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【断層が語る山岳信仰】ゲンロン観光地化メルマガ #36【編集長・東浩紀】
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【断層が語る山岳信仰】ゲンロン観光地化メルマガ #36【編集長・東浩紀】

2015-05-08 23:20
    ゲンロン観光地化メルマガ #36 2015年5月8日号

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    #36
    2015年5月8日号
    編集長:東浩紀 発行:ゲンロン

    ゲンロン観光地化メルマガ5月8日号(#36)をお届けします。
     

    5月になったとたん、すっかり暑くなりましたね。春を通り越して夏になった感じがします。皆様いかがお過ごしでしょうか。
    「浜通り通信」では、小松理虔さんの浜通りラッパー論。自分の言葉で「勝手に」地元を語るラッパーたちの震災後の表現に注目します。
    黒瀬陽平さんの「311後の東北アート」では東北山岳信仰のルーツを訪ねて、いわきの山寺を訪ねます。
    セルゲイ・ミールヌイさんの小説「チェルノブイリの勝者」では、新任の大尉とベテランの中尉の、放射能偵察に対する態度の違いが描かれます。架空の報告書が出てくるなど、ポストモダン小説全開です。
    東浩紀の巻頭言では、憲法記念日にちなんで、憲法9条と改憲に関する見解が論じられています。
    なお、徳久倫康による福島取材レポートは今号はお休みになります。ご了承ください。
     

    ゲンロン観光地化メルマガ、今号もどうぞお楽しみください!!

     目次 

    1. 観光地化計画が行く #36 東浩紀
    2. 浜通り通信 #25 躍動する常磐ラッパーたち 小松理虔
    3. 311後の東北アート #25 黒瀬陽平
    4. チェルノブイリの勝者~放射能偵察小隊長の手記 #29 セルゲイ・ミールヌイ 保坂三四郎訳
    5. メディア掲載情報
    6. 関連イベント紹介
    7. 編集部からのお知らせ
    8. 編集後記
    9. 次号予告

     


    観光地化計画が行く #36
    東浩紀
    @hazuma


    憲法記念日が過ぎた。昨年は小林節氏をお呼びしゲンロンカフェでイベントを行ったのだが、今年は機会がなく、なにもすることができなかった。そこで少し憲法について書いておこうと思う。

    あらためて言うまでもなく、ぼくは改憲派である。憲法の条文は、現実にあわせ修正すべきだと思う。それは単に憲法9条だけの問題ではないが、ぼくがこのように考えるに至ったのは、やはり9条への違和感に基づいている(ぼくなりの理想の憲法は3年前に『日本2.0』(思想地図β3)という本で示したので、ご興味があれば参照されたい)。現行の9条が自衛隊の存在と矛盾するのは、子どもでもわかることだ。ぼくはその矛盾は取り除くべきだと思う。

    しかし、これまたあらためて言うまでもなく、このような単純な主張はこの国では通らない。なぜならば、第一に、学者の世界には、9条の条文は自衛隊の存在とは矛盾しないというアクロバティックな解釈があるからであり、第二に、運動の世界には、たとえ9条が自衛隊の存在と矛盾していたとしても、その矛盾こそが現実の政治では抑止力として機能しているのだから守るべきだという状況判断があるからである。護憲派はたいていこの両者を使う。

    むろん、その両者とも長い歴史のなかで必然性をもって現れたものであり、安直に否定すべきものではない。頷けるところもある。けれども、その奇妙な論理構成が、憲法をめぐる議論をどうしようもなく麻痺させていることは確かである。フロイトの精神分析に有名な「やかんの論理」なるものがあるが(叱責を逃れるために相互に矛盾する言い訳を並べて本人は気づかない状況のこと)、一方で条文と現実はずれていないといい、他方では逆にずれているほうがいいと主張する、9条をめぐるこの状況はその話を思い起こさせる。「やかんの論理」は夢の論理なので、合理的な反駁では撃破できない。反論しようとすると、核心がどんどんずれていく。同じように、9条改正の提案も、決して文字どおりに条文の話として受け取られることがない。改正の動きは、つねに、単なる条文改正ではなく、その背後に政治的意図を隠した動きだと理解され、当初の意図とは異なるかたちで抵抗にあうことになる。

    ぼくはべつに、自衛隊の強化を望むものではないし、憲法改正で「普通の国」になるべきだと考えているわけでもない。というよりも、ぼく自身は素朴に戦争が嫌いで、自衛隊の海外派兵も原則反対である。けれども、9条をめぐるこの「やかんの論理」はあまりに不健全であり、取り除くべきだと考える。だからぼくは9条は改正すべきだと考える。つまり、ぼくは、9条の文面そのものというよりも、9条を取り巻く言説状況に問題を感じている。この点ではぼくは、ちょっと変わった改憲派というか、メタ改憲派とでも呼ぶべき立場である。

    この国は「やかんの論理」に覆われている。子どもでもすぐ気がつくような矛盾や不正が、複雑怪奇な「大人の事情」で許容され放置されている(そういえば、ある世代から下の日本人は「大人の事情」という言葉を自虐的に使うのがじつに好きだが、あれはいつからの現象なのだろう)。「きみの言っているとおりなんだけどね、まあいろいろ事情があってね、きみも大人になれば分かるよニヤニヤ」みたいな説明が横行している。9条を改正し、「やかんの論理」を消去すること。だからそれは、ぼくには、憲法の問題に限らず、この国全体を覆う機能不全を吹き飛ばし、まっすぐな議論をまっすぐにできる環境を取り戻すための、重要な第一歩になるような気がするのだ。

     

    東浩紀(あずま・ひろき)
    1971年生まれ。作家。ゲンロン代表取締役。主著に『動物化するポストモダン』(講談社)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、三島由紀夫賞受賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『弱いつながり』(幻冬舎)等。東京五反田で「ゲンロンカフェ」を営業中。
     

     
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