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あざみと学ぼう。歴史ッ!!のコーナーで〜す♫
その95 あぁ無情
こんばんわあざみです。
この歴史をまなぼう☆では、魔界には欠かせないファクターである“歴史”を一緒に薊と学んでいこうではないか!!というブログです。
魔界での歴史上の武将たちのその生き様や、心意気、はたまたどうして死んだのかといういわゆる歴史を紹介し、魔界をさらに楽しんじゃおうという気持ちをもって筆をとらせていただいている次第です!
毛利元就の計画は物の見事にはまり厳島合戦は大勝利。
「すべて計画通り。」にやぁ
何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に
西国無双の侍大将 陶隆房の最期は自らの手でその生を絶ちました。
毛利元就の策にはまった隆房については、あまり良い噂は聞きません。
「所詮、平時の軍師止まりで、戦国の荒波を越える器量はなかった」
とか、
「猜疑心が強く、冷酷で直情型、単独専行ばかりで周囲との摩擦も多かった」
とか・・・
しかし、それこそ、死人に口無し・・・もはや、隆房には弁解する術もなく、勝てば官軍の毛利の言い分ばかりがまかり通るというもので、後世に伝えられる隆房が、どこまで、彼の真実の姿に近いのかは微妙なところでもありますな。
その昔、主君の義隆が、ライバルの尼子氏の月山富田(がっさんとが)城攻めで負け戦となった時、隆房は自ら危険な殿(しんがり)をかって出て、追いすがる敵をかわしつつ、残り少なくなった米を兵卒たちに与え、自分は水と雑草で飢えをしのぎながら撤退を成功させたと言います。
隆房という人は、そんな一面も持っている人なのです。
主君への謀反の時、隆房自身が、『史記』の一説を引用して、
「天の与えを取らざれば、かえってその科(とが)を受く」
と言って、謀反を正統化したしたと言いますが、一方では、隆房自身は、主君の義隆の失脚は願っていても、命を取るまでのつもりはなかったとされています。
それが、結局、主君殺害にまで発展するのは、重臣たちで行った評議の結果、
「消極的な政策ばかりを行う義隆・義尊(よしたか)父子を誅殺しなければ、家内の乱れは収まらない」
となったからで、この謀反は、隆房個人の野望ではなく、重臣たちの意見で行った事がうかがえます。
もちろん、この時点では、元就だって隆房に同調しています。
その後、大内氏一族の大内義長(よしなが・当時は大友晴房=大内義隆の甥で大友宗麟の弟)を新たな当主に迎えるところを見ても、やはり、自身が大内氏にとって代わろうという野望は無かったように思えます。
何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に
戦国の世とは常に無情・・・
この辞世の句には、そんな隆房の心の声が詰まった最期の言葉なのかもしれません。
つづく。
それではまた明日のこの時間にお会いしましょう。
今宵はここまでに致しとう御座います。
あざみ
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