なぜ社内の改革はなかなか進まないのでしょうか? 制度研究の言葉に、「制度的補完性」という言葉があります。長い歴史を持つ企業であればあるほど、多くの制度が非常に巧妙にからまっています。例えば「テレワークは多様な働き方を享受するものであり、災害対策時の事業継続を支援する。早急に導入するべき制度だ」という声があがったときに、「いや、テレワークは労務上の問題解決が必要で組合の承認も必要であり・・またそもそも会社の”情報”を家に持ち帰ってよいのかという問題解決も必要で、それには、この問題とあの問題の解決も必要で・・・」ということになり、なにかの制度を変えるためには別の問題がクローズアップされるというふうに堂々巡りをすることになるのです。


非常に複雑に絡み合った完成度の高いシステムでは、制度を変えようと思っても補完的なので、連鎖的にそれに関連する全部の制度を変えなければみんなが納得しないわけです。故に、最初に変えようと思ったひとつのことすら変えられないことになってしまいます。ワークスタイル改革やソーシャルシフトなど、いろいろな改革の為の議論が続いていますが、結局問題の大本には切り込めていません。それは、この補完性の問題の為なのです。



もうひとつの変化の阻害要因として、「正統性」を巡る問題があります。組織の複雑化とともに人々の目的や価値観が多様化していくと、社員が互いの主張を理解できる蓋然性は自動的に減っていきます。なにを考えるにせよ条件付きとなり、いったい何を準拠して、何を批判すれば良いのかという規定を困難にします。その結果、何が「自明」か を巡る正当性が焦点化されていきます。つまり、みんなの合意が難しい制度の合意よりも、情報漏えい被害のような誰もが合意できる問題が、感情の動因のフックとなり、その結果、実行に移される制度設計は、「USBメモリ禁止」というようなリスク回避にかかわる仕組みだけが増えていくというものです。社会が不透明になるほど、「人々のニーズに応えること」と「システムを維持すること」とが乖離するという問題になります。


3つ目に、経済学でいう「複数均衡」があります。例えば、現在それなりの利益を上げている事業部門があるとします。よその部門もそれなりの利益を上げています。そこに新しいビジネスの話が舞い込んできました。しかし、そのビジネスをこなすためには他の部門の協力が不可欠であり、自分たちだけで進めようとすると利益はセロになってしまいます。その際どういうことが起こるでしょうか。あらかじめ協力的な他部門が多く存在することがわかっているのであれば、多少苦労してもやってみようという話になります。しかし誰も興味を示さないだろうと思うのであれば、わざわざ重い腰を上げずに従来の仕事を粛々とこなしていたほうがよいということになるのです。この場合ここから逸脱するインセンティブはありません。多くのステークホルダーが存在するコラボレーションに置いては、すべてのメンバーの利得関数が同じ向きになっていることは稀であり利害が相反します。つまり、このようなことから実際には好ましい(パレート優越的な)状態も均衡として実現することが可能なのに、「好ましくない」均衡にとらわれている状態が続くのです。



これらの問題は社内に新たなテクノロジーを取り入れる際にも同じことが起こります。従来型の延長線上にある機能改良というケースにおいては、少ない調整で話が進みますが、大掛かりな変更や抜本的な見直しという話になると、とたんに話がややこしいものになるのです。これは上記に挙げた補完性の問題や、正統性の問題、消極的な均衡の問題が多大に関係してくる話になります。


ここにあげたような問題は、これまでも至る所で発生しているはずですが、以前はそれが顕在化しにくいものになっていたと思います。以前はいまようにグローバル化ということになっていませんでしたし、日本の経済そのものに大きな成長のポテンシャルがあったので、少々の問題事は経済のパイが大きくなる中ですべて利益調整して解決されていったので、制度の欠陥は顕在化しなかったということがありました。しかしその結果、改革が遅れ、制度は複雑化し、局所最適と組織のサイロ化ということになり、現在のように何をするにせよ身動きが取れないという状況になってしまったことが言えるでしょう。


では、どのように改革を行っていけばよいのでしょうか。かつてアルバート・ハーシュマンが、変化をもたらす力として「声」と「出口」という2つの概念を用いて説明したのですが、ひとつは、変化を求めて「今の制度は間違っている」と「声」をあげていくこと。もうひとつが、それでも変化しないなら椅子を蹴って出ていって二度と戻ってこないということです。これでいくと日本の場合「出口」というオプションは今のところありません。それは終身雇用という若いころの低賃金が、年功によって大きくバックされるような仕組みにおいては「出口」へのインセンティブが働かないからです。


となると改革を進める為にはやはり「声」しかないのですが、組織依存的な習慣は「べき論」だけでは変わることがなかなか難しいのです。複数均衡における「損して得を取る」という合理的な選択に舵を取ることが出来ないジレンマからの逸脱に必要なのは、合理的な「べき論」ではなく、人々の感情の動因を分析する新しい科学であり、調整のコミュニケーションということになってくるのでしょう。


グローバル化は、あらゆる制度設計を困難にしました。それは計画を立てても状況は変わるからです。しかし、それに対応できるスピード感を持った企業や、中国のように何もかもゼロスタートで、補完性の問題や、正統性の問題、複数均衡の問題といった諸問題を免除され成長できる企業を相手に戦わなければならない状況であれば、それを上回るコミュニケーションによる迅速な意思決定が必要になってくるのです。如何に戦略的にコラボレーションしていくのかというのが今後も変わらずに課題となるはずです。その際、今いうようなソーシャルネットワークを上手く活用できる企業と、内々で通じる言葉で話しつづける企業においては、後々どのような差が生まれるかということは「自明」といえるのではないでしょうか?


by 前田 直彦
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