小説『神神化身』第四十一話

EverydayClothes in ROUISO


「えっ! 浪磯(ろういそ)まで取材が来るのか!?」
 三言(みこと)が言うと、遠流(とおる)はどこか複雑そうな顔で頷いた。
「うん。日常の姿を撮るっていうのがコンセプトの企画だから、地元で撮ろうってことになってるんだけど……」
「凄くいいじゃないか! 浪磯は海も綺麗だし、撮影するにはいいところが沢山あるだろ? あ、舞奏社はどうだろう? 舞奏社(まいかなずのやしろ)にいる時の遠流は凜としていて格好良いもんな!」
 稽古場を見回しながら、三言は嬉しそうに笑う。浪磯での日常だから、舞奏(まいかなず)をしているところなんかが撮影されるのだろうか。
 稽古に疲れた後の遠流は、昔のようにうとうとと眠ってしまうこともあるので、そこを映すのもいいかもしれない。雑誌や写真集での遠流は眠っているところが全然映っていない。あの、満ち足りた猫のような表情をみんなに見てもらえるチャンスだ。そんなことをあれこれ言うと、遠流は更に難しい顔になって言った。
「日常の写真を撮るっていう企画だけど──別に、普段の僕を撮るわけじゃないんだ。あくまで日常を送っている体の僕を撮るってだけで」
「……? でもそれは仕事用の写真で……仕事用の写真ということは、日常の写真じゃないんじゃないか」
「三言の疑問は尤もなんだけど、世の中にはそういうことがあるんだよ。オフショットは本当のオフショットじゃないし、SSR二倍のガチャでもSSRは当たらないし、化身が無くても実力さえあれば覡になれます! っていうのは結局建前みたいなもんだし、言葉通りのことなんてないの」
 ぬっと背後からやってきた比鷺(ひさぎ)が、三言に凭れながらにたーっとした笑いを見せる。
「みんなの大好きなやとさまっぽい写真を撮るだけなんだから、本物のオフショじゃないの。浪磯で撮るだけ。はー、偶像偶像~」
 そういうものなのか、と三言は深く頷く。全然知らない世界のことだからか、比鷺の言葉には学ぶところが多い。物事は言葉通りの意味ではないのだ。
 じゃあどうして比鷺は毎回SSR二倍のガチャになると爆発して死んでいるのだろう、とは疑問に思うのだが、その辺りも複雑な事情があるのかもしれない。
「まー、せいぜい頑張れば? いつもみたいな王子様スマイルで歓心ざくざく集めてきなよ。気が向いたらくじょたんも撮影現場に遊びに行ってあげなくもなくないかもよ」
「いいや、絶対に来てもらう」
 日々炎上とレスバを繰り返していた比鷺に、ネット断ちを宣告する時の冷たくて恐ろしい声で、遠流が言う。
「へ? な、何? なんでそんな今回は強めで来るの? 詰めたい気分? 甘えた期?」
「違う。……三言にも協力してもらわないとね。今回は、そういう企画だから」

