「おとぎの国、江戸」
柳沢 今日は『かみぷろ』の鼎談なんで、プロレス・格闘技の話はいっさいなしでお願いします(笑)。本題は、江戸時代以前の日本について。
山口 えーどえーど!
平 そうきますか。
柳沢 『かみぷろ』でIT系の若い人たちにインタビューしてみたら、我々が想像するすごく昔の価値観の揺り戻しのようなものが来ていて、シェアハウスだ、ノマドだ、というものをリアルな感覚として持って生きている。
そういうことを知った時に、江戸時代と現代のIT系の若者というテーマで話をできる人が誰かいないかなと思ってたら、平さんが『Tany's Labo』で江戸時代の話をしていて、とても面白かった。
印象的だったのは、例えばグレイシー柔術なんかは明治以降の格闘技の考え方だと。
平 明治維新というのは、言葉の通りまったく新しい事に転換したわけです。それは政治や産業だけじゃなく、日常生活全般にも及んだ。
だからちょん髷を廃したり刀を持つことを禁じたり、洋食が普及したりもしたんですね。それまでの古いもの、日本的なものは、維新の政策の中で抑圧されたり禁じられたりしたんです。
「柔術」も、その打開策として名前を変えて存続したのが「柔道」で、日本的な武術の身体操作、「術」の部分は削除されたんです。
だから、僕に言わせれば「グレイシー柔道」なんです。本当はグレイシー柔道が正しいし、ブラジリアン柔道なんですよ。
それで、僕はなぜか江戸時代以前の「武術」をやってるんです。
山口 そもそも平さんが江戸時代以前に興味を持ったのは、なぜ?
平 プロを引退してからいろんなご縁がいっぱい来るんですよ。
本屋で目についたのを買って読んでたらその時代の話が書いてあったり。
それで段々興味が出てその手の本をいろいろ読んでたら、江戸時代と縄文時代というのが面白いなとわかって。
縄文時代というのは1万年以上、江戸時代というのは270年ぐらい戦争がないんです。
この日本の平和な時代は、世界史の中でものすごく稀な時代なんです。
山口 逆に、なんかの鍵が潜んでるんじゃないかと思える時代ですね。
平 それでこの時代に関する本を探していったら、面白い本がたくさんあった。
例えば、江戸末期から明治の始めに日本に来た外国人が「日本は天国だ」「おとぎの国だ」とか書いてるわけですよ。
批判してる文献はほとんど無い。誰もが日本を大絶賛してるんですよ。世界中の憧れの国。
そんなのを読んでると、その世界観に興味が出て引き込まれるわけです。一体何なんだろうあの時代はって。
とにかく、みんな質素だけど、物を大切にして、町並みは小奇麗。みんな笑顔だし。
田舎に行くと山があって、その麓に村があって、川の水をうまく利用して、整理整頓された田んぼの風景があって、傍にはやっぱりきれいに並んだ畑があって。
畑の周りにはきれいな花が植えてあったり、空いた土地には上手く樹木が植えてあって、そこには果物がたくさんなっていたりして。
生活の空間に食を満たすものが全部あった。しかもそれはすべて大自然の贈り物。
それをただ丁寧にきれいに並べた風景こそが日本の田舎の原風景なんです。
言われてみれば確かに天国ですよね。その時代の人にとって、森はコンビニなんですよね。
柳沢 森がコンビニ!
