いい映画から学べるものは多い...それは当然です。しかし、残念な映画から学べることも意外に多いのです。
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というのも、「酷い、クソ、下らない、馬鹿げている」と酷評される映画からは、同じような失敗を繰り返さないようにする術を学べるから。そこで今回は、io9がまとめた「絶対に見たほうがいい(?)残念な映画10選」を紹介します。
「評価が低いからやめておこうかな」とか「時間を損してしまった」といった声の多い作品が登場しますが、これを読めばもしかすると、学ばせていただく姿勢で鑑賞する気になるかもしれません。なお、ネタバレがありますのでご注意ください。
■『ドラゴンボール・エボリューション』
ラテックススーツに身を包み、ほとんど動かないピッコロさん。
ハリウッドに陵辱された日本が誇る漫画、といえば『ドラゴンボール』。その原作レイプっぷりは歴史に残したいほどです。
まず、孫悟空は普通に学校生活を送っており、しかもいじめられっ子というハリウッドのお約束的パターン。主役の設定がここまで違うのなら、孫悟空という名前を語る必要がありません。そして、原作の中では重要なイベントであった天下一武道会も、「そういえば天下一武道会のストーリーを入れておかないとファンは満足しないだろうな」程度の認識で無理やり入れられていると感じます。
孫悟空が大猿になるシーンも唐突で、いかにも「大猿になるっていう設定忘れてた! 付け加えておいて!」という指示があったのではないかと感じるくらいのやっつけっぷりです。
全体的に「『ドラゴンボール』の設定が足を引っ張った」雰囲気が漂っており、こんな映画を作りたくて大金で映画化の権利を買ったの!? もしや、『ドラゴンボール』に恨みでもあったのでは? と邪推したくなります。
そんな衝撃の『ドラゴンボール・エボリューション』ですが、次のことを学ぶことが出来る作品です。
1. 異文化の名作をウェスタン風にするべきではない
2. アニメーションを実写にしない
3. 原作の設定を無駄にしない
未来の映画監督を目指して勉強中の人たちは勿論、ハリウッドから映画化のオファーが来ているコンテンツの原作者にも見ていただきたいですね。ゴーサインを出した後に自分の作品がどんな風にされてしまう可能性があるか、理解していただけると思います。
■『ラブリーボーン』
殺害された少女の悲しみや悔しさが伝わりづらい世界観。
こちらも原作レイプ映画。
ピーター・ジャクソン監督の『ラブリーボーン』は、ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』と併せて見ておくべき作品です。なぜなら、どちらも少女が想像もつかないようなホラーの世界に直面し、それをファンタジーのフィルターで見るから(『ラブリーボーン』の主人公は殺害され、その後のファンタジーは死後の世界という違いはありますが)。
似た作品ではありますが、『パンズ・ラビリンス』は成功し、『ラブリーボーン』が失敗した理由は、ファンタジーパートに重みが感じられず、それゆえに物語の悲惨さが伝わってこないところでしょう。
非常に美しく優雅で凝ったCGを多用して「当たり障りない死後の世界」を描いてしまったため、ストーリーが置いてきぼりになってしまっているのです。
■『スパイダーマン3』と『X-MEN:ファイナル ディシジョン』
原作要素の詰め込みすぎは失敗しやすい。
どちらもシリーズの「3」であり、ひどい続編のマイルストーン的作品。しかし、スーパーヒーローの映画が広く普及されている今の時代において、極めて重要なことを教えてくれます。
まず両作の失敗の原因は、原作の要素をありったけ詰め込もうとしたということ。『スパイダーマン3』はヴェノムのサーガにしたかったところを、グウェン・ステーシーやサンドマン、ニュー・ゴブリンといったキャラクターまで登場させ、物語がとっ散らかっています。
一方の『X-MEN:ファイナル ディシジョン』は、ジョス・ウィードンのコミックブック『Astonishing X-Men』に収録されている「Gifted」の「ミュータント治療薬」と「Dark Phoenix」のストーリーラインを混ぜ、丁寧に描かれるべき内容をところ狭しと並べたような忙しさの内容となっています。
そして、どちらの映画も原作やシリーズに対する敬意が感じられません。