 駅前に集合している撮影班の数を見ながら、比鷺は「やっぱり遠流ってアイドルなんだなあ」という素朴な感想を抱いていた。集まった人数は、そのまま八谷戸(やつやど)遠流への歓心の度合いを表しているのだ。そう考えると、なんだか途方もない。
 マネージャーの城山と話している遠流は、ばっちりと決めたアイドルコーディネートをしていた。赤いニットと丈の長いコートは、遠流によく似合っている。俺の知らない『八谷戸遠流』に求められている格好なんだろうな、と本当にどうでもいいことを思う。
 昔の遠流はもっとふわふわとした格好をしていた。ニットはよく着ていたけれど、多分それは遠流が外で寝るからだ。どこで眠っても凍えないようにする為の措置だったのだろう。ころんと横になると、本当に猫みたいに見えた時代の遠流を思い出す。
 比鷺にとって、遠流の私服とは今みたいな完璧で格好良いものではなく、あのどことなく隙のある服だった。ニットやダウンジャケットを着込み、公園のベンチで丸まっていた時の。
「まあ、こっちはこっちでアイドル様っぽいけどさあ……」
 比鷺が独り言ちていると、背後から「おーい比鷺!」と声がした。
「時間ギリギリになっちゃったな! 今回の写真のことを言ったら、小平(こだいら)さんが張り切っちゃって……」
「うわーっ、眩しい! なんか眩しい!」
 駅前に現れた三言を見ながら、比鷺は指で目を覆う。
 三言の私服を見る機会はそう多くない。いつも動きやすそうなトレーニングウェアか、もしくは全力食堂のエプロン姿だからだ。黒いパーカーに赤いスタジアムジャンパーを羽織った姿は、そのまま何かの表紙に載りそうだった。スキニージーンズもよく似合っている。比鷺はゲームのキャラクターにしか着せたことがないので、現実でお洒落に履きこなしている三言がとても遠く感じた。
「……あの、三言の胸のそれ波と菊ってあれだよね、化身の……」
「ああ、小平さんが特注したんだ! 凄いよな!」
「うう、小平さんの六原(むつはら)三言ガチ勢ぶりが伝わってくる」
 この時点で、比鷺は帰りたくて仕方がなくなった。どうして八谷戸遠流のオフショットを撮る、という名目で自分達まで写真を撮ることになってしまうのか。勿論舞奏競(まいかなずくらべ)で勝利した櫛魂衆(くししゅう)が世間の注目を浴びていることは分かる。浪磯外にも名前が知られているのは喜ばしい。だが、それと私服での撮影に何の関係があるのか。
「帰りたいよー……高校の始業式以来のかつてない帰りたみ」
「いいじゃないか! 比鷺だって格好良いしお洒落だぞ!」
「だってさあ、俺こういうのやなんだって! 確かに俺は自他共に認める美形ですが、それはそれとしてやなんだよ。遠流と三言はなんか赤繋がりでニコイチみも強いし」
「懲りずにまたごねてるのか。僕だってこんな企画受けたくなかった」
 いつの間にか、遠流が近くまで寄ってきていた。仕事モードだから、いつもより輝きが強い。
「俺は遠流の為に来てやったんだから感謝してよ……しろよなー!」
「……へえ、まあまあマシな格好してるな。まあ、お前は格好だけはいつも真人間だもんな」
 比鷺の私服を見ながら、遠流が品評するように言う。その視線が居たたまれなくて、自分を抱くようにしながら叫ぶ。
「お、俺はいつでも真人間ですけど! もー、なんで私服とか言うの、俺、ファッションのこととか全然わかんないもん。興味無いし……俺くらい元の顔がいいと、何着ても雑にかわいいしかっこいいから、あんま興味持てないんだって、それで自我ゼロファッションに」
 私服で集合と言われたので、親が買ってきてクローゼットに詰め込んでいるものを適当に選んで着てきたのだが、さっきからスタッフたちの視線が痛くて仕方がない。もしかしたら俺には似合っていないのだろうか。
 さっきは「それ、あそこのですよね」とブランド名を言われてしどろもどろになり、大恥を掻いてしまった。あれは一種の試し行動だったのかもしれない。お前がブランド物を着てるんじゃねえよと喧嘩を売られていたのかも。うう、ゆるせない。人間は愚か。
 その時、遠流がまじまじと比鷺を見ながら言った。
「お前、喋んないでしゃんとしてたらマシに見えるぞ」
「ううぅえ!?」
「ほら、さっさと撮るぞ」
「えっ、マジ? えっ!?」
 戸惑っている比鷺を余所に、三言を連れた遠流が撮影場所であるベンチに向かう。そして三言を真ん中に座らせると、優雅にこちらを手招いてみせた。いかにも慣れていると言わんばかりの態度が悔しい。比鷺が一番左端に座ると、遠流は三言の隣を一つ空けて、右端に座った。
「あれ、遠流。なんで一つ空けるんだ?」
「え? ああ、そうだね。三言の言う通り」
 思い出したように言いながら、遠流が三言の方へと詰める。なんだかんだで遠流も緊張しているのかもしれない。
「三言は自然体でいいからね。お前は足を引っ張るなよ、比鷺」
「はん、誰に言ってんの? 俺はあのアホみたいな家で散々お飾りにされてきたんだから。むしろ慣れっこだかんね」
 言いながら、比鷺は向けられたカメラを見つめる。
 こんな形ではあるが、三人で記念になるものが撮れたのは嬉しかった。これもいつか、幼馴染のいい思い出になるだろう。