平 森に行けば常に何かある。ただ、そのコンビニも一気に獲り尽くすとなくなっちゃうから、誰も欲張らない。
縄文時代まで遡ると、そもそも貨幣というものがないから貯金に相当する概念はないんですよ当時は。
財テクとかやらない。冷蔵庫がないから、魚とか野菜とか貯めても腐っちゃうし(笑)、米とかも何年分も貯めても腐っちゃう。
一生使えないくらいに財テクする人はいない。そういった暮らしの中でできたのが日本人の根幹なんです。
獲り過ぎたら終わるよ、どうせ腐っちゃうんだし。
でも大事にしたらタダのコンビニがずっとあるよと。
その発想が一万何千年もあったわけだから、それは僕ら日本人のDNAの中に絶対に入っているはずなんです。
柳沢 なるほど。
平 これは武術の身体操作も一緒なんだと僕は思うんです。
身体をいかに活かすか、使い尽くさないで活かすか、身体をいかに深く使うか。
これが武術の一つのキーワード。人間って無数に関節があるんですよ。必要があるから、関節があるとしか思えない。
それが全部動くと正しい動き、多分、サルのように動けるんですね。サルの動きが出来れば達人でしょう。
全動物の中で正しい動きができないのはおそらく人間だけなんです。
柳沢 脳細胞なんかもそうだろうけど、人間の身体に備わってる機能を全部使い切ってないわけでしょ。
平 普段、使ってない機能をいかに掘り下げていくかというのが武術。
例えば、人間は本当は、踵をついたら裸足で上手く歩けない。
土の上で裸足でジャンプしてみたらわかりますけど、踵をついたら痛くてきちんとジャンプ出来ないし早く走れない。
だけど、靴を履くおかげで踵をついて歩いた方がいいとなってる。すべてがそうだと思いますよ。
山口 便利な道具を発明できたから、不便な機能も活用できるようになった。
ただ、便利になったおかげで使えなくなった機能もあると。
平 便利と不便ってそういうことだと思うんですよ。昔は不便だからといって、ずっと家に籠もってたわけじゃないと思うんですよ。僕の妄想ですけど。
すごく寒い時に外にいるサルを見ると寒そうだなと思う。でも本当は違うのかもしれないですよ。
すごく寒くなって雪が降ってきたら、体内で体温をエアコンみたいに調整するかもしれない。サルになってみれば。
柳沢 サルになってみればね(笑)。
平 人間だってそういうことがあり得ると思うんですよ。変温動物ですから。
外が寒くなったら体温をぱっと調整してたかもしれない。でも、衣服を着るようになり、火を起こし家で暖を取るようになり、いまはエアコンがある。
そういうもののおかげで段々と体温調整機能を失っていったんじゃないか。
多分、現代人が縄文時代に行ったらすぐ死んじゃいますよね。
縄文時代の人が死なないのは、人間の身体が持ってるいろんな機能も現代人よりもっと使えてたからだと思うんですよ。
柳沢 なるほどね。そういうことを武術に当てはめて考えてるわけだ。
平 そうです。
山口 非常に興味深い話だけど、これは江戸じゃなくて縄文の話だね(笑)。
平 実は僕は縄文マニアなんです。
山口 格闘技界初の縄文マニア!
平 江戸時代と同じぐらい縄文時代に興味があるんです。
縄文時代って凄いんですよ。お酒もあったし、醤油の原点みたいものもあったし、肉を獲って食べてるし。
で、何人かの集団で住んでますよね。誰かが肉を獲ってきたら、その日のみんなの狩りはそれで終わりなんです。
あとは明日、獲ればいいやという世界。
例えば、午後の2時に獲物が獲れたら、その日の男たちの仕事はそれで終わり。あとは今日の獲物で宴会が始まるんですよ。
山口 シェアだ(笑)。
平 お酒があるし。縄文土器って、壺みたいものだけじゃなくて、ホットプレートみたいなものもあるんですよ。
だから、焼き肉パーティーみたいなこともやってるんですよ、実は。
あとマリファナとか吸ってましたよ、あいつら。
山口 吸ってましたか、やつらは!
平 日本って麻がたくさんなってますからね。
マリファナ吸ってごきげんで、肉食って、酒飲んで、眠くなれば寝る。楽しそうですよね。
現代の日本とどっちがいいんだろうなと思って(笑)。
テレビが見られないぐらいでしょ。でも、テレビはないけど語り部みたいな人がいて、そういう人の話を聞くのはものすごく楽しかったはずなんですよ。
マリファナを吸いながらそういう話を聞いてたりしたら、素晴らしい景色が広がったりしたかもしれない。
柳沢 脳の中でね(笑)。
平 だから、現代と縄文時代で幸せの総量ってそんなに変わらないと思うんですよ。
いまはいろいろ便利な分、身体にストレスがかかる、それを解消するための刺激があるだけで。
縄文時代はマイルドに楽しかったんじゃないかなあ。辛いことが少ないから“ほどほどに”楽しくで十分だった。
彼らは“ほどほどに”を知ってたから、たまに祭りをやるんですよ。
いま東京は毎晩、祭りじゃないですか。
ただ、僕は単純に昔が良かったと言ってるんじゃなくて、過去の積み重ねの中で生きていけば人はどんどん良くなるという考えなんです。
柳沢 連綿と継ぎ足していく鰻のタレみたいにね(笑)。
