1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第6回 2003年 (前編) 森下社長の自殺と石井館長の逮捕
2002年は格闘技界にとって夢のような一年でした。あの国立競技場で9万人興行が実現した。吉田秀彦という五輪金メダリストが参戦した。ボブ・サップという思わぬ人気者が出現した。K-1の東京ドーム大会が完売し、視聴率28%という歴代最高記録を叩き出した。『WRESTLE-1』というプロレスの興行まで実現した。おまけにボブが新日本の東京ドーム大会で活躍し、1試合でプロレス大賞まで獲得した。日本テレビ、TBS、フジテレビの3局のゴールデンで、毎回20%の視聴率を取った。
今から考えたら、本当に夢のような出来事ばかり起こっていました。しかし、翌2003年は前年の勢いが嘘のように大混乱に陥っていくのです。
まず、その前にキーパーソンとなる人達の背景を整理しておきましょう。
石井館長はK-1の大躍進の裏で脱税事件の捜査が進み、ちょうど完売の東京ドーム大会が行われた日に、検察が「起訴処分」を発表してきました。K-1史上に残るイベントだったにも関わらず、本当に気が気ではなかったでしょう。K-1プロデューサーに僕が正式になったのも、そのためでした。
猪木さんは『イノキ・ボンバイエ」の勢いに乗って、夏にKダッシュの川村会長と東京ドームで『LEGEND」を開催。しかし、決してうまくいったとは言えず、相変わらず百瀬さんとの二人三脚で『PRIDE』や『Dynamite!!』、『イノキ・ボンバイエ』を盛り上げて話題を作っていました。それを猪木さんが内心どう思っていたのか、分かりません。しかし、渦の中心は石井館長と猪木さんが担ってました。
裏方でいえば、この頃からバラさん(榊原信行)が東海テレビ事業を辞め、独立しました。PRIDEの森下直人社長は、『Dynamite!』や『イノキ・ボンバイエ』といった別ブランドが立ち上がっていく中で、どこか不安も持っている感じもしました。あと、『WRESTLE-1』はボブ・サップが中心とはいえ、パートナーとなったのは、2002年に全日本プロレスの社長となった武藤敬司でした。
それが2003年が開けてから、まず1月に森下社長がまさかの自殺。2月に入って石井館長が突然逮捕されるという大事件が立て続けに起こり、状況は一変したのです。この辺りは、『平謝り』でも書いているので詳細は割愛させていただきますが、あんなに良い年だった2002年から180度変わり、スポーツ紙の一面は『森下社長、自殺!』『PRIDE、存続危機』『石井館長、逮捕!』『K-1解散』の見出しが連日踊るようになりました。K-1プロデューサーになったばかりの僕としては、訳が分かりません。もう、必死に謝罪したり、説明することが最初の仕事。僕はそれこそ、K-1や石井館長をなんとか守りたいと必死でした。
しかし、幸いなことにこの時はまだフジテレビを始め、TBS、日テレともにK-1に対しても、PRIDEに対しても好意的でした。なんとかK-1を続けようと一番必死になってくれたのは、各テレビ局の現場のプロデューサー、スタッフたちだったのです。そうであるならば、僕らとしては全力で結果を残すしかありません。そこで、僕がまず初めに組んだのが、ボブ・サップvsミルコ・クロコップの一戦でした。正直、石井館長がいない中でイベントをやるのは初めて。不安がないと言えば嘘になります。
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