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「散歩付き添いサービス」的なものを前々から考えていて、深夜専用のものをすでに「BASE」でネタ的にリリースしていたのだが、そのツイートがどっかで拾われたらしい。
「認知症の人に対応できれば家族の負担が減って需要がありそう」と引用リツイートをした人がいた。
いいアイデアだと思ったのでやります宣言してみると、「認知症サポーター」という制度についても教えてもらった。
無料の講座を受講するだけで受けられるというのでさっそく受けてみることにした。
浦和の埼玉県庁へ行く。
会場入ってみるとどうやら特に男の人はほとんど仕事として来ている人ばかりのようだ。
まぁ平日昼だしそりゃそうか。
この90分の講座を受講すれば認知症サポーターとして認定されるらしい。
内容としては「認知症の正しい知識を持ち、認知症の人への理解を深めましょう」というようなものだった。
しかし講座の中で扱ったビデオの内容が正直、現実的にはなかなか厳しいものがある。
認知症の人がとった行動それぞれに対し、「悪い対応の例」「良い対応の例」が出ていたのだが。
1.ゴミ捨ての曜日が把握できず、不燃ゴミの日に可燃ゴミを出すというルール違反をしてしまう
2.コンビニの会計で順番待ちの人が後ろにいる中、小銭を出すのに過剰にもたついてしまう
3.小学生が友達と遊んでいるときに近所の認知症の老人を見かけたが、家とは逆方向に歩いており徘徊の様子が見て取れる
これらに対し、認知症当事者に接する人たちは相手の尊厳を傷つけないよう、優しくサポートしてあげましょうというような内容だった。
しかしながらルール違反をする人や他人に迷惑をかける人に対し、世の中は容赦してくれない。
1,2の事例での「悪い対応の例」では「何度言ったらわかるんですか。ルールを守ってください」「待っている人もいるんですから、早くしてください」というようなセリフが出てきたが、これはどう考えても自然なただの現実であり、普通こうなるだろうとしか思えなかった。
事例3に関しては悪い対応の例「見て見ぬふりをする」に対して、「遊ぶ時間を切り上げて友達と別れ、自宅まで送っていく」という行動が良い対応の例とされていたんだけど、それについても老人のために若い子供たちの遊ぶ時間が犠牲になってしまうというのはいかがなものか。
もちろん、これらに接する人たちに時間がいくらでもあり、余裕を持った生活をしているのであれば通用すると思う。でも日本社会はそうではないだろう。
もっと人々に心と時間の余裕がないとまず無理だ。
そんなわけで時間的余裕を持った我々が認知症の人への散歩の付き添いサービスを対応することができれば、気を長く持って対応できるんじゃないかなーと確かに思う。
受講完了の印として認知症サポーター証のカードと、オレンジリングをもらった。
社会福祉的なテーマなので実績としてはとてもよい。
「認知症の人に対応できれば家族の負担が減って需要がありそう」と引用リツイートをした人がいた。
いいアイデアだと思ったのでやります宣言してみると、「認知症サポーター」という制度についても教えてもらった。
無料の講座を受講するだけで受けられるというのでさっそく受けてみることにした。
浦和の埼玉県庁へ行く。
会場入ってみるとどうやら特に男の人はほとんど仕事として来ている人ばかりのようだ。
まぁ平日昼だしそりゃそうか。
この90分の講座を受講すれば認知症サポーターとして認定されるらしい。
内容としては「認知症の正しい知識を持ち、認知症の人への理解を深めましょう」というようなものだった。
しかし講座の中で扱ったビデオの内容が正直、現実的にはなかなか厳しいものがある。
認知症の人がとった行動それぞれに対し、「悪い対応の例」「良い対応の例」が出ていたのだが。
1.ゴミ捨ての曜日が把握できず、不燃ゴミの日に可燃ゴミを出すというルール違反をしてしまう
2.コンビニの会計で順番待ちの人が後ろにいる中、小銭を出すのに過剰にもたついてしまう
3.小学生が友達と遊んでいるときに近所の認知症の老人を見かけたが、家とは逆方向に歩いており徘徊の様子が見て取れる
これらに対し、認知症当事者に接する人たちは相手の尊厳を傷つけないよう、優しくサポートしてあげましょうというような内容だった。
しかしながらルール違反をする人や他人に迷惑をかける人に対し、世の中は容赦してくれない。
1,2の事例での「悪い対応の例」では「何度言ったらわかるんですか。ルールを守ってください」「待っている人もいるんですから、早くしてください」というようなセリフが出てきたが、これはどう考えても自然なただの現実であり、普通こうなるだろうとしか思えなかった。
事例3に関しては悪い対応の例「見て見ぬふりをする」に対して、「遊ぶ時間を切り上げて友達と別れ、自宅まで送っていく」という行動が良い対応の例とされていたんだけど、それについても老人のために若い子供たちの遊ぶ時間が犠牲になってしまうというのはいかがなものか。
もちろん、これらに接する人たちに時間がいくらでもあり、余裕を持った生活をしているのであれば通用すると思う。でも日本社会はそうではないだろう。
もっと人々に心と時間の余裕がないとまず無理だ。
そんなわけで時間的余裕を持った我々が認知症の人への散歩の付き添いサービスを対応することができれば、気を長く持って対応できるんじゃないかなーと確かに思う。
受講完了の印として認知症サポーター証のカードと、オレンジリングをもらった。
社会福祉的なテーマなので実績としてはとてもよい。
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