天正八年。
捕虜の保護を目的とした国際条約が結ばれるまであと三百年。

つばめは絶体絶命のピンチに陥っていた。

戦国の世にあって、捕虜の処遇というのものはだいたい相場が決まっている。
奴隷として売り払われるか、さもなくば死である。


「やだーっ! やだやだやだ! ぬわーん!」


雑兵を圧倒した若き剣士は、スマキにされて村長宅の冷たい土間に転がっていた。
ビタンビタンと暴れるさまは、まるで釣り上げられたばかりの魚である。


「おうおう、でっけえドジョウだなあ」

「お前たちこんなことして恥ずかしくないのか!」

「得体も知れねえ怪しい金で雇われた用心棒が言えた義理かよ」

「ぐぬっ」


つばめを見張っているのは三郎左衛門と名乗った足軽である。
月代も剃らず雑草のように伸び放題の頭に赤いハチマキをしつらえており、具足の手入れもさして行き届いていないことから、一見して素行の悪さが見て取れる。


「先生ぇー! 話が違うじゃないですかーっ!」


近くには同じようにスマキにされた村の住人がキレイに並べられていた。
そのうちの一人が芋虫のようにはって逃げ出そうとするも、雑兵の一人に引きずられてすぐに元の位置へと戻されてしまう。


「言っておくが逃げ出すなんて考えない方がいいぞ。このあたりの連中はみんなお前らのあったけえ懐を狙ってんだ。スマキで沙汰を待つほうがよっぽどマシってもんだぜ」


三郎左衛門の言葉に、住人たちは押し黙る。

彼の言うとおり、村人たちは金をたんまり貯め込んでいる。そしてそれを周辺の野党や盗賊から狙われていた。ゆえに手練の用心棒まで雇い入れて警護していたのだ。
一同に口をつぐむところを見るに、相当後ろ暗い金であることはまず間違いないだろう。


「少なくとも俺たちは賊じゃねえ。いきなり身ぐるみ剥いだりはしねえよ。ようするに、ここでスマキにされてるのが一番安全ってこった」


世間知らずのつばめにも理解できる話だった。つまりこの足軽たちはこの村の不審な金回りを嗅ぎつけた領主により、村に制裁を加えるべく派遣されてきたのだ。

伝令に出た一人を除き、つばめを含む村人たちを見張っている足軽は全部で五人。
うち三人はつばめに斬られて少なからず負傷しているとはいえ、意識ははっきりしている。

いくら腕に覚えのあるつばめとて、スマキにされた状態で足軽五人を相手取りこの村から逃げ出すのは難しいだろう。

じきに伝令が本隊を引き連れて戻ってくる。そうなれば一巻の終わりである。



ああ、なんたることか!

名を上げるべく父を殴り倒してまで実家を飛び出したというのに!
金に目がくらみ、もてなされるがままに豪遊し、挙句の果てには処断の危機に瀕しようとは!

きっと市中引き回しの上、河川敷ではりつけにされてしまうのだ。
縄でぐるぐる巻きにされ、子供たちから石を投げつけられ、あとは斬首を待つばかり。
乙女剣士の儚い人生は、雨後の桜のようにもろくも散りゆくのであった。


「あいや待たれいっ!」


そこに白馬に乗った若侍が颯爽と現れる!
つるりと剃り上げた月代と涼しげながらも強い意志を秘めた目元!
高そうな着物! 一見してお金持ってますというオーラ!


「とうっ! シュババッ!」


馬から飛び降りた若侍は腰に下げた刀を抜きざま一閃、つばめを縛る縄はハラリと解け落ちた。解放されたつばめの体は重力に引かれ、まるで舞い降りた天女のようにゆっくりと厚い胸板の上に落ちる。

若侍はつばめの華奢な体をフワリと抱き止めると、耳元でこう囁くのだ。


「なんと美しく可憐な乙女よ。拙者はとある大名の嫡男でござる。おぬしの美しさに惹かれ助けに参った。さあ拙者と祝言をあげよう! あと拙者は超お金持ちでござる」

「ああ、いけませんわ。私は罪人。こんなことをしたらおサムライ様にどんなお咎めがあるか……」

「構わぬ! 拙者は今、まことの愛に目覚め申した! この愛を地平の彼方まで共に貫き通すのじゃ! あと全然関係ないけど拙者は超お金持ちでござる」


そして二人は白馬にまたがり、夕日に向かってパカラパカラとどこまでも駆けていくのであった。




「むひょひょ……」

「なに笑ってんだコイツ」


三郎左衛門は不気味に笑いながらスマキの体をくねらせる捕虜を見下ろしていた。







雨が止み、日も傾いた頃、うとうとしていたつばめは濡れた泥を跳ねる音で目を覚ました。

ああ、ついに本隊が到着したのか。
つばめの脳裏に父と過ごした十数年が走馬灯のように駆け巡る。


「いやー、待ちくたびれたわい。おーいこっちじゃあ」


よっこらせと腰をあげた足軽の一人が村長宅の扉を開き、本隊に向かって手を振った。

その刹那。


ドスッ!