■『プラン9・フロム・アウタースペース』
駄作というのが失礼なくらい飛び抜けて残念な作品。
残念な映画を見る理由として、「何かを学ぶ」というだけでなく「カルト的価値があるから」というのがあります(こっちが主流?)。「あまりにもひどいから良い」、もしくは「これ以上ないってくらい悪いからこそ、みんなで見ると爆笑の連続」になるものです。これは、いい映画を見ても得ることのできない感覚、見終わった時の達成感です。
そして、その代表作が『プラン9・フロム・アウタースペース』でしょう。エド・ウッドが監督したこの「ザ・ワースト・ムービー・オブ・オール・タイム(史上最低の映画)」を楽しむコツは、誰かと一緒に鑑賞すること。それに限ります。一人で見ると単なるクソ映画を見てしまった後悔で凹む可能性が高いです。
重要な役のベラ・ルゴシがクランクインの2週間後に死去してしまったにも関わらず、代役を立てずに彼の生前の映像を使い回してやり過ごす(実際は過ごせていない)ことから始まり、疑問を持つことすらバカバカしくなる不合理なプロット、画面の節々からビシバシ伝わる低予算感、プロとは思えない失敗の数々...。映画学部の学生でさえ、これよりもマシな作品を作るでしょう。
この映画は「こういう映画は作るべきでない」ということを教えるために存在しているような作品です。でも、だからこそ愛おしい作品でもあります。
■『ハイランダー2 甦る戦士』
『ハイランダー』の成功に泥を塗った続編。
以前紹介した『トロル』の続編『トロル2』同様、オリジナルと関連性が全く見えない続編。
主役のコナー・マクラウドは登場しますが、『ハイランダー』の魅力であった「不死の戦士」という設定は重要視されていません。多くの『ハイランダー』ファンが、本作を「存在しなかったもの」としています。
しかし、この映画は「ひとつの映画の神話を続編で説明しすぎることで台無しにしてはいけない」ということを学ぶには最適な作品です。
■『ザ・コア』
スタッフには伝えずに、監督としてはSFコメディを撮ろうとしていたのでは?
『アルマゲドン』や『2012』とともに、『ザ・コア』も残念なSF映画としてよく名前が挙がりますが、NASAやその他の科学者が「科学を題材にした最も嫌いな映画」にも選ばれる、誉れ高き作品です。
まず前提がありえません。それは「地球の核の回転が停止したために地球の磁場が不安定になったから、再起動すべく地中で核爆発を起こそう」というもの。
SF映画を作る場合、最初から現実的ではない荒唐無稽な設定にするか、多少なりとも事実に基づく設定にする方が良いのです。知識がない人が見たら信じてしまいそうな、中途半端さはよくありません。
しかし、『ザ・コア』は「非科学的な駄作」と一言で切り捨てることができない楽しい作品。本作は、『グラウンド・ゼロ』をどうしようもない科学で塗り固めたようなもので、アーロン・エッカート、ブルース・グリーンウッド、ヒラリー・スワンクといった出演者たちは、破綻した内容を淡々と朗読し、完全に馬鹿げた状況であるにも関わらず、真面目に対応しようとします。
「素人か!」とツッコミを入れたくなるような科学的見解の数々が次から次へと登場するので、パッケージとミスリード的な解説から、真面目なSFアクションを期待して手に取った人からすると、「金と時間を返せ!」となるのも無理はありません。
ちなみに、この映画を見るコツは「壮大な『笑ってはいけない~』に参加しているような気持ちで視聴」することです。
■『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』
作る側も見る側も力みすぎて余計にズッコケ。
『マトリックス』の続編や『ターミネーター4』よりファンをガッカリさせたのが、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』でしょう。
期待が大きかった新三部作の第一弾は、中途半端なのに無駄に壮大で、出演者は超人気作品に出演しているからという意気込みからか、やたらと肩に力が入った演技をしています...。また、シリーズ史上最もイライラするキャラクターと言われているジャー・ジャー・ビンクスの存在もマイナスポイントです。
しかし、今後のシリーズを楽しむためにも『ファントム・メナス』は鑑賞する必要があります。
■『マレフィセント』
ディズニーのラブ・アンド・ピース伝統を壮大にディスった鬱映画にした方が良かった?