平 そうです。日本は一度、明治維新で途切れ、太平洋戦争の敗戦でまた途切れてしまった。
柔術に関して言えば、江戸時代以前からの長いスパンで考えてるからわかることも多い。
それをブラジリアン柔術で切っちゃったらもったいないなあと。
ブラジリアン柔術を進化って考えてるのも、一つの刺激だから正しいけれども。
長いスパンで見たら、そこでそれまでの繋がりを切っちゃうというのは、命を切っちゃうのと一緒。
だから僕は「武術」を掘り下げたいんです。歴史の繋がりの中に幸せに近づくヒントが隠れてると思うんですよ。
平 僕の調べた江戸時代なんですけど、基本的に時代小説の世界とは違うんです。
僕の知ってる過去の日本は犯罪も少ないし、百姓一揆なんかもそんなにない。
江戸時代は五人組制度というものがあって、それによって相互監視、相互扶助で誰も脱落者を出さない、そういった世界でも不思議なシステムが構築されていた。
だから家に鍵もしないで平気で生活できた。それは今の常識だと縛られて息が詰まる感じもしますけど、でも案外そうじゃない気もするんですよ。
見方を変えてみると、江戸時代はとても楽しいような気がする。戦が無くなって、外食産業が花開いた。
そして歌舞伎とかも始まって庶民レベルまで娯楽が浸透した。世の中が一気に豊かになった時代ですから。
江戸時代はみんな顔見知りだし、隣を知らない現代より楽しい気がする。
いまの年金制度じゃないけど知らない奴に金を取られるから怒るんであって、顔見知りで本当に困ってる人がいればみんなお金を出すだろうし。
ただし「あいつ、本当は自分で働けるよな?」とみんなに思われたらそいつは生きていけない。
その辺りの距離感がとても巧みだった時代のような気がします。
柳沢 そういう江戸時代と、いまの時代性を合わせて考えるのにわかりやすいのは統治機構の話になるんだよね。
江戸時代の日本の凄さというのは、統治機構として中国やヨーロッパよりはるかに優れてたという説があって。
何が優れてたかというと、村落の自主管理能力。
まさに五人組制度もそうだけど、小さな集団、共同体、いまで言うコミュニティのルールがしっかりしていて、それに村が乗っかり、更に藩が乗っかり、最後はお上が乗っかる。
しっかりした自治管理機構の上にどんどん統治機構が乗っていっただけで、国家が押しつける法律みたいものはほぼなかったと。
いわゆるお上の法度というのは、農民の規範を基に法制化されたもので、富や権力の集中に焦点が置かれていたらしいね。
平 そうですね。
柳沢 大衆の共同体の自主管理に委ねる、というのが社会秩序を保つ基本姿勢だったみたい。「森がコンビニ」という話もそうだけど。
小さいコミュニティの中で「誰かがいっぱい取っちゃったら、みんなが困っちゃうからやめような」という共有意識をみんなで持てたっていうことだよね。
山口 でも、江戸時代の人みんなが常識人ではないよね?
平 そこが日本人のうまいところなんですよ。
例えば、身分制度を作って巧みに利用した。それと大名を譜代、外様で分けた。
幕府は外様に「頼りにしてる」とか言いながら上手く懐柔しちゃう。
それで譜代には「あいつは外様であてにならないから、金がかかってしょうがない」とこぼす。どちらも気分が良い。
どちらも気分よく平等に騙されてる。そうなればどちらも平等に扱ってることになるんですね。本当に平等に扱ったら必ず不平不満が生まれる。
人って誰でも違うんだから、同じものでも同じには感じないんです。
1万円貰ってすごくうれしい人もいれば、こんなはした金よこしやがってと思う人も当然いる。
これは大名から庶民にいたるまで、その立場、立場で上げたり下げたりして、ものすごく人心掌握がうまいわけです。
そのあたりが実に巧みな時代が江戸時代だと思うんですよ。
柳沢 幕府から見て各藩を外国だと捉えれば、幕府の外交能力というのは物凄く高かったんだろうね。
平 徳川家康公に北朝鮮との外交をやらせたら面白いなって妄想が暴走するわけですよ(笑)。
絶対に北朝鮮を巧妙に懐柔したんじゃないのかって。
柳沢 幕末の水戸藩なんか、幕府から見れば北朝鮮みたいなもんだったかもしれない(笑)。
山口 水戸の人に怒られるよ(笑)。
平 これは完全に僕の妄想ですけど。仙台の伊達藩というのは東北最大の勢力で外様なんですよね。
だけど家康公が亡くなった時に枕元にいたのが伊達政宗公。
柳生心眼流をお留武術として伊達藩に置いたんですね。
お留武術というのはいまでいうテポドンみたいなもので、それを伊達藩に預けたということは、多分、歴史家も知らない何か物凄い裏工作があったはずなんです。
そうとしか考えられない。家康公はそうやって上げたり下げたりする天才だったと思う。
で、それは政略、戦略というよりおもてなしの心みたいなもの。
「誰誰を喜ばせるにはどうしたらいいんだろう?」というのを常に考えてたと思うんですね。
みんなを平等に扱おうとしてもそれは無理で、そうなると嫉妬も生むし、「不平等の平等」を作ろうとしたと思うんですね。……あ!「不平等の平等」っていいフレーズですね!
