この人たちは〝誰〟なのか?

  ――近代の支配層を形成した民族コネクション



▼日本の支配層に似た風貌の人々

 帝国軍人の〝風貌〟が子供心に印象に刻まれた記憶をさかのぼると、やはり1942年(昭和17年)、シンガポール陥落時における山下奉文将軍と敵将パーシバルの会見映像に行き着く。例の「イエスかノーか」というシーンだが、実際にはそんなセリフは言っていないという話はともかく、幼心に日本の軍人のイメージを植えつけられた映像だった。
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 その頃から思っていたことだが、戦前の軍人や総理大臣の顔を見ると、どの人も立派な風貌なのだが、何か日本人離れしているような人もいて、全体的に似たような特徴があるようにも感じる。子供の目から見て、単におっかないおっさんが多いなというだけではなく、支配層の風貌に共通する〝何か〟が滲み出ているような印象があった。

 中学生の頃に、人類学者・椿宏治(1907‐1995)の『日本人の顔』という本を読んだ。顔の特徴から日本人のルーツを探ったものだが、その後、高校時代に先輩からある雑誌の記事を見せてもらい、椿宏治の研究をさらに知った。国学徒としてはあまり愉快な内容ではなかったが、もしかすると、大方そんなことかもしれないな……とも思ったものである。

 椿宏治は、戦前は東京帝国大学の解剖学者だった。戦後に長崎医科大学を経て、順天堂大学教授になった。人の顔や頭の形質から民族的特徴を割り出す形質人類学の手法で独自の業績を残した人である。〝日本人の人類学的研究〟を生涯のテーマとしたが、その研究で興味深いのは、天皇や公家も調査の対象にしたことだった。

 高貴な御方の御尊顔の特徴から、その民族的ルーツを特定する。そういう研究をしていたせいか、椿の業績は一般にメジャーではない。マスメディアとは縁がなかったと思うし、日本の貴族の民族的出自が判明したという研究成果がニュースになった記憶もない。

 天皇・公家の人類学的研究の話は後述するとして、近代日本の政治家・軍人で個性的な風貌の人を思い浮かべてみると、長州の無骨なイメージを代表するのは、山縣有朋(写真下左)の風貌だろうか。明治軍人を代表する西郷隆盛の真正の写真がないのは残念だが、濃い顔ということでは、日露戦争における騎兵戦術の名将・秋山好古が挙げられる。日本人離れした風貌で知られるが、下中の写真は30歳ぐらいのときで、下右は晩年の写真である。
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 ところで、椿宏治の研究を見ていると、下のような写真が出てくる。
 左は一見して山縣有朋タイプの老人。右は若き日の秋山好古のような人である。
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 この写真は、戦前に椿宏治が、ある調査において撮影したものである。日本の支配層に似た人たちを、ある地方で発見したというのだ。

 この人たちは、いったい誰なのか?

 なぜ、日本の支配層に似ているのか……