ここで「興行成績的に成功した上に愛されている、しかし駄作」をご紹介。
この映画が成功したのには、次の2つの要素があります。まずは、主役アンジェリーナ・ジョリーの人を惹きつける、輝くような演技。そして、この映画が彼女のキャラクターに明確な一貫した線と感情の弧を与えているからです。
では、『マレフィセント』が何故駄作なのか? というポイントに触れていきます。本作では、最初の時点でマレフィセントの「ヴィランとしての魅力」を半減させてしまっています。彼女が何故赤子に呪いをかけるほど追いつめられたのか? という裏話を披露しますが、そこには矛盾が多く、かつての純粋で明るい妖精だったころと、元恋人からの裏切りを経験した後で芽生えた暗い心との間に生まれた躊躇いが見られます。
そしてストーリーラインが中途半端なため、「ディズニーが誇るヴィランの話」という素晴らしい要素を殺していまっています。観客も「実はヴィランにも同情するべき点があった」なんて展開を望んで劇場に足を運んだわけではないはずです。
アンジェリーナ・ジョリー以外の出演者、特にステファン王子を演じたシャールト・コプリーに至っては、どんな映画を作りたいと思っているか? を理解していない様子。しかし、不思議なことに、アンジェリーナ・ジョリーという女優のおかげで、全てがまとまって見えるのです。
■『バーチャル・ウォーズ』
「CG使ってます! ってアピールしなきゃお金かけた意味ないだろ!」とでも言わんばかり。
この映画を見る最大の理由は、「あまりにも悲惨な歳のとり方をしたから」。公開された1992年当時、本作は最新技術を盛り込んだ、最先端の映画と考えられていたのかもしれません。
しかし今見ると驚くほど酷いのです。例えば、『2001年宇宙の旅』は70年代の映画にも関わらず、今見てもその魅力と力強い映像力は健在。1993年公開の『ジュラシック・パーク』も、今見ても見劣りしません。これらの作品は「いい歳のとり方」をした映画と言えるでしょう。
『バーチャル・ウォーズ』は、バーチャルリアリティの世界を通して知能レベルの低い芝刈り男の脳を活性化させる、というストーリー。原作はスティーブン・キングの小説とされていますが、あまりにも内容が異なる(ほとんど原作に沿っていない)ため、キングが激怒し、自分の名前をクレジットから外させています。
今見るとCGは苦笑いするクオリティー。技術の問題だけならまだしも、他の映像と馴染ませようという気持ちが画面から伝わってきません。1991年にリアルな液体金属が描かれ、他にもさまざまなチャレンジを行っている『ターミネーター2』の存在を真っ向から否定しているようなCGの活用法です。
この映画が失敗した最大の理由、それは最先端技術に注目してほしいあまりにアピールしすぎて、内容が破綻していることでしょう。また、原作の存在を完全に無視しただけでなく、役者も置いてきぼりになっています。
しかし、悪いところばかりではありません。異なる芸術の形だと考えれば、この偽物感が全面的に出されたCGにも味わいが感じられるようになります。
また、わざとらしいほどに強調されたバーチャルリアリティの世界から、90年代始めに繰り広げられた映画界のCGバトルの激しさを見て取ることもできます。このような映画を経て、今のCG満載な映画がある...。私たちはこの映画を通してハリウッド映画界におけるCGの進化を学べるのです。
■『地獄のデビルトラック』
才能ある小説家≠優秀な監督。
スティーブン・キングは、著作の多くが映画化された小説家。しかし、キングが自身の短編小説を映画化し、監督デビューを飾った『地獄のデビルトラック』は、それはそれは酷い出来栄えで、キング本人も「失敗作」と認めるほどでした。
Roadtrippersは次のように説明しています。
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俳優の演技といい方向性といい、あまりにも酷いからこそ愛さずにはいられない駄作。『地獄のデビルトラック』は、地球のそばを通った彗星の影響で機械類が暴走し出す、という内容で、派手な爆発や馬鹿げた描写、AC/DCの音楽と贅沢な映画です。
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スティーブン・キングが自分の繊細なホラーを自らの手で映像にしたらどうなるのか? また、小説家として大成功している彼が何故監督として失敗してしまったのかを考えるきっかけを与えてくれる、見る価値のある作品と言えるでしょう。
[via io9]
(中川真知子)
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