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【本号の目次】
1. 早朝の臼尻漁港
2. 氷温麻酔
3. 高原君の我慢
4. スルメイカの吸水量

早朝の臼尻漁港

 翌朝早く起床して実験所をぬけだし、臼尻漁港に定置網の水揚げを見に行ってみた。9月ともなると空気は冷たく、周囲の低山は紅葉の盛りであった。定置網を揚げた漁船がちょうど港に戻ってきた。ゴメ(おおせぐろかもめ)がたむろする岸壁に船をつけると、大きな掬い網で漁獲物を水揚げする。漁獲物のメインはサケである。水揚げすると直ちにシロやギン、カラフトマスに選別して、シロザケはさらにオスとメスに分けて大きなコンテナに入れる。残りのザッパは木製の幅広の樋を通しながら、両側に立った漁師たちが手際よく選別する。やはりシーズンである。スルメイカが面白いように投げられて、魚籠に溜まる。臼尻にこんなに大勢の若手漁師がいるのかと驚くほど、活気のある朝の風景であった。
 話を聞くと、最近は海水の温暖化でスルメイカの回遊経路が変わってきて、噴火湾沿岸の定置網で漁獲が多くなってきたとのことである。桜井先生を頼って、スルメイカの泳ぐ力を調べに東京から来たと話すと、あきれたような顔をされた。

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早朝の臼尻漁港。定置網を引揚げて帰港した漁船から漁獲物が陸揚げされて、選別作業の真っ最中

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定置網にかかったスルメイカを選別して漁籠にいれる


氷温麻酔

 桜井先生は、状態の良いスルメイカを手に入れるために、氷温麻酔という方法を考案した。聞いたところ、それほど難しい話ではなく、まずは定置網の元船に乗せてもらう。定置網の箱網が絞られて、スルメイカが表面近くまで浮いてきたところを、体を傷つけないように底布を張ったタモ網で掬い上げ、直ちに海水氷を入れた冷たい海水に漬けるのである。秋とは言え海水温は10°Cを超えるところにいたスルメイカを0°Cに近い冷たい海水に放り込むのである。人間ならば心臓マヒで「彼の世行き」であるが、スルメイカは冷たい海水を外套膜の中に吸い込むと、一瞬でポンピングを止めて仮死状態になるという。その状態で実験水槽まで運び、もとの水温の海水に入れるとほんの数分で息を吹き返し、深刻な後遺症などは全く見られないとのことである。

 このような麻酔方法があるのを聞いて、スルメイカの吸水量を測る実験を思いついたのだ。


高原君の我慢

 朝食の後、実験所の一階にある大型水槽の設置場所を下見してみた。板囲いされた狭い空間に、深さ約1m、横6m、幅約2.5mほどの楕円形のグラスファイバー製の水槽とその後ろに大型の水温調整装置が鎮座して、水槽内の海水を一定温度に保っている。水槽の周囲は狭い通路で周囲の板壁は暗幕が吊るされている。調光できるライト・システムで光の周期をコントロールすることもできる。水槽の中には、体長25~30㎝程のスルメイカが十数個体優雅に泳いでいた。

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スルメイカを飼育している実験水槽とお手伝いをしてくれた高原君

 昼過ぎに、高原君が漁協の冷蔵施設から手に入れた海水氷をバケツに満杯にして、顔を出した。早速、今日の段取りを打合せする。まず実験水槽から健全なスルメイカを手網で水面まで引き上げ、注意深く両手で抱え空中にだし外套内の海水を吐き出させる。それを確認してから海水氷を浮かべたバットに移す。すると、スルメイカは冷たい海水を吸い込んで、仮死状態になる。なったところで外套長を測定する。バットから取り出し、漏斗口からストローを押し込んで外套内の海水を容器に押し出す。そしてメトラーで体重を量り、水槽にもどす。容器に溜まった海水をメスシリンダーで測れば、吸水量が分かるという実験計画である。
 ただし、スルメイカを取り扱う際には両手を海水氷に漬けて、冷たく保つ必要がある。人間の体温ではスルメイカを火傷させてしまう恐れがあるのだ。そのため、高原君は海水氷バケツに手を漬けて冷たく保ち、我慢・我慢の辛い仕事になった。申し訳なかったが、私はその実験の様子をビデオで記録することに集中していた。

 その夕方、近くの大船下温泉に高原君を連れだして慰労したことは言うまでもない。

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氷温麻酔をしている高原君とスルメイカ。入れるとすぐに墨をはくので、直ちに新しいバットに移し替える。さらに墨をはくようであれば、次々に新しいバットに移し替える。2回か3回で動かなくなる

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氷温麻酔にかかったスルメイカ。体色を濃くして仮死状態になる

スルメイカの吸水量

 桜井先生との約束で実験に供したスルメイカは二個体。No. 1は、外套長:224㎜,体重:310.8g、No. 2は外套長:222㎜、体重:279.0gで、各々3回の吸水を測定した。No 1. は、1回目117ml、2回目123ml、3回目119ml。No 2. は各々138ml、120ml、85mlであった。体重当たりの吸水量は、No. 2 の3回目を除くと、37.6~49.5%で、平均で体重の約40%になることが分かった。あの時のダイオウイカの体重は約50㎏であったことから、体重の40%近く、約20Lの海水を外套内に吸い込むことが出来るものと判断された。
 これで吸水量 (20 L)、吸水時間 (1.96 sec)、噴出量=吸水量 (20 L)、噴出時間(2.02 sec)、漏斗口の直径 (160-180 mm)と、ダイオウイカの遊泳力を推定するためのパラメーターの用意ができた。あとは、数式をたててシミュレーションして解を求めれば、泳ぐ速度が予測されるはずである。
 しかし、実際に数式を考えシミュレーション解くには、私には物理学的、理工学的、運動力学的な素養がまったく不足していて、どのように進めればよいのか皆目見当がつかなかった。