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小説『拷問塔は眠らない ーエメラルドの少女ー』
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好評発売中の『拷問塔は眠らない ーエメラルドの少女ー』。
今回は、作品冒頭のお試し読みを公開!

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ー序章ー

 彼女に意識はない。
 彼女は不完全な存在で、それ故に一個の生命として生まれ出ることができなかった。

 しかし、彼女には聞こえていた。
 耳もない。
 目もない。
 鼻も口もない。
 それでも聞こえていたし、見えていた。

 水槽の中の水が揺らぐ音。
 流れる空気の色。
 水槽の外から、彼女を覗き込む男の鼻息。
 見開かれた男の目。

 男は彼女に、意識を与えようとしていた。
 もう存在しなくなったはずの意識を、埋め込もうとしていたのである。
 ――こんなことが、もう何十年も続いている。
 彼女はそれが嫌で嫌で、たまらなかった。

 そんなものはいらない。
 意識も記憶も、もう私には必要のないものなの。

 だからお願い。
 もう放っておいて。
 もう私を、蘇らせようとしないで。

 お願い。

 お願いよ。
 ハーガイン。
 

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ー第1章ー

 円卓の間に敷き詰められた真っ赤な絨毯。そこには、王家の紋章をかたどった金色の刺繍がなされている。
 ヘリオス七世は樫の円卓に肘をつきながら、その絨毯を虚ろな目でぼうっと眺めていた。
 正直に言うと、彼はこの絨毯の色があまり好みではなかった。
 部屋一面に広がる真紅。これが何とはなしに、彼の若い頃のトラウマを思い起こさせてしまうことがあるからだ。
「聞いておられますか? 陛下」
 隣に座っていた宰相にやや批難めいた口調で呼びかけられ、ヘリオス七世はようやく我に返った。
「あ、ああ。大丈夫。聞いてる、ちゃんと聞いてるよ」
 慌てて答える王の様子を見て、豊かな白い髭を蓄えた宰相は露骨に深いため息を吐いた。
 まったく、この坊ちゃんは子供の頃から何も変わっていないな――そうとでも言いたげな顔であった。
 父王の死後、若くして王になりながらも、それなりにきちんと国を治めてはいる、という自負がヘリオス七世にはあった。しかし、三十年来の知り合いである宰相にとって彼はまだまだ未熟者に映っているのかもしれない。
 とはいえ、宰相とのこんなやり取りは王にとって日常茶飯事であったので、特に気にすることもなく、意識を目前の会議へと戻していった。
(……何故俺は今さらあの戦争、そして妖魔の事を思い返していたのだ?)
 ヘリオス七世は会議の内容に耳を傾けながらも、心の片隅で自問した。
 考えるまでもない。それは現在、この円卓の間で開かれている会議――その議題のせいだ。

