エメラルド輸出はバブル崩壊後年々減少していた
とはいえ未だそこそこの利益を出し、輸出量が
堅持されていた。
2007年、コロンビアとブラジルの合弁会社の
鉄鋼会社であるパスデリオ社を顧客に取って我が
しかしながら、このとき驚くべき事態が勃発した
米国の巨大投資銀行のリーマン・ブラザーズ社が破綻したのだ。
その影響は凄まじく、すぐに全世界をクレジット・クランチの大暴風雨で包み込み、
コロンビアにも波及した。
我が社にそれまで以上の銀行融資が回らないという事には耐えられたけど、我が社の顧客に
銀行融資がなされないという事は顧客からの支払いが長延びる事を意味した。
それまで二ヶ月の支払い期限であったのが倍の四ヶ月から五ヶ月になりその間の銀行利息は
利益の倍額となった。政府の設定で我々警備会社が顧客から受け取るコミッションは決められ
ていた。
警備会社は銃を扱う商売なのでこのゲリラ国では全ての警備関連ビジネス活動が政府の厳密な
監視下におかれていた。従業人の警備員に支払う賃金も政府の規定で決めれており、
顧客から貰う料金との差額は五パーセントであった。
粗利五パーセントは旨みのあるビジネスではある。
しかし顧客からの支払いが二ヶ月以上延びれば銀行融資で営業していたなら完全に赤字になる
だからといって、警備員への賃金支払いを延ばす事は政府により厳重に禁止されている。
いかなる規則違反も免許取り上げになった。
一年ぐらいはもったが数億円の負債を残し、あえなく倒産してしまった。
ちなみに、コロンビアの銀行利息はプライム平均レイトでも月利2パーセント以上だ。
馬鹿げた話しである。
先進国のほぼ10倍だ。
結論を先に言うと、
私の経済的成功はコロンビアに来て成されたが、そのコロンビアに葬られたのだ。
読者の中にも海外で事業を営みたいと思っている人もいるだろうが、後進国や途上国に
あっても決して銀行融資を頼みにしてはいけない。それは日本の高利貸しを利用するような
ものだ。また、このリーマン・ショックを境目にして日本へのエメラルド輸出がさらに激減
してしまったのである。もはや利益が出る輸出量までにとどかず、月額輸出総量が十万ドル
そこそこの営業トントンないし赤字圏に突入してしまった。
お客さんの都合もあったが、これもその二年後には整理廃業した。
その間日本の景気回復を期待したが無理な話しであった。
時は二年前の西暦2013年であった。
2000年あけには映画興行に大々的に打って出たが、前述の通り本物のドキュメンタリー
アクションを理解してくれたのは実際にバイオレンスの国のコロンビアだけであった。
先進国ではもはやハリウッド映画のブランド品だけが好まれる。
全く数億円の道楽になってしまった。
ウオール・ストリートの先物博打も数十年もやって来たのにここに至り一挙に大相場を
張って、数億円の損失をだし結末をだしてしまった。