その84 戦国の謀神参る!!
この歴史をまなぼう☆では、魔界には欠かせないファクターである“歴史”を一緒に薊と学んでいこうではないか!!というブログです。
魔界での歴史上の武将たちのその生き様や、心意気、はたまたどうして死んだのかといういわゆる歴史を紹介し、魔界をさらに楽しんじゃおうという気持ちをもって筆をとらせていただいている次第です!
それじゃっ!いっちょやってみっか〜〜
もともと毛利元就という方は大内家の傘下として隆房とかとも一緒に闘っていたのですが、隆房の謀反!!
これを元就はあまりよくは思っていなかったそう。
実は元就は、未だ土豪に毛の生えた国人だった自分を、何かと盛りたててくれた義隆に恩義を感じていて、心の底では、この隆房の謀反を快く思ってはいなかったのです。
とは言え、早いうちに大内氏の家臣団を掌握してから謀反を決行した隆房に、未だ力不足の元就では刃向かう事ができなかった・・・というのが現状でした。
しかし、そう思っていたのは元就だけではなかったようです。
隆房の謀反から3年後の天文二十三年(1554年)・・・やはり、毛利と同じような立場で、かつては大内氏の傘下となっていた石見(いわみ・島根県)の国人領主・吉見正頼(よしみまさより)が、隆房に反旗をひるがえしたのです。
「なにぃい!!!よしみめえええええええええええええ」
そこに正頼からも隆房からも、援軍の要請を受ける元就・・・両者の動向を見ながらチャンスをうかがいます。
「殿!!!援軍の要請がきております!!!!」
「うるさい。騒がしい。まだ我らが動く出番ではない。盤上の駒の動き次第よ。」
「はあ〜〜なにやら難しい話でござるな〜。」
「んふふふ。それにしても、ん〜〜〜〜ふふ。どちらを攻めようかな。」
やがて隆房が吉見正頼の本拠地・津和野城へと出陣したタイミングで
隆房への離反を決意・・・5月12日には、その心の内を表明して挙兵し、またたく間に銀山(かなやま)城や草津城など、安芸南西部の諸城を落としていき、さらに、厳島(いつくしま・宮島)も制圧したのです。
「どういうつもりだぁぁぁぁあああああああもうりめぇぇえええええええええええええええええええええええ!!!」
元就のこの動きを知った隆房は、早速、配下の宮川房長(ふさなが)に自らの兵=3000を預けて、元就の本陣へ・・・しかし、元就は見事にこれを跳ね返し、意気揚々と、本拠地・郡山城へと帰還しました。
・・・とは言え、このまま、突き進むわけにはいきません。
なんせ相手は、あの名門・大内氏の兵力を、ほぼそのまま引き継いでいるのです・・・数にすれば何万という兵を動員できるはず・・・
一方の元就は、いくら頑張っても、せいぜい4000程度・・・まともに戦っては勝ち目はありません。
そこで元就・・・ここは、ゆっくり腰を据えて作戦を練ります。
「どんな戦であろうと、冷静を欠いてはならない。ん〜〜〜〜ふふふふ。」
あざみ