山口 自画自賛ないまの言い方、なんかサスケみたいだったなあ、東北人だけに(笑)。
平 いま神が降りました(笑)。
山口 いま思いついたのか!(笑)。
平 でも、多分そうですよ。不平等の中で「これは俺だけが」とみんなに思わせるのが最高の平等なんです。
徳川家康公に僕は非常に興味があるんです。日本の歴史上の人物で、いちばんしたたかで頭が良かったんじゃないですか?
柳沢 そうでしょうね。
平 戦国の世を最後まで生き残ったわけだし。
柳沢 江戸時代って地方分権でしょ。その統治機構のノウハウというのは、いまで言えばグローバリズムそのものになってるんだと思うんだよね。
各藩が国で、日本全体がグローバルマーケットみたいなもんで。
そう考えると、江戸時代にはこれからのヒントがたくさん隠されてるんじゃない?
平 外交でもいまは理論で交渉相手に勝とうとしてますけど、大事なのはいかに相手を上げるかですよ。
「北朝鮮、最高!」「中国、最高!」みたいな(笑)。いちばんいいのは敵になりそうなヤツを味方にすること。
そうすれば自分が強くなるわけだから。
柳沢 この前、ホリエモンがトークショーで小沢一郎に言ってたんだけど。
「日本は、北朝鮮のミサイルを防御するための軍事費を北朝鮮にあげるべきですよ。その方がよっぽど効果的だ」と。
そういう軍事費を一生懸命につかってどこかを儲けさせるんじゃなくて、その北朝鮮にあげれば、言い方悪いけど北朝鮮はそこから抜け出せなくなる。要は日本から離れられなくなりますよと。
平 属国にしちゃうんですね。
柳沢 属国って(笑)。まあでも、そうだね。
平 助け合うっていうのがいちばん大事なんですよ。
で、最初に助けたヤツがいちばんおいしいクジを引くんです。先に情けを見せて。
それでもダメなら日本も核を持つっていうことですよ(笑)。
山口 その考え方はちょっと武術的だね。
平 柳生一族がそうですよ。最初に「どうします?」って聞く。でも3秒で決めろと。それでダメだったら斬る。
山口 3秒だけ情けを与えるってことね。プロレスの3カウントって、その3秒の情けからきてるって知ってた?
柳沢 え、そうなの!?
山口 嘘です!(笑)。
柳沢 んあ〜!
平 でも、もともと剣術の試合って、一本勝負じゃなくて、三本勝負にして一本は相手に取らせるんですね。
そこはプロレス的ですよね。
柳沢 平理論でいくと八百長というのはなんでも三本勝負なんでしょ?(笑)。
平 そうです。だから、いまの格闘技に八百長論は通用しないわけです。
全部、一本勝負だから、八百長にもならない。
だから、日本的知恵って凄いんですよ。
森から取り過ぎないっていう話でも、取るな、取るなって言ってるだけじゃ抑圧してるだけで、誰か取ろうとするヤツが出てくるんですよ。
そこで「今日は一年分の干し草を作るから朝からお昼まで草を取ろう。その後、午後からは準備を始めて夜はお祭りだ」と。
そうすると、いくら草を取っても取り過ぎないんです。午後から祭りの準備があるので、みんなお昼で草取りをやめるから。
夜に祭りがあるから、今度は準備をみんながいっせいに始める。
楽しませながら管理する。必要以上に抑圧しない。
「今日はお祭りだからいっぱい取っていいよ」と。
本来、そういうところがものすごくうまいんです、日本人は。
柳沢 まさに性善説がベースなんだよね。でも、これほどまでに個ってものを消した統治機構って凄いよね。
すべてがコミュニティ第一で成り立ってる。
平 だって名字がないんですから。
柳沢 ああ、共同体が家族だという。地名を名字にするのもそういう概念でしょう。
「コミュニティありき」というのが江戸時代の基本のような気がする。
山口 その江戸時代が、いまのネット社会とリンクしてる部分って、実際にあるのかな。
柳沢 個に走りすぎたことにより違和感、弊害が出て、やっぱりコミュニティというものは大事だという価値観に揺り戻しが来ているというのはあるんだろうね。
いまのSNSは欧米から来てるものだけど、日本での若い人たちの間でのSNSへの馴染み方を見てると、「みんなコミュニティを求めてるんだなあ」と思うね。
平 同じ気持ちを持ってる人たちで集まりたがってますよね。
柳沢 クラスタってやつですね(笑)。まあ、それを昔の村落集団と捉えれば、分をわきまえた自主管理能力が極めて高いというのもわかる。
