よく「賢いね」なんて言葉を聞きますが、その「賢さ」って何でしょうか? 「賢い=頭が良い」のだとしたら、学校の成績が良いとか、IQが高いとかですかね。でも、それだと何だかしっくり来ない気がしませんか?
残念ながら、1世紀半近くの検査と数十年の神経科学にも関わらず、未だに「賢さ」を証明することは出来ていないそうです。
では、以下より「賢さを証明出来ない理由」をどうぞ。
【知能検査】
初めて標準化された知能検査は、1500年以上前に中国で生み出された「科挙」で、数百年に渡り官僚登用試験として採用されました。試験は4科目から構成され、統治者にふさわしい風貌か、訛りの無い言葉を話すか、美しい字を書くか、そして法や制度を理解し正しい判断をするかが見極められました。
当然、多くの市民がこの試験の偏りやエリートに対する先入観を抱くことになり、一部の歴史家は「科挙」は初の知能検査であると同時に、初のエリート階級や能力社会を生んだシステムだと話しているそうです。
現代において、おそらく最も有名な知能検査は20世紀初頭から行われている「IQテスト」でしょう。100年以上も昔、「Intelligence Quotient(知能指数)」という言葉は教育学者と人種改良論者によって使われていました。しかし、ドイツの心理学者であるウィリアム・スターン氏が最初にIQの概念を作り上げた19世紀には、主に発達障害を特徴づける方法として利用されていたのです。
勿論、IQテストは長年にわたり幾度となく変更されてきましたが、基本的な採点システムは同じです。100が平均であり、人口の95%がIQ 70~130の間におさまります。IQの測定方法は多岐に渡り、通常IQテストは言語能力に焦点を合せ、殆どのテストでアメリカの心理学者であるルイス・レオン・サーストン氏が提示する「言語理解能力、語の流暢性、数能力、空間能力、連想記憶力、知覚速度、機能的推理」を測りますが、20世紀初頭には非言語能力も非常に重要視されました。
様々な研究が、高いIQスコアと高い学業成績、社会的成功、そして長寿の相互関係を示し、また、低いIQスコアと犯罪の相互関係を示してきました。それだけでなく、近年では低いIQスコアは犯罪だけでなく、人種差別にも関係があると言われています。これは、IQテストを利用していた人種改良論者にとって皮肉な結果としか言いようがありません。
反対の見方もありますが、IQテストは試験で良い点数をおさめる能力や法律に従う判断力を測ると思われています。これらの能力は良い大学に入学したり、中流階級の仕事を得る助けになります。しかし、このような「社会的成功」は「賢さ」なのでしょうか? この疑問の答えには多くの人々が「No」と答えることでしょう。
【その他の知能】
IQテストは倫理観のようなものや一時的感情や欲求をコントロールする能力、他者との共感、社会的な提携や強力の構築といった感情的知性を計測しません。加え、永続的に重要視される仕事を生み出すことやルールに従うこと、また立派な仕事を維持し続けることとは無関係の、「言葉では言い表すことの出来ない才能」を測れているようにも見えません。
今日、認知科学者は知能の資質を突き止めようとしています。脳に関して独自の「自己連想記憶理論」を唱えたジェフ・ホーキンス氏は、著書『考える脳 考えるコンピューター』の中で、周辺世界について正確に予測する能力こそが賢さの鍵であると主張しています。
また、神経科医のエルコノン・ゴールドバーグ氏は著書の『脳を支配する前頭葉』で、何が「賢さ」を構成するのかを含む脳の動作の社会的通念と、前頭葉と道徳的発達の学術研究について説明しています。この研究は、生まれてから数ヶ月で人々は自分を取り巻く人々と社会的に接触し、結果的に衝動をコントロールだけでなく、善悪の感覚を発達させると示唆しています。この社会的な接触は前頭皮質の構成を変化させます。この極めて重要な数ヶ月の間に接触を得ない人は、感情のコントロールが効かない、嘘や他者を虐待するような反社会的行動を起こす精神疾患に冒されやすいとも言及されています。
非常に恵まれた能力を持ちながら、全く計画性が無い人間は数多く存在するのです。誰しも、ずば抜けて頭が良いにも関わらず、社会的に厄介者扱いされている人に遭遇したことがあるのではないでしょうか。道徳や感情、そして予測能力を数値化するのなら、数字の暗記や脳の中で形状を回転させるだけでは計測できないと想定しなくてはなりません。
【人工知能】
人間の知能を構成している定義が明白でないならば、どのように人工知能(AI)を開発すれば良いのでしょうか? 何人かは哲学者のジョン・サール氏のように、Googleのオートコンプリート検索のようなAIとは異なり、人間の頭脳のような「強力な」AIは開発出来ないと主張するでしょう。「中国語の部屋」という有名な思考実験を作り上げたサール氏は、人間とコンピュータの主な違いは、人間は言葉の意味と含意を理解することが出来るが、マシンは言葉のストラクチャーしか理解することが出来ないと考えているのです。
『考える脳 考えるコンピューター』の著作者であるホーキンス氏のように、人間と同価値のAIは、知能を定義することで最終的にハードウェアに変換することが出来る、と信じている人達なら、サール氏や人工知能研究所の創設者の1人であり、認知学者のマービン・ミンスキー氏の人工知能批判に異議を唱えることでしょう。
コンピュータ分野のパイオニアであるアラン・チューリング氏は、人間か人工知能かを判別する「チューリングテスト」と呼ばれる実験を提案しました。1950年に生み出されたこのアイディアに従うと、1度でも機械がそのテストをパスしたなら、人間は「思考するマシン」を生み出せたことになります。しかし、今日までにゲームのNPCを含む幾つかのプログラムがこのテストをパスしたにも関わらず、誰ひとりとしてその瞬間からAIが完成したと喜ぶことはありませんでした。
この事実を基に考えると、「結局のところ強力なAIを作れない」という結論に達するのではないでしょうか。だからと言って、「我々人類は知的なコンピュータを開発できなかった」ということではありません。「真の知性とは何か?」ということに答えられない限り、なし得ないということなのです。
Pic:Thinkstock/Getty Images
[via io9]
(中川真知子)
コメント
コメントを書くまずは「定義」しろ。科学の出番はそれからだ。
この話は知能の計測軸の話をしてたのか、それともAI開発に関わる話をしてたのか。どっちなんだろう。それが先決な気がするけどw。
けっこう話が逸れてるな
>>1で終わってた・・・