ふと、中学の人権教育の授業のときのことを思い出しました。
そのときの担任がこのような課題を出しました。
「この社会の中には、どのような差別があるか、思いつくものを言いましょう。他の人とかぶっても構いません」
そうして、クラス全員の生徒に、順番に言わせました。
全員が言い終わった後、全員が何らかの回答ができたことを褒め、そして、担任は言いました。
「それぞれが言った回答は、自分自身が、一番気になっている差別、一番つらいと思っている差別でしょう」
僕はその言葉を聞いて、耳を疑いました。
そんなはずがないと思うからです。
そんなことを、たかが学校の人権の授業で、クラスの担任や他の生徒の前で、言えるでしょうか。
当然、僕は一番つらいと思っている差別のことなど、口に出してはいません。
他の生徒に関しては、推測でしかないですが、たぶん一番つらいと思っている差別を回答した人は少なかったと思います。
たいてい、自分にあまり関係がないと思っている差別か、他の人の回答から無難なものを選んで、真似して言っただけだと思われます。
また、前年の人権教育で、「青い目茶色い目」とかいうビデオを見せられたことも関係していたと思います。
だいいち、圧倒的に多かった回答が、
「黒人差別」「肌の色」「髪の色」「目の色」
だったのです。
僕の通っていた中学校には黒人の生徒はいませんでしたし、地域で見かけたこともありません。
また、学校に外国人の生徒がいるとは聞いていませんでした。
日本国籍をもっていない生徒がいたかもしれませんが、肌や髪・目の色が明らかに違うような生徒はいませんでした。
一番つらいと思っていることなど、どうでもいいような人達の前で、そう簡単に口にできるものではないと思います。
それは非常に危険なことだからです。
だから、どうでもいいような人達の前では、どうでもいいと思っていることを言うのです。
それについて、何を言われても、とくに傷つきもしないことを言うのです。
どうでもいいことは、どうでもいいように見えて、実はどうでもよくない意味を含んでいるのかもしれません。