してるなら学校まで迎えに来て」と要請された時だ。暑過ぎる夏も寒過ぎる冬も大雨の時も娘の下校時刻に校門の前に立っていた。大抵はすぐには出て来ない。友達と遊ぶ約束をしていたり、花壇に水遣りをしていたりして、 5 分から 10 分、長いときは 20 分くらい待たされることもあった。それでもただ待ち続ける。校門から手を振って出てくる娘の笑顔を待っている。そういうとき「あぁ、出待ちってこんな気分なのかな」と何度も思ったりした。子育ても対象者を応援して育てるという意味では押し活の一種なのかもしない。娘の友達のご両親なんて剣道をやっているお子さんの試合で週末...

    2024-03-06

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  • 「育てることは育つこと」

     小学校の片隅に小さな植木鉢がたくさん並んでいる。一年生の子供たちが球根を植えたチューリップだ。子供たちは毎日登下校の際に自分の鉢に水をやっている。 「やっと芽が出たよ」 「茎が伸びたよ」 「どうしよう、赤白黄色を離して植えたのにどんどんくっついて来ちゃったよ」  植木鉢という小さな世界の中で生きている小さな命の成長を見守りながら子供たちは自分自身を成長させている。    先日全国的にも採取例が少ない幼魚を地元の小学一年生が発見したというニュースがあった。娘の同級生の男の子だった。地元の蛸漁師さんのお孫さんで放課後はいつも海で魚の採取をして遊んでいる子だという。 「最初はクラゲウオだと思った」  クラゲに寄り添うように泳いでいる体長 5 センチほどの魚を見つけて捕獲したところ三浦半島では初観測の珍魚ではないかと、生きた状態で地元の自然博物館に持ち込まれエボシダイ科の「シマハナビラウオ」であることが確認されたという。光る水槽の中で泳ぐ珍魚を見つめる少年のうれしそうな写真がとても印象的だった。その瞳に映っているものが彼自身の未来のように感じられた。  毎日海で遊んでいたか...

    2024-03-04

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  • 「メンタルコントロール」

     学校から電話があった。娘が週末に発熱して以来欠席しているのだ。一月後半のウイルス性胃腸炎と二月のインフルエンザに続いて三度目の発熱欠席となる。今度は咽頭炎だ。その間に義母の葬儀があり、学年閉鎖と連休があり、今度は曾祖父の葬儀と重なってしまった。併せて一ヶ月は休んでいるのではないだろうか。    習慣というのが如何に子供のモチベーションを保つ上で大切かを思い知った。メンタルの弱い子供はなおのことだ。久し振りの登校前の三連休は初日に向けたメンタルの調整が大変だった。子供のメンタルケアも親の役目なのだということを痛感した。 「受験のときの親の役目はそれだけじゃないの?」  小・高校・大学・就職と四度に渡る試験経験のある妻が言った。  ぼくに務まるだろうか。子供時代を思い返す。ぼくが受けたメンタルコントロールは金銭だった。中学の成績は年五回の試験が内申点の多くを占める。 両親は「勉強しなさい」とは一度も言わなかったが、「試験の平均点が 90 点以上だったら五千円あげる」というニンジンをぶら下げた。試験は年五回。ぜんぶ取れば年額二万五千円にもなる。大きかった。ぼくは三年間計十五回...

    2024-03-01

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  • 「嗜好品とうまくつきあいたい」

     先週、急性扁桃炎で発熱して二日間ほど寝込んだのをきっかけに酒とコーヒーを飲まなくなった。案の定よく眠れている。腸内環境も良くなって花粉症の症状まで緩和された。いつもどこかに不調を抱えていたのが嘘のように体調が良い。 15 年ほど前に煙草を吸わなくなったときも、これまでに何度も酒を飲まなくなった時も同じことを思った。    嗜好品――酒も煙草もコーヒーも人生を豊かにしてくれる彩りではある。しかしながら、それと引き換えに健康を損なうリスクもある。健康を損なうと人生は悲しいものになる、という決めつけはよくないけれど、できることなら誰だって病気にはなりたくないのが本音だろう。  煙草を吸わなくなったのは結局のところ吸うことで得られる歓びが吸うことで引き受けなければならない不健康を上回らなかったからだと今となっては思う。アルコールとカフェインはどうだろう。仕事の傍ら愛飲しているコーヒーは脳を覚醒させてくれるし、仕事の後に飲む一杯のビールは緊張状態にあった脳を解き放ってくれる。過剰な人見知りであるぼくにとってはコミュニケーションの場における武装であり味方でもある。一方でアルコールやカフ...

    2024-02-28

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  • 「時間どろぼう」

     娘が学校の友達に「ひまでいいな」と言われたそうだ。    初めての学校生活に慣れたくらいから放課後の予定が詰まっている子が増えてきたように感じる。  剣道と体操とダンス。バレエと水泳とそろばん。英語と水泳と体操。大体週に 3 つくらい習い事をしている。その他に学校の宿題や家庭学習なんかも含めると放課後に友達と遊んでいる時間なんてないんじゃないだろうか。と思いきや帰宅して宿題をして習い事までの 30 分だけ、と我が家に遊びに来た子もいた。「忙し過ぎなんだよ」と愚痴っていた。  娘は「どうしてみんなそんなに忙しそうなんだろう?」と不思議そうな目で見ている。年末に短期特訓の水泳を卒業した娘の習い事は今は週末のバレエだけだ。帰宅して宿題と家庭学習を終えるとおやつを食べながら「今日は何しようかなー」なんて仕事中のぼくや妻を誘いに来る。「ごめん、今仕事中だから」と言うと「どうしてみんなそんなに忙しそうなの?」と口を尖らせる。  ミヒャエル・エンデの「モモ」みたいだと思った。大人も子供も「時間どろぼう」に時間を盗まれてしまった世界。それまで遊んでいた友達がみんな家で勉強ばかりするように...

    2024-02-26

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