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その11 武術の型の意味と効用。(後半)

“武術では体力は要らない”……そんな話を聞いたりする。そんな時代の一般成人男子の体力は、米俵を両脇に抱えて自由に歩くことが出来て一人前。それが出来ない成人男子は病弱と言われていた。


普通に現代から見れば圧倒的な体力を持った人が武術をやるのだ。力はあったほうが良いに決まっている。ただし余計な力は要らない。だから武術家は鍛錬で身体を鍛える。先生からそう聞かせてもらいながら僕も鍛錬を続ける。口伝に従い鍛錬した身体で型を行う。型を行うには本来口伝に従い鍛錬された身体が欠かせない。型は遥か遠い時代から悠久の年月をかけて工夫された、身体操作を磨き鍛える動きの集大成。そのまま使うよりも大げさに作ってある。


相手が素人ならそのままでも使えたりする。ところが相手も武術が出来るとなれば全く実用に耐えない。なぜならば身体を鍛え感覚を磨くために動きを大げさに作ってあるからだ。型は大げさに行いその意味を身体に染み込ませ、身体の持つ力を引き出す。大げさに行うことで反応を引き出すのだ。


型を実際に使う際にはそれぞれの動きに合わせ変化させる。型を元にそれぞれの身体に合わせて工夫を加える。これを工夫伝と呼ぶ。工夫伝を知らなければ型は使えないものとなってしまう。僕は工夫伝という言葉を心眼流で初めて聞いた。


型には武術のご先祖様の命がけの知恵が込められている。正しく型を行えば、型を通じてご先祖様の手紙を読むことが出来る。先生が折りに触れて聞かせてくれる。だから型は絶対に変えてはならない。ご先祖様の手紙は正確にそのまま後世に伝えなければいけない。型はそのまま使ってはいけない。そのまま使っても役には立たない。型を自分のものにするには、自分独自の工夫を加えなければならないのだ。


型を覚えたら工夫伝に従い日々工夫を重ねる。工夫伝には身体をいかに目覚めさせるかのための工夫が各種残されている。身体の奥を動かすこと。武術ではそこに鍛錬の肝が隠れている。身体の奥を動かすことを、大陸の武術では気功と呼んだり内功と呼んだりする。普通は身体の奥の動きを目覚めさせることは難しい。しかし、流儀の口伝に従い日々鍛錬を積むとある日、口伝をもらえる。


鍛錬とは肉体のみならず心からも余計なものを消してゆく。余計な欲望が消え、流儀の奥義を伝えても良いと見極めた者にのみ工夫伝は与えられる。身体の奥の動きとは、くしゃみやしゃっくりをする時の状態と似ている。その状態を起こしながら身体を動かす。内部にある刺激を加えながら鍛錬を行うことで、身体の奥深い動きが目覚めてくるのだ。


悠久の月をかけて発見した武術にはそういった、一般常識では考えも及ばないような工夫がある。だからこそ工夫伝と呼ばれる。一般では想像もつかないような工夫を持つ武術には、当然健康になるための知恵と工夫が豊富にある。


身体を壊すほど激しい鍛錬を行うことで初めて身体が変わってゆく。だが、身体を壊すほど激しく鍛えても実際に壊れないのには理由がある。型には色々な種類がある。身体の可能性をいかに引き出すことができるかに型の意義がある。型には強烈に鍛え強靭な身体を手にする型や、強烈な鍛錬で身体を壊さないように整える型もあるのだ。