1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜

この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。

●第25回 2009年(前編) 柔道オリンピック金メダリスト・石井慧プロ転向の波紋

今回から2009年の大晦日の話に移るのですが、その前に2008年の大晦日。実現しませんでしたが、大きな目玉があったことに触れる必要があるでしょう。

2008年の大晦日のメインは桜庭和志vs田村潔司でした。そして、もしこれがあれば紅白歌合戦に対世間として対抗できる強力な目玉として、セミファイナルとして考えていたのが、柔道のオリンピック金メダリスト・石井慧のプロデビュー戦でした。僕は水面下で、このことに対しても必死に動いていたのです。

2008年の夏、北京オリンピックが開催されましたが、ここでお家芸の柔道の無差別級で見事金メダルを取った石井君は、そのキャラクターの面白さもあり、一躍時の人となっていました。本人は格闘技志向が強く、金メダルをとってからも「60億分の1の男になりたい」などとプロ転向を強くアピールしてマスコミを賑やかせていました。園遊会で天皇陛下に「ロンドン五輪でも頑張られるのですか?」と質問されても、「いえ、もうロンドンには出ません」とキッパリと答えたこともあり、柔道界の意志に反して、石井君はプロ転向に向けて動こうとしていました。この時、石井君を大晦日に出していたら、大きな話題となっていたでしょう。

当時の石井君は、まだ国士舘大学の4年生。若いこともあって、柔道界は当然次のロンドン五輪のエースにも考えていたでしょう。しかし、柔道界は石井君をコントロールすることはできませんでした。本人はもう一度金メダルを取るより、子供の頃から見ていたPRIDEのようなリングで「世界最強の男」になる気持ちがとても強かったのです。もし、金メダルを取りたてホヤホヤの男で、しかも22歳と若く、ヘビー級という階級ならば、これは柔道の第一線を離れてしばらくしてからプロに転向した吉田秀彦以上のインパクトがあったでしょう。2008年はまさにオリンピックイヤーで、金メダルを取った石井君はそれこそ連日テレビに出ない日はないような露出ぶりだったので、プロモーションとしては何もしなくても世間の注目を集めることができました。僕としては、吉田秀彦や曙のプロ参戦以来、何とかこの大物を間に合わせようと考えて、紅白に一泡吹かせたいと思ったのです。

しかも、曙の時は電信柱の陰に隠れながら、アポなしで奇襲して口説き落としましたが、石井君の場合は最初から正攻法でも十分いける感触を持っていました。というのも、国士舘大学の監督で、全日本の監督を務める斎藤仁先生は、石井館長が日頃から親しくしており、僕も何回も一緒に食事をした間柄で、きちんとしたパイプを持っていたからです。しかも、驚いたことにその斎藤先生から「谷川さん、石井は柔道界に止まる気がないので、FEGで預かってもらえませんか?」と言ってきました。もちろん、願ったり叶ったりの話です。

そこで僕の方でもマスコミを賑わせようと、一つの仕掛けをしました。「60億分の1の男」エメリヤーエンコ・ヒョードルが来日した際、ヒョードルを連れて国士舘大学柔道部に行き、石井君と夢のスパーリングをさせようとしたのです。斎藤先生には内諾をもらいましたが、これはギリギリのところで全柔連からクレームが入り、実現しませんでした。斎藤先生に迷惑をかけたら申し訳ないという気持ちでたし。ただ、その翌日の東スポの写真を見て大笑いしました。それこそヘッドギアにグローブをつけて、石井君が国士舘大学の柔道場で待っている写真が載っていたからです。

「本当に面白いヤツだな」

お堅い柔道界でこんなことを平気でする男に初めて出会いました。しかも、金メダリストです。そこで僕はその日に石井君を極秘で誘って、ヒョードルと食事をさせました。石井君は本当に嬉しそうに、練習やら何やらいろんな質問をしていました。でも、全柔連に気を遣って、マスコミにはこの夢の顔合わせを伏せておきました。ちなみに、僕自身も石井君とはこの時が初めての出会いでした。

こんな感じで石井君とはとてもいい出足でした。ところがそれ以降、なかなか会えなかったのです。僕はせっかく正式なルートがあるので、今回斎藤先生を頼りにした方が柔道界とも揉めずにうまく行くと思っていたのですが、当の石井君本人が「自分の進路は自分で決める。斎藤先生なんか関係ねぇ」という様子だったのです。とてもキャラクター的に面白い選手ですが、どうやらコントロールされるのを非常に嫌がるタイプだということが、次第に分かってきたのです。

もちろん、師匠とうまくいっていない選手というのも、よくいます。しかし、石井君の場合、斎藤先生だけとうまくいっていない選手と言うわけでもない。