小沢一郎代表全国行脚第3弾~広島県~

3月20日、小沢一郎代表が全国行脚第3弾として、佐藤公治参議院議員の選挙区である広島県を訪れました。原発ゼロを掲げる生活の党として、同じ原子力により大勢の人命を奪った原爆被害を忘れず、平和祈念公園で、佐藤公治参議院議員、亀井静香衆議院議員と共に献花をしました。その後行われた広電電停本通駅前での街頭演説には、大雨にもかかわらず約300人の方々が、また東広島市で行われた街頭演説には150人を超える方々が足を止めて耳を傾けてくれました。最後に訪れた尾道市での佐藤公治後援会拡大役員会で行った小沢代表の挨拶の要旨は以下の通りです。


小沢一郎代表全国行脚第3弾~広島県~

【挨拶要旨】

 久しぶりに尾道に参りまして、こうして佐藤公治君を育てて、一生懸命支援してくださっている後援会の幹部の皆様の前で、ご挨拶をさせていただくことを大変楽しみに、うれしく思って参りました。今日は先ほど来お話にありましたように、亀井(静香)先生と一緒に、佐藤公治さん本人、そしてはたともこさん、中川(けい)さんも一緒に、街頭をしながら参ったわけであります。何といっても選挙は、とにかく皆さんの、主権者の審判でありますので、これに不合格とされれば、政治家は何もすることができません。そういう意味で、私から重ねて言う必要はないと思いますけれども、皆様の7月に向けてのご支援を心からお願いする次第であります。

 今、亀井先生から熱弁をふるっていただきました。彼の言ったことは、ちょっと長かったのですけれども、ごもっともだと思います。どうか、まさにこの選挙区でお互いに2人で力を合わせ、ぜひいい結果を出してもらいたい、そう思います。

 私は佐藤守良先生と同期で、同期と言っても経験と年齢が親子ほどとは言いませんけれども、兄貴、弟というような感じの立場でございましたので、本当にお互いに自分をさらけ出しての付き合いでありました。そして同じ目標と志をもって頑張って、自由民主党、時の政権与党を離党し、このままではだめだ、日本社会を根本から変えなくてはならない、政治を変えなくてはいけない、そういう志の下に新生党を作った、という経過でした。

 その後、一緒にやっていたのですが、志半ばで、先代守良先生は残念ながらお亡くなりになってしまいました。しかしそのあと、皆さんのご支援のおかげで佐藤公治議員が、やはり父親の(守良)先生と一緒で、私どもと共通の目標を持ちながら、今日まで政治活動を続けてまいりました。私はそういう中で、ただ単に佐藤守良先生の息子さんだからということではなくて、亀井さんも同じように、今では彼の事を評価していると思いますが、本当に、次の世代を託す、私が自分の政治家としての役割を終えて、松明を託す次の時代のリーダーとして大変期待を致しております。

 そういう意味で、先ほど後援会長から、親父さんと同じ状況とすればまだこれからだ、というお話がありましたが、その通りでございます。どうか皆様の一層のご支援をお願いしたいと思います。

 ただ、皆さんにお詫びをしなくてはいけないことがあるのですが、今度の選挙戦、非常に厳しい戦いであろうと思います。それは昨年来のいろいろな経緯を振り返っていただければ、皆さんもおわかりの通りだと思います。

 私どもは3年半前の衆議院の総選挙、さらにその前の参議院の選挙、その中で、自民党政治では、すなわち、官僚支配の上に乗っかっている政治、自民党の長期政権では、もはや、国民の皆さんの心をとらえていない。国民皆さんの暮らしをこのままでは守ることができない。また、国際社会で日本が荒波を乗り越えていくことはできない。そういう思いを持って、皆さんに訴えました。それで政権交代を皆さんが期待して、民主党政権を作ってくださった。しかし残念なことに、その民主党政権は皆さんの期待とは裏腹に、結局はまた官僚支配に戻ってしまって、本来の国民主導、政治主導の政治とは程遠いものになってしまった。私たちはその意味で、国民の皆さんとのお約束と違うではないか、これでは本当の我々が目指したものではない、という中で、正しい行動をとらざるを得なかったわけであります。

