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誰かが、すべてを“かっさらって”行ったとき、ベスト興行は生まれる!
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誰かが、すべてを“かっさらって”行ったとき、ベスト興行は生まれる!

2016-01-22 12:00
    今週のお題…………「私が興奮したベスト興行」

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    文◎山口日昇(『大武道』編集長)…………ついに原稿到着!



    全国3千万人の『厳流島』ファンの皆さま、こんにちは。
    ワタクシ、山口日昇という者です。
     
    「私の理想とするプロファイター」がテーマだった先週は、いつの間にか原稿を落としていました。
     
    (ため息をついて)本当に申し訳ございませんでした! 
    これからもよろしくお願いいたします!
    これから自分は何があっても前を見て、ただ前を見て進みたいと思います。
     
    ……あ、すみません。時節柄、ついついナカイ君とキムラさんの口調が混ざってしまいました。
     
    ちなみに私の「理想とするプロファイター」は、月並みですが、アントニオ猪木とモハメド・アリです。
     
    アントンだったら「プロレスに市民権を」「プロレスこそ最強」というテーマを世間に突きつけたことーー。
    アリだったら人種差別との闘いーー。
    両者には、ジャンルの枠に収まらずに、世間や世界と闘う“使命感”と“決闘感”がありました。
    加えて、闘いそのものに向かう際の“覚悟”。
    ギリギリの勝負をナチュラルに演出できる技量と度量が炙りだす“紙一重感”。
    そして超絶的な人気者でありながら、常につきまとう“孤独感”。
     
    それらのファクターが、あるときにはそのうちのどれかが突出し、あるときにはそれらが複雑に絡み合いながら、見え隠れしました。
    そしてアントンとアリは、観る者を感情移入させていきました。
     
    「理想のプロファイター」は、観る者を感情移入させなければダメです。
    もちろん、感情移入させるだけではなく、強くなければダメです。
    その強さと闘いをベースにして、観る者を感情移入させていく。
    それが「理想のプロファイター」の必要最低条件となるのかもしれません。
     
    ん? 猪木はプロレス? プロレスでは強さは測定できない?
    ……まぁ、オメェはそれでいいや!
     
    ということで、今週のお題である「私が興奮したベスト興行」に移ります。
     
    直近のベスト興行といえば、一昨日(1月20日)の、大相撲初場所十一日目でしょう。
     
    結びは、自身でも初めての十連勝中の大関・琴奨菊と、力が落ちてきたと言われつつも盤石ぶりを戻して十連勝中の横綱・白鵬の大一番。
     
    日本人力士が十年ぶりに賜杯を抱くかもしれない、しかもその力士が稀勢の里や豪栄道や栃煌山ではなく、五度もカド番を経験し、優勝への期待を託されてはいなかった琴奨菊だったという「ドラマ」。
    その琴奨菊は、稽古と筋力トレーニングなどで馬力を昨年秋口から戻し、なおかつ、勝っても負けても一番一番“自分の相撲を取り切る”という気迫と集中力を目に見えてUPさせているからこそ白星を伸ばせたという「リアリティ」。
    盤石ぶりを戻してきている白鵬を打ち破っての、琴奨菊十一連勝という、嬉しい「ハプニング」。
     
    つまり、ベスト興行に必要な要素である、
    「ドラマ」
    「リアリティ」
    「ハプニング」
    この三つの要素が見事に揃っていたのが大相撲初場所十一日目だったというわけです。
     
    「ドラマ」「リアリティ」「ハプニング」……この三要素が揃う興行というのはなかなか見れないもんなので、初場所十一日目を見るまでは、
     
    『アントンは数え切れないほどのドラマとリアリティとハプニングを見せてくれた。つまり、私にとっての「ベスト興行」は、アントニオ猪木の生き方そのものである!』
    などという結論に本稿を導こうかなぁ、なんて思ってもいました。
     
    ところが、琴奨菊が“かっさらって”いった初場所十一日目を見て思い直しました。
     
    この、誰かがすべてを“かっさらって”いったとき、あるいは“かっさらう”という感覚が立ち昇ったときに「私が興奮したベスト興行」が生まれるんだと思います。
     
    アントンは全盛期、ほぼすべての興行において“かっさらって”いってました。
     
    1986年10月、ドン中矢ニールセンと異種格闘技戦を行った前田日明は、レオン・スピンクスを相手にしたアントンをさしおいて、見事に時代を“かっさらって”いきました。そのときの週刊プロレスの表紙コピーは、「前田、猪木に勝つ!」でした。
     
    1994年と1995年の『VALE TUDO JAPAN OPEN』、1997年の『PRIDE.1』では、ヒクソン・グレイシーが日本の格闘技シーンを“かっさらって”いきました。
     
    1999年11月の『PRIDE.8』、2000年5月の『PRIDE GP』では、それぞれホイラー、ホイスのグレイシー一族を葬った桜庭和志が“かっさらって”いきました。
     
    1999年の新日本プロレス1・4東京ドーム大会では、小川直也が橋本真也とのセメントマッチで、“かっさらって”いきました。
     
    2003年12月、東京ドームでの『K-1 WORLD GP決勝戦』では、ボブ・サップが何もかも根こそぎ“かっさらって”いきました。
     
    ちょっと変わったところでは。
    1987年12月の新日本プロレス・両国大会。
    アントンvs前田日明に顔面骨折させられ復帰した後の長州力戦という、新日本の今後を占う大一番が組まれていたにも関わらず、当日、ビートたけし率いるTPG(たけしプロレス軍団)の刺客ビッグバン・ベイダーが現われ、突如としてアントンvsベイダーにカードが変更。これに怒ったファンが、何の変哲もないタッグマッチに回された長州の試合中、終わるまでズーッと「やめろ!」コールを大合唱し続け、ものがリングに飛び交う中で試合が行われるという異常事態。
    客席のあまりのヒートアップぶりに、さらに急きょ、アントンvs長州の一戦をメイン前に組みこみ、メインではアントンがベイダーに一方的に叩きのめされるハプニングまで演出したものの、客席の怒りは収まらず、館内は異様な興奮に包まれました。
    これ、観客の怒りが興行を“かっさらって”いったと言えるんではないでしょうか。
     
    2003年3月、エメリヤーエンコ・ヒョードルがアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを破ってPRIDEヘビー級チャンピオンになった『PRIDE.25』から、同年のミドル級GP、2004年のヘビー級GPまで、PRIDEは客席の熱といい、試合内容といい、「ベスト興行」というのに相応しい大会を連発していきました。
    これはPRIDEという場の磁力が日本の格闘技シーンを“かっさらって”いったと言えるかもしれません。
     
    「ドラマ」「リアリティ」「ハプニング」
    それに加えて、誰かあるいは何かが“かさっらって”いったときに「私の興奮したベスト興行」は生まれます。
     
    で、結論としては、上にあげたイベントの中からどれか一つを選べと言われても、すべてがすでに“あのときのもの”なので、選べません。
     
    というか、一刻も早く「私の興奮したベスト興行」が上書きされることを願っています。
    それでは、また来週!
     
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