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そんなことで悩むことはないよ。』 『他の人と違って、とても可愛いよ。』
それはどう考えても、私には気持ちの良い言葉には聞こえませんでした。
生まれた頃から髪の量が多く、真っ直ぐな髪質「でない」女の子として生まれました。物心が付いた辺りから、他の人との「違い」を感じていました。
この記事を読んで、そんなことで悩んでいるなんて…と思うかもしれません。私は、悩みに大きいも小さいも関係ないと思っています。
私の実体験ではありますが、同じ悩みを持った方の心の支えとなるような、メッセージを残せればと思います。
周りの人の"普通"それは自分にとっての"美"
6歳くらいの頃、短い髪型に憧れて髪の毛をバッサリとカットしたことがあります。しかし、私の髪は思っていた形にはならず、ウネウネと全体的に広がっていったのです。
その際初めて、自分は重度の天然パーマだと自覚しました。
日本人として生まれてくる7割ほどの人は、「癖毛」であるとされています。ただ、この7割という数は、どの程度の癖毛であっても、まとめてカウントされています。
癖毛と天然パーマは同じものだ、違うものだと色々な話を聞きます。この記事内では、私のようにうねりが全体的に広がっており、程度が重症であるものを「天然パーマ」としています。
小学生も2年目ほどになれば、女の子として可愛くありたいと思い始める頃です。まだ「美しくする」ということが、内面でなく、服装や髪型に限定される時期だと思います。
私は自分が髪の結いをほどいた状態が、「変だ」と思っておりましたので、自宅以外でそれを見せることが非常に恥ずかしく、小学生の間は外で髪を下ろしたことが1度もありませんでした。
トラウマとなった夏のプール
記憶の中で、とてもいやだったのは夏のプールの後だったと思います。同級生が水に濡れた髪を下ろしている姿は、学校では滅多に見ることのできない光景です。
男性はそもそも、湯上がりを連想させるその女性の姿に、美しさを憶えることが多いと思います。小学生と言えどもその傾向があり、女の子としても、いつもと違う自分をアピールできる機会…だったりするわけです。
幼い私は、自分もそのように見てもらえるのだと思いました。しかし、濡れた髪を下ろして乾かす私の元へ飛んできた言葉というと、
「どうしたのその髪!すごい変だね!」
というものでした。それ以来私はプールの授業が嫌いになりました。
この頃の私が腑に落ちなかったのは、周りの女の子たちが、特に何も努力をしているわけではない、ということです。
他の子たちは、ただ普通に過ごしているだけなのです。少しでもおかしく見られないように、私が髪の結い方や見せ方を工夫したところで、それはやっと「普通」の状態になっただけ…だということです。