第13回 ミッキーの「人生最大の地獄絵図!ブラックホール的恐怖体験!!」
あなたは、ヤクザに囲まれて土下座したことがありますか?
私はあります!
それも、拉致寸前の非常にヤバイ、ヤバ過ぎる超恐怖体験をしたことがあります。
たしか1984年の頃、雑誌『カジノフォーリー』の2号を編集していたのだが、なんせオレ個人で制作費を捻出していたので資金がなくなり、カネを作るためにやむなく「偽装結婚」をした(時効なんで書いている。詳細はそのうちに書く)。
《※編集部注:全然「やむなく」じゃないと思われ…。》
そのときに、世話になったヤクザの幹部と世間話になり、「ケンカで一番怖い相手はどんなタイプですかね?」と聞いたら、「そりゃー、イケイケどんどんのチンピラや。ワシらみたいな幹部は長生きしたいから穏便やけど、アイツらはこの世界で名前を売り出そうとしてるのと、ケンカ慣れしてないから怖いのと不安で見境なしにやってしまうんやなあ」と。
その説に「やっぱり、ヤクザも所詮は人間やもんなあ」と納得しながら、オレは「人生最悪の恐怖の体験」を思い出していた。
1972年の秋9月、「ノリコとの大ロマンス」(この連載の第9〜11回)のあった年である。
第11回のラストに書いたように、オレは東京で再出発する、その前月の頃だ。
ノリコとの恋愛は破局寸前。おまけに、6月頃にオヤジが倒れ(かなりの重病で、結局、生活保護に)一家離散寸前。気楽なバイト生活をしていたオレに母親は、耳にタコどころか「耳にダイオウイカ」のように「お前は長男なのに、何をしている!」と責め立てられる毎日。
《※編集部注:「耳にダイオウイカ」は、時事ネタも入れてるし(少し古いけど)、まんざらでもないデキだ!と思ってると思われ。》
未来にアテはなし、八方塞り、ヤケのヤンパチ、どうにもこうにも「ナイジェリア」、オレの人生は「ナイチンゲール」かと懊悩の日々が続いていた。
《※編集部注:この箇所も、多少ノリは古いけど、まんざらでもないデキだ!と思ってると思われ。》
そんなこんなで、実家の大阪府八尾市太田を逃げるように離れ、高校時代の友人がいることと、ノリコへの未練断ち切れず、京都に移住。
歌舞伎公演などをしている「南座」(四条大橋東詰)のすぐそばにある有名焼肉レストランに住み込みで就職したのだった。
ここはバイト歴のなかでも最悪のワースト店だったなあ。
なんせ、賄いメシがサンマ1匹で、あとは大皿にタクアンだけ。
給料は最低賃金、1日目で「1ヶ月で辞める」と決心したほどだった。
東京への再出発には、最低の生活資金が必要だったからだ。
想像してほしい。こんな精神状態の青年が店でどんな働き方をするかを?
そんなある日、人生最悪、いや人生最大の地獄絵図、ブラックホール的恐怖体験に遭遇するのであった。
夜の遅番だった。
無愛想だったろうが、オレはそれなりに真面目にウェイターをやっていた。中年の立派なスーツ姿の4人組が、客でやってきた。オレがその席を担当することになった。最初は別に何事もなかった。
事件は突然、不意打ちに起こった。
《※編集部注:言い回しがちょっとヘンな気がするけど原文ママ。》
リーダー的なオッサンが「このキムチ、青いのがまじっとる。ちゃんとしたモンに変えんかい!」と難癖をつけてきたのだ。
オレはムっとした。
でも「申し訳ありません。お取替えします」と、厨房に戻った。
当時の焼肉屋なんて、高級だろうといいかげんなもの。
中堅どころの料理人が「そんなもん、取り替えなんかできるか! キムチはこんなもんや」と、取り替えてくれないのである。
間にはさまったオレは、当時は世間知らず(本当は今もですけど)だったので、厨房の言うとおりに「申し訳ありません。お取替えはできません。キムチには青い菜っ葉の部分も入りますので〜」と客に言った。
突然、いままで温厚だった紳士は凶暴になった。
「ナメとんのか! 替え言うたら替えんかえ!」
「申し訳ありません」
そう言いながらも、オレは暴走族の目つきでにらみつけていた。