 

 大きなことを言ったはいいが、撮影が終わる頃には比鷺も疲れ切っていた。あの三言ですら、なんだか疲れが見える。オーケーです、の声が出た時は三言と溜息を吐いてしまった。
 一つ撮影を終えただけでもこんなに消耗したというのに、遠流はまだ個別で撮影があるらしかった。
「ねえ、遠流ってこれ以上やんの? 本当に大丈夫?」
 比鷺が珍しく本気で心配しつつ言う。すると、遠流は不敵に笑った。
「何言ってんの? あんまり舐めるなよ。僕だってそれなりに場数を踏んでるんだ。八谷戸遠流はこんなもんじゃないよ」
 そう言って颯爽と歩いて行く遠流は、正直なところ格好良かった。舞奏をやっている時と同じような格好良さがあった。

 

 撮影が終わった頃には、頭上に星が瞬いていた。身体に得も言われぬ疲労があったが、それにもまして達成感があった。それはきっと、幼馴染と一緒の仕事だったからだろう、と遠流は思う。
「お疲れ様! 遠流!」
「三言……! 待っててくれたの? 帰ってもよかったのに」
「ちょっと~? 俺もいるんですけど~?」
 あれから大分時間が経ったのに、二人は遠流を待っていてくれた。そのことも、遠流の心を解してくれる。「大丈夫か? 疲れてないか?」という三言の言葉に、微笑みながら返す。
「大丈夫だよ。いつものことだから」
「遠流は凄いな! いつもこんなことをしてるのか!」
「正直、みんなにちやほやしてもらえていい仕事だと思ってたけど……俺にはマジで無理。キツすぎない? これ」
「お前が燃え続けるのに比べたら大変じゃないと思うけど」
「なんでここでそういうこと言うかなー!? 俺今労ったじゃん!」
「でも天職だと思うぞ! 遠流はアイドルの仕事をしてる時、とても楽しそうだもんな!」
 三言がそう言った瞬間、さっきまで温かかった心の内に、氷片が差し込まれたような気分になった。
「……楽しそう? 僕が?」
「ああ! 遠流はアイドルが大好きなんだな! 舞奏をしている時もそうだけど、好きなことを頑張っている時の遠流はキラキラしているぞ! ああでも、眠ってる時の遠流が一番幸せそうっていうのはあるが……」
「……三言の目には、僕が楽しんでいるように見えたんだね?」
 振り絞るような声で遠流が言う。自分の声が冷え切っていることが、嫌というほど分かってしまった。
「……遠流? どうかしたか? 俺、何か変なことを言ったのか?」
「ううん。三言は何も……僕、衣装着替えなきゃいけないから……行ってくる」
 なんとか笑顔を作って、足早に去る。近くにいた比鷺は自分の態度のおかしさに気づいていたが、構わなかった。三言の前で醜態を晒してしまうよりはよかった。
 控え室代わりに用意されていたバスに乗り込む。幸いなことに、中には誰もいなかった。痛む胸を押さえながら、吐き出すように口にする。
「楽しいわけないだろ。サボる暇も、うたたねする暇も無いんだから。国民の王子様なんて大層な肩書を背負って笑って、興味の持てないバラエティにも文句を言わずに出て、……舞奏でもないのに、人前で歌ったりなんかして、僕が……楽しいわけ、」
 初めてカメラに映った時のことも、ライブをした時のことも昨日のことのように思い出せる。予めファンを付けておいて、舞奏競で有利に立ち回る。アイドル活動にそれ以上の意味は無いはずだ。
「……僕だけは、この状況を楽しいなんて言っちゃいけないんだよ」
 罪悪感で潰れそうになりながら、遠流は小さく呟く。助けてほしい、と漠然と思うが、宛先の無い祈りがカミに向かってしまいそうで悔しかった。そもそも、どうなったら自分が救われるかも分からない。
 それでも、自分は今日撮った写真を宝物にしてしまうだろう。


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(テキストと同様の内容を画像化したものです)



著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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