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皇族による帝位継承の〝秘儀〟
――皇室典範の陰画としての帝室大典②
――皇室典範の陰画としての帝室大典②
▼消える供養塔
伊豆の旧天城トンネルに近い山中で、名高い心中事件があったのは、1957年(昭和32年)12月のことである。世に天城山心中と呼ばれ、亡くなった男女の幽霊話もささやかれた。この年の夏は怪談映画が大当たりで、新聞には〝お化けブーム〟の見出しが躍った。笹川さんのところのボートレースで事故死した選手の幽霊話がなぜか蒸し返されたりもしていた。
この年に成立した岸信介内閣は、翌年の選挙で自民党を勝利に導く。この人ならまた戦争で儲けさせてくれると思った国民が多かったという話もあるが、それと歩調を合わせるようにメディアが怪談ブームを作るというのは、もちろん偶然ではない。背景にいる〝団体〟が同じなのである。戦前もまったく同様だったという話はあとでする。とにかくこういう詐術が延々とおこなわれてきたのだが、天城山心中については、私が学生の頃にこんなことがあった。
ある日、伊豆にドライブに行ったときのことである。旧天城トンネルに着いて一服するうちに、心中現場に立てられた供養塔を見にいこうという話になった。裏手の山のなかと聞いたが、その場所がなかなかわからず、山中で道に迷ったあげくに、1人の友人の姿が見えなくなった。とりあえず車に戻ると、はぐれた友人があとからやってきて、ずっと女を背負っていたので肩が痛いという。首筋に真っ黒なアザがあったが、本人は気づいていなかった。
その後に何を聞いても、彼は山中で迷ったときのことを一切語らなかった。東京に帰ってから1ヶ月ぐらいたったときには、ドライブに行ったことすら覚えていなかった。ちょっとした思い出だが、実は心中現場の供養塔というのは、当時はもうとっくになくなっていたのである。あとから知ったのだが、事件後に地元の人が現場に供養塔を立てたのは事実である。だが、いつのまにか消えたという。その後にまた立てても、後に訪ねると、また消えている。
その後に何を聞いても、彼は山中で迷ったときのことを一切語らなかった。東京に帰ってから1ヶ月ぐらいたったときには、ドライブに行ったことすら覚えていなかった。ちょっとした思い出だが、実は心中現場の供養塔というのは、当時はもうとっくになくなっていたのである。あとから知ったのだが、事件後に地元の人が現場に供養塔を立てたのは事実である。だが、いつのまにか消えたという。その後にまた立てても、後に訪ねると、また消えている。
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SOHIKO BLOMAGA
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最終更新日:2024-11-05 08:07
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