 この3年数か月の民主党政権、私自身はご承知のように、検察官僚の、国家権力を利用した妨害にあいまして、政治活動を制約されて参りました。そういう中で、民主党が当初の初心とは別の方向に行ってしまったこと、本当に残念でなりません。

 私は自分のことを理由にしているわけではありませんが、何としても、佐藤守良先生と自由民主党を離党して以来、この日本に、本当に政権交代可能な議会政治、議会制民主主義を定着させないと、これからのいろんな大きな問題を解決することができない、そう思って行動を起こしたその初心を、私はどこまでも最大の政治家の目標として貫かなければならない、と今なお思っております。

 その中で、我々も小さい政党になりました。民主党も惨敗してしまって、政権も一朝の夢になってしまった感がありますけれども、選挙戦、この夏参議院選挙があります。しかし、総選挙で負けてしまって、政権もなくなってしまって、それも仕方ない、と諦めてしまったのでは、本当に我々が今までみんなの代表として選ばれて、何をしてきたのだ、何を目指して我々は政治活動をしてきたのか、という意味を失ってしまいます。

 ですから、何が何でも、もう一度次の総選挙を目指して、政権奪還を目指して国民の皆様の期待に応え得る勢力を結集していかなければならない。そしてそれこそが、私の政治家としての最後の役目だと思っているわけであります。

 もちろん政治は国民の皆さんのためのものですから、何党の政府であろうが、何党の内閣であろうが、国民の皆さんにとっては、いい政治さえしてもらえればいいわけであります。その意味で、自民党政権が復活して、本当に野党になった時の経験を生かし、謙虚な気持ちで国民の皆さんの目線で、国民の皆さんの暮らしに焦点を当てながらも肌理の細かい政治をきちんとしてくれればいいし、また外交も、アメリカであれ、中国であれ、朝鮮半島であれしっかりした外交で、日本を間違いなく導いてくれればそれでいいのです。

 しかし、今日の、3年数か月ぶりに復帰した自民党政権、安倍政権、今大きなメディアは笛や太鼓をたたいておりますので、何となく国民の皆さんも、なんかかつての自民党とは違ったいいことをやってくれるのではないか、という意識を持つ方も多いと思いますけれども、現実の政権、あるいは政治の中身はかつての自民党政権と全く変わっておりません。まさに官僚支配はますます強まってきておりますし、それと同時に、内外の問題がどんどん厳しさを増しているということです。

 今日は広島で慰霊塔に花を捧げてきましたけれども、この原発の問題。核兵器、原子爆弾と原発は別だ、目的が違う、その通りではあります。しかし、この原発がこれだけの事故を起こしたにも関わらず、私も被災県の一つでありますけれども、政府やマスメディアは、もう原発の事故は収束した、とのようなことをずっと流しています。ですから国民の人たちも、のど元過ぎればという国民性もありまして、もう終わったような気でおりますが、とんでもないです。まだまだ収束など一向にしておりません。

 毎日毎日空気中に放射性物質が排気されておりますし、この間海の魚の放射線量をはかったら、(基準値の)何十倍、何百倍の放射能が検出されたということをご存じだと思います。そして先日は冷却装置が止まった。これが本当に止まったりしたら、まさに膨大なウランと燃料、どうなるか皆さんも容易に想像がつくと思います。

 原発事故を、どうも日本人が何となく忘れてしまった。ところが世界中でみんなが、原発どうなのだと一番心配している。ドイツは先進の大国で原発を10年後に廃止すると決めた唯一の国です。このドイツが原発ゼロを決めたのは、日本の福島原発の事故でもって、国民みんなが、これはやめようということに決めたわけです。私もドイツへ行って聞いてきましたけど。

