最近は良く今を大事にっていうじゃないですか。

 ここで良く取り上げる「瞑想」だって、「言葉」で過去→現在→未来のつながり考えるのを休めて、「言葉を使わないで考える」ことで、「今」をまるごと受け止め処理する訓練です。

 現代はそうやって今を大切にしようという流れの中で、でも未来を見据えて行動だってしなくちゃいけないという思いは、そうそう拭えるものではありません。

 それらは矛盾しているのでしょうか。

 そんなことはありません。

 むしろ、「今」を楽しむために「未来」を考えるし、「未来」を考えるために、「今」を楽しむのです。

 たとえば、このままこの仕事を続けていいのかと漠然と不安になることはあるでしょう。そうしたら、もう心から「今」を楽しむことはできません。未来を予測し、自分の方向をそちらに向けて、「これが自分にできるベストの準備」と思えれば、また「今」の自分の仕事に打ち込むことができます。

 逆にありのままの自分を受け入れていない人には、「未来」を考えることは苦痛です。だって自分じゃない自分を仮定して、未来の自分を予測しても、当たるわけがありません。それを無邪気に信じられるほど人間は幼稚にできていません。未来を予測し、その時の自分を思い描くには、今の自分をありがままに受け止める必要があります。

 「今」を本当に楽しむには、また、やはり「今の自分をありがままに受け止める必要」があります。

 将来のために今我慢して辛いことをするというのは、一見素晴らしい行為のように思われがちですが、どこかで無理をしているということです。「努力している人は、努力を努力と思っていない」とよく言われます。今の自分と未来の目標と未来の自分の姿がうまくかみ合っているのでしょう。

 もちろん、今我慢を強いられている人は、それぞれそこから抜け出すのが困難な事情があります。だからといって、未来を考えることを止める必要はありません。それは今を考えることであるのです。



《ワンポイントミライ》(

ミライ: 「過去」が置き去りですね。

フツクロウ: ホッホ。話を今と未来に集中しただけじゃろ。

ミライ: では「過去」は。