石破 茂です。
 
 酷暑の日々が続きます。昭和53(1978)年、暑い中を就職活動で会社訪問をしていた37年前の大学四年生の夏をふと思い出します。漠然と新聞社かテレビ局を就職先の候補として考えていたのですが、当時参議院議員であった父親から「それだけは絶対に駄目だ。他人を批判ばかりしている職業に就くことは許さない」と一喝され、国鉄や航空会社にも難色を示されて、結局都市銀行(当時はメガバンクなどという言葉はまだ無く、都銀だけで14行もありました)に絞って就職活動をしていました。中央官僚、県知事、参院議員であった父親はそれなりにマスコミを大切にしていたようにも思うのですが、倅をその仕事に就かせることには相当に強い拒否感があったようです。

 自分も父親と同じ政治の仕事に就いてみて、彼の言っていたことが少しわかるような気がします。もちろん健全な民主主義の発展のためには批判勢力の存在が必要不可欠であり