 話が長くなりますからやめますが、そんな原発の問題が、将来にわたって深刻です。それからTPPもしかり。あるいは来年から消費税の大増税が始まります。いろんな国内上の問題もあります。それから、これまた忘れ去られていますけれども、民主党が政権を取るきっかけになった年金の問題。消えた年金。これがまだ半分しかはっきりしていない。全然話題にならなくなりました。それから消費税を上げる3党合意で年金の新しい制度を作ると言って無理矢理消費税を通しましたけれども、年金をどういう仕組みにするかということは、全然具体的に議論をされていない。こんな問題もみんな、その場その場のご都合主義でもって忘れ去られてしまっている、というような国内の問題もあります。

 それから外の問題もまた大きくなっています。日米関係も大変です。それから中国も新しい政権になりました。ご存じの尖閣列島の領土争いの問題もあります。韓国との竹島の問題もあります。そういう日本列島が位置しているこの極東、北東アジアは、もっとも危険と言いますか不安定な所であります。それぞれが宗教も違えば政治組織も違う、というような国々ですから、いつ動乱が起きるかということが想像もつかないような、その意味では非常に危うい状況にある。それで一方ではヨーロッパ。ヨーロッパもまたキプロスなどでユーロがおかしくなってないか、とまたぶり返している。これが本当におかしくなったならば、世界恐慌、金融恐慌的になってしまいますから、これまた経済上も大きな問題を抱えている。

 そういういろんな問題がありますから、それを乗り越えていくためには、本当に日本が自立し、日本人が自立し、そして日本人の代表である政党、政権がきちんとした、自立した認識と政策を持って政治に関わらなければいけないのが今の時代だと思います。

 このままいくと、本当に自民党の一党政権にずっとなりかねない。戦後半世紀以上続いた政権。それのいろんな矛盾があり、いろんな不具合があったからこそ国民は政権交代を望んだはずなのです。だけど新しい政権がだめだった、いややっぱり自民党しかしょうがないのだ、という今の結果で見ればそうなっているのですけれども、これは私、政治家としても、また国民としても、一回ダメだったから、一回失敗したからそれで諦めるということでは、あまりにも情けないし、また日本の前途が非常に変わってしまいます。

 私はその意味で、愚弄馬齢を重ねて、次の世代に松明を渡さなければならない齢になりましたけれども、3年半前でやっとこれで俺の理想の第一歩を実現したと思いましたら、このような有様。もう一度やはり、本当に政権交代可能な、そして1つの政府、与党が油断すれば、おかしな政治をすれば、必ず野党が政権を取って代わる、そういう状況を作ってこそ、本当に切磋琢磨して、いい政治をしなくては政権を維持できない、ということになるわけですから、そういう本来の民主主義、本来の議会政治を何としても日本に定着させなくてはいけない。それが自民党を離党して以来の私の使命でもあり、目標でもあるわけであります。そういうことを考えながら全国を周っております。

 当面は参議院の選挙戦。この参議院選挙は今の状況だとまた、俗に第3極と呼ばれる、民主党も今では似たようなものですけれども、このままばらばらで戦うことになれば、結果は非常に難しくなると思います。しかし、私どもとしては、単独で、我々生活の党が戦っても、必ず一定の国民の皆さんの支持を得て、一定の議席を得て、そして次の総選挙へ向けての起爆としていきたいと思っております。

 多くの候補者の中でも、佐藤公治君は最初から言っているように、本当に長い付き合いと信頼関係の中で、今日まで同士として共に歩んできた一人であります。そして私は、この次の総選挙でもう一度、議会制民主主義を日本に定着させるための戦いを挑みたい、そう思っておりまして、その後に、佐藤公治君に、私のバトンを委ねたい、そういう私の心情的な思いであります。

 どうか皆さん、この選挙戦、本当に厳しい、その意味で今いろいろ申し上げましたが、私大変責任を感じております。その分、皆さんのお力でぜひとも、佐藤公治君をもう一度、参議院に送っていただきたいと思います。

 それと同時に、はたともこ君は同じ地元の出身、比例区でありますから、どうぞ2人、選挙区と比例区と地元の2人でございますので、ぜひとも皆さんの格段のお力添えをお願いする次第でございます。

 本日は本当に、幹部の皆様とお会いでき、ご挨拶させていただきましたことを、心から重ねて感謝申し上げて、ご挨拶といたします。ありがとうございました。