茂木さんが「お前のアダ名はP植田にしよう」って。PはペニスのPなんですけど。
大川 先日、茂木さんのテレビ番組に家入さんをゲストで呼んでいただいて、そのとき初めて植田さんにお会いしたのですが、話を聞いたり、絵を見せてもらって、めちゃくちゃ面白い人だなと思い、対談のオファーをさせていただきました。
今日はお互いどんな感じでアシスタントをやっているのか、ゆっくり話を聞けたらと思いまして。
植田 茂木さんに、大川さんから対談の話をいただいたんですって言ったら、「おお、やれやれ」と。
アシスタントといっても、僕なにもしてないんですけど(笑)。
大川 僕もたいしたことはしてないですよ(笑)。
今日はアシスタントになった経緯と、どんな仕事をしているのか、あとは植田さん個人の活動の3点をお聞きしたいのですが、まずはアシスタントになった経緯から聞いてもいいですか?
植田 茂木さんとの出会いは、僕が芸大に通っていた2003年の4月ですね。茂木さんが芸大の客員で教えにくるようになって。
大川 じゃあ、結構長いんですね。
植田 そうですね。1999年に茂木さんが書いた「心が脳を感じるとき」という本に出会って、そのときから気になっていました。
芸大にいても面白い先生がいないし、どうしようかなと思っているときに、ちょうど茂木さんが客員できて。
そこから押しかけて、引っ付きだしたのがはじまりですね。
その頃僕は大学の3年生で、茂木さんの講演があると聞けば必ず行ってました。
大川 普通にお客さんとして?
植田 そうです。芸大で茂木さんが講義を持ってる生徒として引っ付いて。
自分がどういう気持なのか茂木さんに伝えたいなと思っていたんですけど、僕は今も自分の言葉を持っていないので、「こんなの作ってるんです」と言って自分で描いた絵を見せたんですね。それがチンコの絵ばかりで(笑)。
茂木さんが「お前のアダ名はP植田にしよう」って。PはペニスのPなんですけど。
大川 放送禁止のピーじゃなくて、ペニスの頭文字のPなんですね(笑)。
植田 後々そこにジャガーっていう形容詞がつくんですけど。
ジャガーP植田っていう風に言われて、茂木さんがかわいがってくれるようになりました。
大川 ジャガー?(なぜジャガーかわからん!)どのタイミングでアシスタントになることが決まったんですか?
植田 2009年に「猫の手にもならないですけど、使いっ走りぐらいはできると思うのでそばに置いてください」ってメールをしたら、茂木さんが「わかった、ちょっと待っててな」と返事をくれて。
そうしたら大晦日の午前中に電話がかかってきて、「恵比寿にいるけど、お前今日時間ある?」って言われて。
恵比寿に行ってみたら、茂木さん冬なのに、ダウンもなにも着ないでセーター1枚なんですよ。「寒いよ」っていいながら、外で震えながらパソコンで仕事してて。
「お前どうすんの?」って聞かれて、茂木さんのそばに置いてもらいたいと思いますって言ったら「うん、わかった。よし、じゃあ飲もう」って。
その日はいつ頃会社を辞めてくるのか、今いくら稼いでるのか、そんな話をしました。
2010年の10月に会社を辞めたので、アシスタントになったのは2年半前ですね。
たしか10月30日かなんかの土曜日で、辞めた次の日でした。それから茂木さんのところで書生として一緒にいるようになりました。
大川 「書生」。いいですね。
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