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窪寺博士のダイオウイカ研究記-その32
【本号の目次】
1. 実験の算段:氷温麻酔をかける
2. 実験の算段:バネ秤の目盛りを記録する
3. 実験の結果:曳力と噴水のサイクル
4. 実験の結果:吸水と噴水の時間
実験の算段:氷温麻酔をかける
翌朝6時30分起床。メンチカツサンドと牛乳、コーヒーで朝食を済ました後、紅葉の山々に囲まれた臼尻港を散策した。港を囲む山々は紅葉の盛りを少し過ぎた感じ。実験所に戻って、飼育水槽の設置してある研修棟床下小屋で実験のスタンバイを始めた。9時過ぎには、高原君が漁協の製氷所から海水氷をバケツに一杯持ってきた。二年前の9月、スルメイカの吸水量を測定した時と同じように氷温麻酔をかける支度である。私は、ビデオカメラ2台と三脚、200gと500gのバネ秤、渓流用の釣針と0.5号テグス数m、サルカンなどを用意した。
実験の算段はこうだ。水槽の水位を調節する排水パイプに∞型のサルカンを縛り付けて、その真上に天井からバネ秤を吊るした。ビデオカメラを三脚につけてバネバカリの目盛りが撮影できるように設置した。高原君と大島さんは、海水と海水氷を入れた37x45x6㎝のプラスチック・バットを十数枚用意してスルメイカの氷温麻酔を開始した。大島さんが、飼育水槽から状態のよいスルメイカをたも網で掬い、両手を海水氷で冷やした高原君がそっと掴み、海水と海水氷を入れたプラスチック・バットに入れる。スルメイカは漏斗から一吹き海水を吐き出すと、氷点下に近い海水を外套内に吸い込んでびっくりしたようにおとなしくなり、数回海水を吐き出したり吸い込んだりした後、ほとんど動かなくなる。
2年前にスルメイカの吸水量を測定した時の氷温麻酔の作業風景
実験の算段:バネ秤の目盛りを記録する
その状態のスルメイカをメジャーで外套背長、メトラーで体重を測定してから、外套膜の背側前端に渓流用の釣針をかけて2mほどの道糸を繋いだ。バットに入れたまま水槽の縁まで運び、道糸の端を輪にしてバネ秤の鉤にかけてから排水パイプに付けたサルカンに道糸を通してスルメイカをバットから静かに水槽に入れる。すこし経ってスルメイカは、気が付いたように大きく海水を吸い込こんでから後方に向かって泳ぎ始める。すると、外套膜背面前端にかけた釣針につないだ道糸が引っ張られて、バネ秤の目盛りが動くことになる。その目盛りの動きを三脚に付けたビデオカメラで撮影・記録した。同時に手持ちのビデオカメラで水槽に戻したスルメイカの動きを撮影・記録した。何度か道糸を引っぱり動きが緩慢になるまで撮影したのち、スルメイカの釣針をはずして「ごくろうさんでした」と声をかけて水槽に戻した。
実験に供したスルメイカは7個体で、外套長は222-268 mm、体重は259-495 gの範囲であった。その内2回はビデオカメラの操作をミスり、残りのうち2回はしっかり道糸を曳くことをせず記録が取れなかった。結局1日がかりの実験で、ほぼ満足のいく実験結果が得られたのは3回だけであった。が、予備実験もせずになんとか結果が得られたのは、高原君と大島さんの献身的な協力があったからこそであり、二人には深く感謝している。
実験の結果:曳力と噴水のサイクル
まずは実験の様子を撮影した1回目の手持ちビデオ映像を見ていただきたい。バネ秤にかけた道糸がサルカンを通りスルメイカに繋がり、スルメイカが水を吹きだすたびに道糸を曳く様子が撮影されている。もう一つの例として、実験4回目の映像も見てもらおう。比較的長く曳き続けた外套長250㎜、体重332gの個体で、1分半ほど道糸を曳く動きを記録できた。
ビデオカメラは1秒間に30フレームが撮影されるので、この映像から道糸を曳いた秒数と間隔を求めて横軸 (sec) に、バネ秤の目盛りを記録した画像とシンクロさせて引っ張ったときの曳力 (g) を縦軸にしてグラフを描いた。
実験1の曳力(縦軸)と時間(横軸)を示したグラフ
このスルメイカは外套長268㎜、体重495gで実験に供した7個体の中で最も大きい個体であった。最初の2回は50gほどの曳力で、その後3、4、5回と力を出し始め、5回目に365gの曳力を記録した。その後の3回も250-300gの曳力を記録して、水槽に戻してから11秒間に8回水を吹きだしたことになる。その後の24秒はあまり活発に曳くことはなく、1回だけ300gを超える力を出した。最初の10秒間で噴水は7回前後、1回の吸水・噴水のサイクルは約1.4秒かかることが示された。
実験の結果:吸水と噴水の時間
実験4の曳力(縦軸)と時間(横軸)を示したグラフ
