#37(終刊号)
2015年5月22日号
編集長:東浩紀 発行:ゲンロン
ゲンロン観光地メルマガ5月22日号(#37)をお届けします。
ついに本メルマガも今号で最終号。ゲンロン観光地化メルマガは、福島第一原発観光地化計画に関する情報を発信するプラットフォームとして、「福島第一原発観光地化計画ブロマガ」という長い名前で、2013年11月にスタートしました。その後、「ゲンロン観光地メルマガ」と名前を変え、現在まで、3.11後の日本を考えるための記事を配信してきました。この6月からは「ゲンロン観光通信」としてリニューアルします。6月からは月1回の配信で、ゲンロンの活動全般をより広くお伝えしていきます。浜通り通信、チェルノブイリの勝者の2つの連載は継続、黒瀬陽平さんは新連載に切り替わります。契約変更などのお手続きは必要ありませんので、継続してのご購読をお願いいたします!
6月からの新創刊メルマガに関しては、本号の東浩紀による巻頭言でも詳しく述べられています。この巻頭言ではまた、福島第一原発観光地化計画について、日本における負の記憶の歴史を参照しつつ、あらためて考察がなされています。
福島第一原発観光地化計画については、小松理虔さんの浜通り通信でも言及されています。本号のエッセイのテーマは大阪都構想の住民投票から考える2014年の福島県知事選です。小松さんはまた、弊社徳久倫康の3.11福島取材レポートにも登場。取材2日目は小松さんにご案内いただき、いわき各地をめぐりました。復興の現状はどうなっているのでしょうか。
黒瀬陽平さんの311後の東北アートは、これまでの連載で展開されていた、東北仏教リサーチの総括です。ミールヌイさんの小説では、チェルノブイリ放射能偵察の日常が、人生に例えられています。
ゲンロン観光地化メルマガ、今号もお楽しみください。
目次
- 観光地化計画が行く #37 東浩紀
- 2015.3.11 福島取材レポート #3 徳久倫康
- 浜通り通信 #26 浜通りで続ける抵抗 小松理虔
- 311後の東北アート #26 黒瀬陽平
- チェルノブイリの勝者〜放射能偵察小隊長の手記 #30 セルゲイ・ミールヌイ 保坂三四郎訳
- メディア掲載情報
- 関連イベント紹介
- 編集部からのお知らせ
- 編集後記
- ゲンロン観光通信創刊号予告
観光地化計画が行く #37
東浩紀
@hazuma
本メルマガはこれが最終号である。といっても、発行そのものが終わるわけではなく、次号より『ゲンロン観光通信』と名を変えて継続する。連載もいくつかは続く。ぼくも同じように巻頭言を書き続ける。ただし発行頻度は落とすし、目次も新創刊の『ゲンロン』と連動したものにする。つまりは「福島第一原発観光地化計画」との関連を薄め、ゲンロンの活動全般の紹介をするメルマガに性格を変える。変更に同意できない方は、今月で購読を打ち切ってほしい(できれば打ち切ってほしくないが)。
観光地化計画はこれで終わるわけではない。詳しくはまだ公開できないが、ひとつ水面下で動き出している企画がある。すべてがうまく行けば、それなりに話題となるはずの大型企画だ。
とはいえ、書籍版『福島第一原発観光地化計画』の出版から時が経ち、世の中の反応が出そろうなかで、ストレートに「原発事故跡地を観光地にしよう」と訴えても、ほとんど理解を得られない、それどころか反発を買うだけであることが明確になったのはたしかである。書籍の出版は、問題提起としてすら機能しなかった。本メルマガの方針転換もまたそのような現実に強いられている。観光地化どころか、いまや多くの日本人は、事故を話題にすることすら忌避しているように見える。
ところで、今号が配信される日の翌日(5月23日)、ぼくはゲンロンカフェで演出家の鈴木忠志氏と対談をすることになっている。その準備のため、鈴木氏と中村雄二郎氏との対談『劇的言語』を読んでいたら、気にかかる記述を見つけた。
中村氏によれば、かつて日本では、刑罰の一環として、犯罪者を処罰するだけではなく、関連する施設を焼き払っていたらしい。たとえば荘園領地のなかで人殺しが起きた場合、加害者を罰するだけでなく、被害者および加害者が立ち寄った家まで焼き払い、「なかったこと」にしていたというのだ。それを受けて鈴木氏は言っている。「視覚的な記憶とか場所自体をないかのようにしてしまうというのは、日本独特の共同体の知恵というか、システムだと思うんです。今でもその心性みたいなものは日本人のなかに生きている気がします。記憶を消そうという。/外国人だと、悪い記憶のある建物は残しておこうとするだろうけれども、日本人は消してしまう。侵略による虐殺もないことにしよう、となる」(朝日文庫版、pp.236-237)。
ぼくは観光地化計画を始めるとき、このような日本の伝統をあまり意識していなかった。むしろ、広島や水俣を抱える日本は、ダークツーリズムの先進国だという意識があった。けれども、問題はやはり根深かったようだ。記憶そのものを消す。少なくとも記憶を喚起するものは消す。鈴木氏が指摘したそのような「知恵」は、実際、原発事故に限らず、あの震災で被害を受けた土地全体で広く実践されているものである。震災遺構はつぎつぎに解体されている。この国では、復興は忘却とセットになっている。ぼくはそれを、先日、聳え立つ防潮堤で海を消し、高台移転のため里山を崩し、津波で流された町をまるごと更地に変えた某所の「復興事業」を見て痛感した。
だとすれば、原発事故の跡地を傷ついた(=穢れた)すがたのまま残し、観光客に公開しようというぼくたちの提案は、悪をめぐる日本の伝統に真っ向から衝突するものだったことになる。理解を得られないのはあたりまえだ。原発がどうこうの話ではないし、被災者の気持ちがどうという話でもない。そもそもこの国では、そういう発想は「ありえなかった」のだ。観光地化計画は、その点ではこの国の根っこにある病巣に触れている。
だとすれば、ぼくは今後は、より深い、社会の無意識にまで踏み込んだ、搦め手の文化的な戦略を展開するしかないのだろうと思う。つまりは、だれもが納得するような、短期的な実現を目指す「プラン」や「提案」であろうとすることを止め(それはもはや忘却の伝統に寄り添うしかないのだから)、戦争や災害に対するこの国の記憶の構えそのものを変質させる、長期的な体質改善を企てるしかないのだろうと思う。
ひとによっては、それを失敗と呼ぶだろう。実際、観光地化計画は、現実の福島の復興政策になんの影響も与えなかった。
けれども、そんな「現実」が、いまだなにも収束していない原発事故を「なかったこと」にすることでしか動かないのであれば、それに抗い、そうではない国のすがたを構想するのもまた、同時代に生きる言論人の使命なのではないかと思う。問題は原発事故に限らない。ゲンロンは、これからも(これからこそ)地味に日本の知的体質改善を企てる。応援してくれるひとは、来月以降も購読し続けてくれればと思う。
東浩紀(あずま・ひろき)
1971年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。