「うぎっ……!」


足軽の肩に一本の矢が突き刺さった。

それを皮切りに二本、三本と、足軽の体は次々と射抜かれていく。全身に何本もの矢を突き立てられた足軽はドウッとその場に倒れ伏した。辛うじて息はあるようだが、そう長くはもたないだろう。


「あひぃっ!」


村人たちが、なにごとかと短い悲鳴をあげる。
悪意に満ちた足音は扉のすぐ外まで迫っていた。


「こっちだドジョウ!」


スマキにされたつばめの体が強い力で引っ張られ、戸棚の陰に押し込められた。
そこに覆い被さるようにもう一人、雑草頭の足軽が滑り込んでくる。


「静かにしてろよ。まずいことになったぜこりゃあ」


いち早く事態を察知したのは三郎左衛門であった。
一人入り込むのがやっとの狭いスペースに、つばめと三郎左衛門、二人の男女がひしめき合う。しかし事態はそうロマンチックなものではない。

二人が隠れると同時に入り口の扉が蹴倒された。


「ひゃひゃひゃ、皆さんおそろいで。スマキに怪我人とは、こいつは楽でいいなあ」


つばめはその姿に見覚えがあった。
数日前、つばめがボコボコにのした前任の用心棒である。

この村から追い出された元用心棒が、手下を従え現れたのだ。


「お前らってばよおー、俺様が用心棒ごっこに付き合ってやってたのに、金の隠し場所はぜーんぜん教えてくれねーんだもんよおー。俺様だってほんとは手荒なことはしたくないわけよ。俺様ってば優しいから!」

「「「そのとぉーーーり!」」」


頭の呼びかけに、手下の男たちが声をそろえる。

武装した複数人の悪漢を相手に、手傷を負った足軽たちでは太刀打ちできるはずもない。
彼らが村人同様捕えられるさまを、つばめと三郎左衛門は息を潜めて見守っていた。


「手下ども使ってこの村まるごと家捜ししてもいーんだけどよお。俺様ってば手下思いの熱い男なわけよ。ちょっとでも楽させてやりてーわけよ。俺様ってば優しいから!」

「「「そのとぉーーーり!」」」


そう言うとガラの悪い元用心棒は腰からすらりと刀を抜きはなった。あまり手入れされていないのか、ところどころ刃こぼれしており、切れ味は悪そうだ。しかしそれがかえって、囚われた者たちの恐怖を煽った。


「ひいいい、なにをする気だ!」

「抜いた相手にそれを聞くのは野暮ってもんじゃねーの? けど俺様ってば敵にも優しいからすぐに斬ったりはしないわけよ。俺様ってば頭も良すぎるからよお、もっと簡単な方法を思いついちまったわけ」


柄の悪い元用心棒は手下に指示を出し、捕えた足軽をスマキにされた村人の隣に並べていく。そしてその最も端に並べられた足軽の太腿目掛けてためらうことなく刀を振り下ろした。


「うぎゃあああああああっ!!!」


無抵抗な太腿は乾燥して割れた大根のようにパックリと斬り裂かれ、鮮血が噴き出し硬い土間を赤く湿らせる。
斬られた足軽は声にならない声をあげ、つままれたバッタのように悶絶した。


「こんな感じで端から順番にぶった斬っていこうと思うわけ。村長さんよお、金のありか吐きたくなったら、いつでも勝手に吐いてくれや」

「ひゃああああああああああああっ!!!」


なんたることか。一列に並べられた村人たちは一斉に絶叫した。

特に悲惨なのは太腿を斬られた足軽だ。全身をよじりながら縄を解こうとするも、男の手下たちによって押さえつけられ、身動きが取れない。逃れることもままならぬ状況で、静かな死への恐怖が彼の全身をじわりと蝕む。その股間からはいつしかホカホカと湯気があがっていた。


「いやだーっ! 堪忍してけろーっ!」


足軽の絶叫が村長宅の梁をビリビリと震わせる。
しかし叫べども助けはこない。本隊を呼びに行った伝令も、恐らく彼らの手によって始末されたのであろう。


「じゃあ今度は首にいくぜえ。なあに、安心しろよ。一振りでスパッと斬ってやるからよお。俺様ってば優しいから!」

「「「そのとぉーーーり!」」」


「いやあああーーーーっ!!!」


凶刃が足軽の首に振り下ろされようとしたまさにその時である。




「あいや待たれいっ!」




足軽の絶叫にも負けず劣らずの大音声が響き渡る。
その咆哮と共に戸棚の物陰から大きなドジョウにも似た影が飛び出した。


「げっ! なにやってんだバカ!」


背後で青ざめる足軽の制止を振り切り、その影は悪漢たちと対峙した。


スマキにされたその剣鬼の名は、小川つばめその人である。