平 いまさら世界一の経済大国を目指すのは無理だけど、もう世界のトップから大きく置いていかれる心配もない。
だったら日本的価値観で世界との違いを見せた方がいいんじゃないかというような時代の空気があるのかもしれないですね。
柳沢 つまりはアメリカが徳川家でいいと。
「日本は伊達藩になろうよ、それでいいじゃない」というのがいまの若い人たちの空気なのかな。
平 そうかもしれないですね。
柳沢 そういう価値観でいけば、太平の世でいられる。
「これからの300年間それでいかない?」みたいな(笑)。
平 それでいければ300年間、楽しいですもんね。
山口 毎日、お昼とか午後2時ぐらいで仕事はやめて、あとは酒を喰らう世の中。それはそれで幸せなのかな。
平 幸せでしょ。江戸時代は現実にそうだったわけで、それで誰も困ってなかったはずなんですよ。
ちゃんとメシを食えるし。アフター2には吉原にも行けるし(笑)。
柳沢 ただ、そんなライフスタイルを獲得するためには、徳川家や他藩を脅かさずに伊達藩のオリジナリティを磨き続けなきゃダメってことだよね。
平 そうそう、アメリカや中国のことを思いっきり持ち上げればいいんですよ。
山口 セールしまくり(笑)。
平 領土問題にしても、世界平和のために尖閣を中国にあげます、ロシアと仲良くしたいから北方領土を放棄します、そのかわり大事に使って下さい、以上。
これを国連かなんかで言ったらカッコいいですよね。
山口 でも、西洋的価値観からすると「そんな甘っちょろい」ってことになって、ナメられるんじゃないの?
柳沢 最初にそういう甘っちょろいことを言いながら、「それでもグダグダ言うなら殺すよ」っていう覚悟と技術をきっちり持っておくことが大事っていうことでしょう。
山口 なるほど。それは「武術」だね。「武術」は怖い。
柳沢 だから、日本の根本として「武術」っていう概念は大事なんだと思うよ。
例えば泥棒に狙われてる時に家に三つの窓があって、二つの窓は閉めておいて、一つの窓はわざと開けておくと。
で、その窓に首が入って来た時点で制圧しちゃうというのがグレイシー柔術。
これって窓を一つ開けておくのが大事なんだという話でしょ。外交もまさに同じ話で。
わざと窓を一つ開けといて、外交ではそこに入って来たものをバサッと斬るわけにはいかないから、「さあ、これからどうしてやろうか」ってことでしょ。
平 外交でもそうですし、実際の戦いでも隙をわざと見せる。
そこに実はこちらの狙いがあって、そこに来て欲しいから、わざと隙を作るんです。
僕の考える侍の外交とか政治は、ある部分をバカだと思わせておかなきゃいけないんですよね。
全部がバカでもいけないし、全部が完璧でもダメで。
一つツッコミどころを常に残しておくのが侍なんですよね。
柳沢 サムライとは「誘いながら待つ」。まるで昔、ターザンがした「色気」の定義じゃないか!(笑)。
山口 ターザン本人は「誘われなくても行く」なんだけどね(笑)。いやぁ、平さん、今日は面白かったです。
平 まさかこういう展開の話になるとは(笑)。
山口 でもホント、江戸時代以前を知ることと、「武術」の概念は、大事な鍵ですよ。また妄想話をしましょう。格闘技を軸とした話は、今度始まる連載(『1993 〜日本格闘技近現代史〜』5月23日第1回スタート!)で、たっぷり書いてもらいますので、そちらもよろしくお願いします。
平直行(たいら・なおゆき) 1963年12月15日生まれ。宮城県仙台市出身。身長175センチ、体重80キロ。格闘技は中学時代に空手を始めたのがきっかけ。その後、大道塾、シューティングも経験し、シュートボクシングに転向。シュートボクシングのエースとして活躍しながらも、正道会館の全日本大会に出場したりするなど、常に時代の一歩先を行く挑戦を続けてその名を轟かせた。また、カーリー・グレイシーよりブラジリアン柔術を学び、正道会館東京本部で日本初の柔術クラスを開講するなど、選手としても指導者としても格闘技界に多大なる貢献を果たす。2003 年に古巣のシュートボクシングで引退試合を行い、その後は操体法を学び、それがきっかけで知り合った島田道男氏から太気拳を、島津兼治氏から柳生心眼流を学び、現在は治療や後進の指導の他、ZSTやシュートボクシングでレフェリーも務めている。ブラジリアン柔術アカデミーストライプル代表。