 ――辺境の町、リオンシティで起こった事件……。

 かの町の住民が最近、次々と姿をくらまし、行方不明になっているのだという。
「――正確に言えば、ここ半年ほどは、新たな行方不明者は出ておりません」
 古参の貴族院議員が事件についての解説を続けている。会議に参加している他の者は皆真剣に、彼の言葉に耳を傾けていた。
「……しかしながら、これを事件の解決、とするわけにはいかないでしょう。行方不明者はいまだに誰一人、発見されてはおりません。もちろん……ハーバート下院議員も含めて、です」
 行方不明者の数が多いとはいえ、僻地にある小さな片田舎の町で起こった事件など、通常ならばこの場で議題に上がるなど考えられない。
 これは国王自らが参加する、定例の円卓会議なのだ。本来は国の財政状況や他国との外交関係、そういった政治の方向性について話し合われる場なのである。
 だが、この事件は会議の参加者にとって、それらよりも優先して話し合わなければならない……そんな事情があった。
 半年前に突如失踪した下院議員、ジョシュア・ハーバートがこの事件に関わっている可能性が出てきたからである。
 彼が行方不明になる数日前、リオンシティでその姿を目撃されていることが、最近になって発覚した。しかも、厄介なことにあの魔術結社『クロスロージア』の魔術師と一緒だった、という情報もある。
「ハーバート下院議員があの町に赴いていたとすれば、その理由は……これはわざわざ言わずとも、皆さん――大体おわかりになるでしょう」
 古参議員が話を続けている。
「『クロスロージア』が関わっていたとなればなおさら、です」
 宰相が再び、大きく息を吐いた。今度は王の態度や仕草に文句があって、でないことは明らかだった。
「トルチア塔……ずっと沈黙したままだったあの塔が、何故今頃になって……」
 宰相は下唇を噛みしめると、そのまま押し黙ってしまった。他の者もそれぞれ、思い悩む様子を見せたり、目を伏せて小さく唸り声を上げたりしている。
 円卓の間を、重苦しい沈黙が流れた。
(トルチア塔、ねえ……)
 父の代からの臣下である老議員達と違って、今この場にいる中では最年少のヘリオス七世には、この『トルチア塔』の存在がなぜここまで我が国の懸念材料になっているのか、いまいちピンときていなかった。
 無論、アレがどんなものであるのかは、昔から父親や宰相たちに嫌というほど聞かされてきた。
 闇に魂を売ってしまったかつての英雄、ハンク卿の数々の凶行――その舞台となった場所。この国に残された『負の遺産』。
 だがあの塔はこれまで――少なくとも現王であるヘリオス七世による治世の間は――放置され続けていた。前王であった父がそうするよう遺言を残していたからだ。
 『妖魔』に、興味本位で無闇に首を突っ込んではならない、と。 
 それはヘリオス七世自身もよくわかっていた。だからこれまでは父の遺言を守り続けてきた。
(だが……本当にこのままでよいのか?)
 妖魔を恐れているのは、恐らく王だけではないのだろう。この円卓を囲み、うなだれている議員達……彼らの様子を見れば、一目瞭然だ。
 宰相の言う通り、これまではあの塔に目立った動きはなかった。だから父の遺言云々は関係なく、トルチア塔に注目する必要などなかったのだ。
 しかし、何故かはわからないが、塔は突如として眠りから覚めた。
 今回の事件では一般の住民にも多数の被害者が出ている。表向きは『行方不明』としているが、実際には彼らはもう殺されてしまっているのだろう。
 恐らくは、あの塔の中で。
 民の命が、妖魔の手によって脅かされている――一国の王として、それを無視し続けることは、果たして正しい事なのか?
 自分は出来の悪い王かもしれない。だがそれでも、この国を守りたいという意志に偽りなどないのだ。
 二十年前のトラウマに囚われ、恐ろしいモノから逃げ続ける……そんな情けない王のままで終わってよいのか?
「……これを機に、徹底的に調べるべきなのではないか? 『トルチア塔』、そして『ハンク卿の娘』を名乗る者達について……」
 ヘリオス七世はいつのまにか、そう口に出していた。
 しかし、誰からも返事は返ってこない。
「『拷問卿に娘はいない』……それを念頭に置くならば、トルチア塔に最近住みだしたというその娘達が何者であるか、答えは二つに一つだ。ただの詐欺師であるか、あるいは……。いずれにせよ、彼女らがこの事件の首謀者だと判明した場合、何らかの手筈を持って駆逐を――」
「お止め下さい、国王」
 ヘリオス七世の言葉を遮ったのは宰相だった。
「あの塔には……迂闊に手を出すべきではありません」
「何故だ!? ……俺は知っているぞ。父の時代には、あの塔に幾人もの騎士を送り込んでいたことを」
「……」
「それはあそこを根城にする妖魔を殺すためではなかったのか!?」
「……だからこそ、です。『トルチア塔討伐隊』のことをご存じならば、その結末についても知っておられるはずだ」
「……誰一人、戻ってはこなかった、と……そう記録書には書かれていたな……。だが! いくら腕利きとはいえ、たかが十数名がやられただけで、この国は臆するというのか!? 何ならばいっそのこと、一個師団を送り込んで――」
「そんなことをしたら! 今度こそ、王が命を失うことになりかね――」
 激昂して何かを言いかけた宰相が、直後にハッとした表情になり、口をつぐんだ。
「? 俺の命!? いったいどういう――」

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二十年にわたる沈黙から目覚めた拷問塔。
拷問塔をめぐって、国が、そして強大な力と権力を持つ魔術結社「クロスロージア」が
動き出します。
三姉妹をめぐる血と悪と罪の物語の行方は……?

『拷問塔は眠らない ーエメラルドの少女ー』、
三姉妹とエメラルドの少女との邂逅は、ぜひ小説でお確かめください。