この個体は最初から200gほどの曳力を示し、13.6秒後の6回目に350gと自身の体重よりも大きい曳力を記録した。少し休んだ後、20秒から85秒にかけて28回、弱く曳いたり強く曳いたりを繰り返し、高い値は200-250gの曳力をキープした。曳力0からマックスまでの噴水時間は0.30~0.43secで、最大を記録した6回目が0.43sec であった。二回の実験結果からスルメイカは遊泳にあたり、外套膜内に約1秒かけて海水を吸水し、0.3~0.4秒で海水を噴出して推進力(≒曳力)を得ることが分かった。推進力は最大で自分の体重とほぼ同じ力(曳力)をだせるが、通常は体重の60~75%の力を使うことが推定された。二年前の吸水量を推定した実験では、スルメイカは平均で体重の40%の海水を吸い込むことが計測されている。さて、新たに得られた推進力(曳力)の値をどのようにシミュレーションに活かしていくのか、そこが問題となった。なにせ数式は大の苦手である。
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窪寺博士のダイオウイカ研究記-その31
【本号の目次】
1. 抗力係数CDを求める
2. 運動方程式を解く
3. ネバー・ギブアップ
4. 臼尻水産実験場ふたたび
抗力係数を求める
ここでは,図2-1に示すスルメイカの数値模型の抗力係数を数値流体力学による手法により求める。ここで,模型の長さは21cm, 厚さ1.8cm, 幅2.1cm とする。
図2-1:スルメイカの数値模型 (a)は上から見た図,(b)は横から見た図
まず,数値流体力学の手法により数値的に求まった,物体の表面の応力(垂直応力および剪断応力)を面積分することにより抗力 を求める。この力を式(2-1)のように無次元化することにより 値が得られる。
(2-1)
ここで用いた各パラメーターは図2-2に示すとおり。Vは速度、Sは体表面積、Densityは海水密度
図2-2
図2-3にイカの泳ぐ速度に依存する抗力係数 を示す。
図2-3:抗力係数
運動方程式を解く
ここでは,第三十話「イカの泳ぐ速度をどのように予測するか」で求めたイカの運動方程式(1-5)の離散化を行う。得られた離散化方程式を数値的に解くことにより,イカの泳ぐ速度を予測することができる。また,離散化式に含まれる抗力係数は前節で求まった値(図2-3)を用いる。(1-5)
まず,式(1-5)を式(1-5)’の形に変形する。
(1-5)’
式(1-5)’を一次精度で離散化すると式(3-1)になる。
(3-1)
式(3-1)を予測速度 について纏めると式(3-2)のようになる。
(3-2)
これがイカの泳ぐ速度を予測するために解くべき式である。この式にいままでに推定できた値(表3-1)をこの式にあてはめてグラフ化すると図7がえられる。したがって、この体長21㎝の数値模型の最大速度は1.4m/s となる事がわかる。赤で示した噴水時間と漏斗の直径は仮の値である。
図7:速度履歴
―――――――――――――――――――――と、ここまでが徳山さんのレポートである。面積分てなんだ?無次元化てなんだ??離散化方程式てなんだ???。高校二年時で数学を放棄した私には、まったく理解の及ばないところではあるが、体長21㎝程のスルメイカが直径5㎜の漏斗から0.1秒で外套内の海水を一吹きすると、スピードは1.4 m/秒(時速約5㎞)に達するという推定には納得できた。ただし、噴水時間と漏斗の直径の値は、ダミーである。それにイカは一吹きした後、すぐさま外套膜に水を吸い込んで漏斗から水を吹きだすことを繰り返して加速していく。徳山さんに無理を言ってスルメイカの遊泳速度を推定してもらったが、このようなシミュレーションをダイオウイカの遊泳に拡張するのはかなり無理があるし、論文としても纏まらないだろうと徳山さんから指摘された。ネバー・ギブアップ
しかし、せっかくここまで追求してきた目標を「そうですか、それではこれで止めにしましょう」とあきらめるには、未練が残った。昨年、臼尻水産実験所でおこなったスルメイカの実験を思い返しながら、なにか他にやれることはないかと頭を絞った。一つアイデアが閃いた。氷温麻酔をつかえば、スルメイカの泳ぐ力を計測することが出来るかもしれない。スピードではなく、パワーを測定するのだ。仕掛けは簡単である。氷温麻酔をかけてスルメイカを動かなくして、その外套膜の背側前縁に細いテグスで釣り針を掛け常温の海水にもどし、麻酔がさめて泳ぎだした際にテグスを引っ張る力(張力)を測定すれば、泳ぐ力が分かるはずである。早速、北海道大学水産学部の桜井教授、臼尻水産実験所の宗原准教授と連絡をとり、臼尻で飼育しているスルメイカを使って遊泳力を測定する実験計画について相談にのってもらった。今年はスルメイカが豊漁で、実験所の飼育水槽には十分な量のスルメイカが畜養されているとのことで、快く実験の許可を頂いた。昨年スルメイカの吸水量測定の際、力を貸してくれた大学院生の高原君と大島さんが今回も実験を手伝ってくれることになった。漁業測器講座から張力計一式を借り出す算段もついた。2009年10月19日、早朝のフライトで羽田を立ち9時10分函館空港着。レンタカーを借りて北大水産学部のある七重浜に向かった。桜井教授と高原君、大島さんに今回の実験の目的と測定方法を説明し、明日の臼尻水産実験所でのお手伝いをお願いした。