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私は、5歳のときに尋常性白班が発症しました。
私の場合、額の左上に直径5センチ程度の丸い形の白班がひとつできています。
それほど大きいものではないので、髪の毛で隠していますが、白班のある場所からはえる髪の毛は、すべて白髪になるので、左側の前髪は、まるでメッシュを入れているかのようになっています。
痛みもかゆみも無いため、幼かった私は、自分では白斑に気が付きませんでした。
母親が気付き、慌てて病院に連れて行かれたときには、どこか他人事のような感覚を持ったことを覚えています。
楽しみにしていた行事で起こった悲劇
小学校に入学してちょうど一年が経つころ。
内気だった私にも、ようやく友だちができ、少しずつ学校が楽しくなっていました。
それは、3月3日ひな祭りの日のこと。
私の通っていた小学校では、ひな祭りに集会を行うことが毎年恒例になっていました。
人数の少ない田舎の小学校だったので、各学年1クラスずつしかありませんでしたが、その分、学年の違う子供たちとの交流が盛んな学校でした。
ひな祭り集会では、1年生から6年生までの全校生徒が作成したお内裏様とお雛様の人形を体育館に展示します。
また2年生から5年生までは、クラスごとに演劇を披露。1年生は、男子生徒と女子生徒がひとりずつペアになり、お内裏様、お雛様の衣装を身に着け、カツラを被り、メイクをし、写真撮影を行うのが恒例でした。そして6年生は、1年生のお世話係をします。
1年生だった私は、お雛様の衣装が着られることをとても楽しみにして学校に向かいました。
学校に着くとすぐに、1年生は写真撮影に向けて6年生の教室に集合。それぞれ担当してくれる6年生とペアになり、用意を開始します。
着物に袖を通して、帯を巻いてもらうと、これまでに感じたことの無い、はずむような気持ちになりました。
次はメイクです。メイクといっても、口紅を塗るだけなのですが、母親の化粧品をばれないようにこっそり使うことが楽しみだった私は、とてもうれしく、すこし大人になったような気持ちでした。
そして、最後にカツラを被せてもらいます。
カツラを被せようと、担当してくれていた6年生の女子が私の髪に触れたとき、突然手を止めて、隣で用意をしていた6年生とコソコソと話をはじめ、どこかに行ってしまったのです。
そのとき、私は、「どうしたのかな?」と思いましたが、何を話していたのかまったく心当たりがありませんでした。
それから少しして、私を担当していた6年生の女子が、ひとりの先生と一緒に戻ってきました。
先生は、私の担当の6年生に向かって、こっそりと「大丈夫よ」と声を掛けました。そして、その6年生に替わって、私の前髪をあげ、カツラを被せました。
何が大丈夫なのか、どうして突然、6年生が先生を連れてきて、私の用意を交代してもらったのか……。いろいろなことが謎のまま、写真撮影が終わりました。
カツラを外すときも担当の6年生ではなく、先生がやってくれました。
そのとき、先生から「◯◯ちゃん、頭のところの白いのどうしたの?」と質問されたのです。
そこで初めて気が付きました。私の担当だった6年生は、私の額の白班を見つけて、私の用意を先生に替わってもらったんだと。
楽しみにしていたひな祭り集会は、なんだか悲しい思い出になってしまいました。
白斑のせいではじまったいじめ
家に帰り、私の様子がおかしいと感じた両親は、私をとても心配していましたが、私はその日のできごとを誰にも話せませんでした。
次の日、学校に行くと、同じクラスで仲良くなった女子たちが、私を避けているように感じました。
いつもなら、私の席の周りにみんなが集まって、折り紙をしていたのに、別の女子の席に集まっているのです。
何時間目かの休み時間の後、勇気を出して、みんなの集まっている席に向かいました。
すると、そのなかのひとりが、私にむかって、「うつるから来ないで!」と言ったのです。
昨日の6年生が、私の白班のことを誰かに話し、それがクラスの女子の耳にも入っていたのだと思います。
それからしばらくの間、私はクラスの中でずっとひとりぼっちでした。
1年生から6年生までの6年間、クラス替えはありません。ずっと同じメンバーで過ごさなければならない環境は、私にとって地獄の毎日でした。
席替えのとき、プリント用紙を配るとき、プールに入るとき、ボールに触るとき、手をつないでダンスをするとき、給食の配膳のとき……、ことあるごとに、私は病原菌扱いされ続けました。毎日、毎日、学校へ行くのが苦痛でたまりませんでした。
2年生のひな祭り集会では、私のクラスは『古屋のもり』という劇を披露することに決まりましたが、白髪があるからという理由で、多数決でお婆さん役が私に決まりました。
お爺さん役を決めるときには、男子がみんな嫌がって決まらなかったので、あみだくじでひとりを決めていました。
でも、私は先生にも、両親にも誰にも悩みを打ち明けられずにいました。
先生は、私がいじめられていることに気付いていたはずですが、声を掛けてくれるようなことはありませんでした。
母は、私に友人がいないことをとても心配していましたが、このころの私は、どうしても話せなかったのです。
まだら肌のせいで病原菌扱い。いじめられひとりぼっちだった私を救ったもの[体験談](2)に続きます。
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written by Delphinium
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