さらに漁業測器教室から張力計を借り出して、釣り糸を連結して張力を測定するシミュレーションをしてみた。借用した張力計は非常に繊細で、測定レンジにより0.1g以下の張力も連続的に計測できるとのことであったが、センサーの形状が釣り糸を結ぶのに適しておらず、また海水のかかる恐れのある水槽の近くに設置することが困難なことがわかり、使用することを断念した。張力計が使えない事態を想定して、東京を出る前に、かなりアナログ的ではあるが、200gと500g測定用のバネバカリを用意しておいた。バネバカリの目盛りをビデオカメラで録画してスルメイカが曳く動きとシンクロさせればなんとかなるだろう。前回と同じように水産学部の近くにあるスーパーで食料品や缶ビール等を購入して、湯川から川汲峠を越えて臼尻へ向かった。実験所に着くやいなや水槽内のスルメイカとご対面。今年のスルメイカは、極めて状態が良いようだ。
漁業測器教室から借用した張力計一式。左円筒:センサー、中央2台:アンプ、右:モニター
臼尻水産実験所ふたたび
臼尻水産実験所の実験水槽に収納されたスルメイカ -
窪寺博士のダイオウイカ研究記-その30
【本号の目次】1. 強力な助っ人2. 徳山さんのレポート3. 推進力4. 抗力
強力な助っ人海洋生物学一辺倒で過ごしてきた私の周りには、そのような遊泳力のシミュレーションを考えてくれそうな研究者は見当たらなかった。そこで、姉貴の長男で東京大学大学院の複雑理工学専攻博士課程を修了した甥の小林徹也(現:東京大学生産技術研究所准教授)に相談をもちかけた。彼は東大で日本学術振興会特別研究員として「数理・情報で解き明かす生命現象」を研究テーマに、私には理解を超えた融合科学の最先端の研究をしていた。自分は忙しいので手伝いは出来ないが、興味をもってくれそうな研究者を知っているので話をしてみてはと、徳山佳央さん(M&T株式会社)を紹介してくれた。当時、徳山さんはシミュレーションを通じたコンピュータソフトウエアの企画・開発を目指す新しい会社を立ち上げたばかりで忙しい中、私の話を聞いてくれた。ダイオウイカの遊泳速度をシミュレーションするなんて、とても面白そうな企画ですねと頷いて、仕事の合間でよければちょっと考えてみますと請け負ってくれた。博物館からは、正式な業務として「ダイオウイカ数値模型作成受託業務」の発注依頼書を出してもらった。徳山さんのレポート一か月ほど経ってから、徳山さんからレポートが届いた。思っていたより大変なことになってきた。以下に紹介するが、理解するには何度も読み返す必要があった。1. イカの泳ぐ速度をどのように予測するのか?一般に運動する物体の速度は、運動方程式を解くことにより求めることが可能である。運動方程式をたてるとは、力のつり合い式を求めることである。イカが泳いでいる時は推進力と抗力の力のバランスが成り立っている。
「F (受ける力)= (推進力)- (抗力)」図1-1:泳ぐイカの力の釣り合い
一般に運動方程式は次式のように書くことができる。(1-1)この式をイカに当てはめて考えると, がイカに働く推進力 と抗力 の合力で, はイカの質量, はイカの泳ぐ速度になる。イカの泳ぐ速度は,この合力 Fを求め,運動方程式(1-1)を解くことにより求まる。推進力
まずは、推進力 について考える。推進力は漏斗から噴出した水から受ける力であり,作用反作用の法則により水がイカから受ける力に等しくなる。
図1-2:推進力
この力は水の単位時間あたりの運動量の変化に等しく次式のように求まる。(1-2)ここで はイカの漏斗から噴出する水の流量 。また,は水の密度、 は漏斗の断面積で、 u は漏斗から噴出する水の速度だ。よって推進力 は式(1-3)のように求まる。(1-3)水の密度 および,漏斗の断面積 は既知の量であるので,単位時間あたりに噴出する水量 Qを与えることにより,漏斗から噴出する流速u が求まり,推進力 が定まる.
※ Q を求める為には,イカが何秒で水を全て噴出しているかが重要になる。抗力次に,抗力 について考えてみる。一般的に流体中にある物体に働く力 は式(1-4)のようにモデル化される。(1-4)
ここで は抗力係数, は流体の密度, V は物体と流体の相対速度 S は物体の代表面積。残念ながら,この抗力係数 は物体の形状・流体の粘性・流れの速さなどにより変化し理論的に求めることは困難で,実験または数値流体解析により求めるのが一般的である。近年では、コンピューターや数値流体力学の発展により、抗力係数 などを数値解析により求める手法が可能となってきた。以上をまとめると,F = - よりイカの運動方程式は式(1-5)のように書くことができる。(1-5)ただし, は速度 V の関数値(実験値)である。この運動方程式(1-5)を解くことにより,イカの泳ぐ速度 を予測することができることになる。と、ここまではなんとか付いて行けたが、問題は次のステップである。
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